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2010年08月29日 イイね!

我が相棒をひひょうする ビークロス⑪ 1999年

1999年2月8日の出来事。
プレスリリース

いすゞ自動車(株)は、四輪駆動車「ビークロス」に、販売台数を175台に限定し、内装を中心に特別仕様を施した『175 LIMITED EDITION(いち・なな・ご リミテッド エディション)』を設定する。
…文中省略…
発表後は各方面より高い評価を頂戴し、いすゞのイメ-ジリーダーカーとしての任を担ってきたが、この度、国内におけるその役割は果たしたと判断、今回設定する限定特別仕様車『175 LIMITED EDITION』を以って国内における販売を終了する事にした。

えっ…

う~ん…

突然、ビークロスの国内での販売は終了することが発表された。
これにより、密かに狙っていたMT車の投入は噂の、噂で終わってしまった。
でも、またしても20色のボディカラー追加とならんで、恨めしい出来事であったことには変わらなかった。真面目に乗り換えてやろうと思ったけど、実のところ175リミテッドエディションの実物はなかなか展示されることはなく、買わないと実物が拝めなかったのでした。

まさかスクープ記事で拝んだ北米仕様の装備が、そのまんま175LTDに採用されているとは…結構悔しかったですね。しかもこんだけついて、標準車にたった30万円プラスするだけでこんな絢爛豪華なクルマが買えてしまうとは…騙されて!?97年に買った自分が浅はかだったと思い知らされました。これを機に、クルマはニューモデル発表当初、フルモデルチェンジ発表当初に飛びついちゃいけないと自分の中で心に誓ったのでした。(ってまだ2台しかクルマを買っていませんが…)

あと、ビークロスって175リミテッドもそうですが、標準車もなかなか街で見かけませんでしたね。
ZIGのサマーミーティングでもなかなか見かけなかったし、販売店に行っても逢える機会はごく希でしたね。でもオーナーさんって自分より年齢が高かったので、気軽に声をかけることはできなかったし、ボクよりどう見ても高飛車なおっさんが多かったような…

そんなことがあって、ひとりで悶々とビークロスライフを過ごしていたのですが、とある自動車雑誌の企画に目を奪われました。
Xacarの「ビークロスファンクラブ」

カーデザイン評論家の千葉匠さんがビークロスオーナーとして取り上げられていたりして、マイナーなクルマにしては随分取り上げられた企画でしたね。
いずれこの雑誌の企画で、ミーティングを開催する。それなら参加してもいいな…と思っていました。
でも反面、ボクは群れるのが嫌いな、一匹オオカミならぬ一匹豚。
オーナーズクラブってやだなぁ~と当時は思っていたので、このビークロスファンクラブは記事こそ見ても、なかなか参加しなかったのでした。

それから…
175リミテッドエディションの発売で、ビークロスの国内販売が終了して半年立つか経たないか。
6月に岐阜・白川にていすゞオーナーズミーティングが開催されることが誌面で告知されていました。
よっ、行くか!
行きましたね、遠路はるばる。
もしかしたら175リミテッドエディションが見れるかもしれないし、とんでもないビークロスが拝めるかも…
 
残念ながら175リミテッドは来場していませんでしたが、全身真っ白のビークロスはとんでもなく凄かったですね。これがオーナーズミーティングのコンクールデレガンスで優勝していましたね。

あと、会場にはいすゞ自動車からビークロスの開発に携わった技術者やデザイナーさんがお越しになっていました。
確か、炎天下の中、ビークロスオーナーは開発者の皆さんに質問攻めをしていたような。ビークロスの細かい疑問点を根掘り葉掘り聞きながら、今後の展開だとかまぁ色々。それだけここに集まったオーナーは皆暑かった…いや熱かったし、かなりマニアックな人たちが多かったですね。やっぱりビークロスを乗るだけのことはあるなと。
ボクなんかぜんぜんお呼びでもないと思ったものです。
そういえば97年に東京モーターショウの会場で説明員をされていたあの方も来られていましたね。

こうしてビークロスは僅か2年で国内販売は終了したのでしたが、逆にこの99年を境にビークロスのオーナーとして熱く、熱くさらに情熱をそそぐようになったのかもしれません。
Posted at 2010/08/29 08:51:12 | コメント(2) | トラックバック(0) | ビークロス | 日記
2010年08月29日 イイね!

