
1982年にそいつが載った雑誌のページを開いた時の衝撃は、相当なものでした。
当時からクルマ少年であったわたしですが、まさに戦慄が走りました。
なにが凄いと言って、完全なるラリー専用車。しかもグループB。
これがサーキット用の現代で言うGTカーであったなら、ここまでの衝撃はなかったと思いますが、なにしろ当時からラリーマニアに染まっていた上に、専用車で、ロールケージとバケットシートを入れれば、そのまま参戦可能などと言われたそのたたずまいに、シビれないわけがありません。
ちなみに、近い時期に登場したライバルでは、トヨタのセリカGT-TS(TA64)があります。
こちらは国内向けにも市販されましたが、その内容はノーマルのGT-Tのセミトレーリングアームだったリアサスを(規定上の理由から)4リンクコイルにし、フロントフェンダーを樹脂製にして5cmほど広げただけの完全な「ベース車」。
だけ、というのは現代では語弊がありますが、当時のわたしにとっては、その程度か、とガッカリしたもので、このあたりトヨタと日産の考え方の違いが現れています。
なにしろこの240RSは、エンジンもノーマルの2リッターから専用に開発された2.4リッターになり、現代と違って市販車では200馬力越えなど、夢のまた夢の時代にストックで240馬力を誇っていたのです。
当時の日産は、これを日本国内の法規定に合わせるつもりなどさらさらなく、ワイドで無骨な角形オーバーフェンダーでトレッドを広げたその姿は、まさにレーシングマシン。
しかもそれをそのまま市販するという。それがたとえホモロゲーションのための200台限定であろうが、規制のために国内では基本的に市販しなかろうが、海外でもラリー関係者にしか販売しなかったと言われる、その日産の姿勢の本気度が伺えたのです。
ご存じのように、この240RSがデビューした直後から、グループBはターボ+4WDが席巻し、さらにはパイプフレームも当たり前という恐竜化を辿って、結局自滅することになります。
そして、NA+FRという旧態依然になってしまったレイアウトの240RSは、いちども勝者となることなく、ラリーの舞台を去ってしまいます。
しかし、有り体に言ってしまえば、急激な進化を遂げて、もはやベースモデルの面影すらないグループBは「市販車と同じ姿のクルマが競技する」というところに美学を感じていた、当時のわたしはむしろグループ4の方が親近感があって好きでした。
同時に旧態依然と言われつつも、孤軍奮闘していた240RSと日産の、勇者の姿にもまた、感動していたものです。
まあ、単なる判官贔屓なんですが。^^;
今でもWRカーは嫌いではありませんが、それよりもN車にカッコ良さを見出すのは、あの当時の反動かも知れません。
まあ単なるオヤジの懐古趣味なんですが、それでもこの姿を見ると、あの時のワクワク感が蘇ります。
こんな衝撃的なクルマが再び現れるのはいつのことでしょうか。
てなことで、もう2ヶ月も前ですが、日産ギャラリー札幌に実車を見に行ってきてました。^^;
-それはただラリーのためだけに-240RS <日産ギャラリー札幌>
Posted at 2013/03/05 23:55:04 | |
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