我が相棒をひひょうする ビークロス⑩ 1998年

連載記念ずべき10話目。
これからは一年ずつ、手短にお伝えします。
1998年、すでにビークロスは、結構手垢にまみれていましたね。
そう、あちこちモディファイが施され、怒涛の快進撃みたいにいじくられていましたね。(って自分がいじくっておいて、他人にやられたみたいに言うのもなんですが…)


まず手垢にまみれる前のビークロス。
98年末に作製した年賀状用の撮影風景。とお伝えしましたが、97年末でした。
当時ビデオレンタル屋に勤めていた友人をちょろまかして、バットマンの宣伝用ポスターを借り出し、ビークロスと一緒に撮影していました。
今思うと、こんなものを年賀状にしていたと思うとぞっとします。
こんなものを送りつけられた正月って、あまり縁起がよくなかったのかも…

そして98年初頭。
まずは、ナビゲーションを付けてみようと、実家のビッグホーンからこっそりALPINEのナビとAVモニターをごっそり取り外してみたのですが・・・
なんと一般的なオーディオハーネスとビークロスのオーディオハーネスがまったくあわず電源が入らなかった。
そして1DINインダッシュモニターを取り付けると、メーターパネルと干渉してうまく取り付けられなかった。
これがえらい苦労することに・・・
ハーネスはいくら探してもビークロスに合うものが見つからず、結局ディーラーから配線図を貰って来て、ハーネスのコードを一本、一本ばらしコードを接続することに。しかもメイン電源やアクセサリーコード、スピーカーコードなど、各コードの色が一般コードとビークロスのコードでは色が違っていたので合わせるに一苦労。この電源コードの接続で休みの日曜日を3日ほどつぶした記憶が…
そして電源の供給確認が取れた後、パネルの加工に。この頃は、オーディオの取り付けも初めてだったし、ましてやパネルの加工なんて到底出来るもんじゃなかった。乏しい知識と技を駆使せざるを得ず、糸のこでシコシコパネルを切って、やすりをかける地味な作業の繰り返し。
しかも下手なものだから、間違って切りすぎてパネルを一回おじゃんにしたこともありましたね。
あとそうそう、バックアイカメラとの接続も問題になり、純正だとリバースに入れれば自動的にカメラが切り替わるんですが、これがALPINE製だと当時バックアイカメラに対応しておらず、リバースに入れてもカメラが使えない。
そこで泣く泣く純正のクラリオンから発売されていたカメラの増設ボックスを2万5000円払って購入し、ボタンでカメラが入るようにしましたね。
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これが苦心して装着したAVモニター。えろう苦労しました。
まぁこうしてビークロス未踏のモディファイが始まったのでした。

そしてアフターパーツもぼちぼち発売され、

ZIGから発売されたアペックス製のメガホンマフラー。
かなり音量が上がっていましたね。ルックスは、かなりデカイパイプでしたね。でもオールステンレスじゃなく、あくまで外のパイプだけがステンレスでしたね。


写真ではわかりづらいのですが、実は2インチアップのリアコイルを入れ、オフロード用に車高を上げていました。
トーションバーもバネレートを上げて、車高が上がっても締め上げて鋭いハンドリングをキープしておりました。

2インチアップしたビークロスは、やっぱりアラクレる荒野に繰り出すのでした。

山梨は旧上九一色村にあった富士ヶ嶺のオフロードコースにて…
ZIGのサマーミーティングのタイムトライアルに参加した時の画像。
リアサスのストロークは驚異的でした。コイルスプリング外れんじゃないの…と。パジェロでは絶対ありえない画とよく言われました。
それよりもビークロスが泥にまみれること自体ありえないことだと。
ホントは、ボクの中でビークロスのミーティングと言えばこのように泥にまみれることだと思い描いていたのですが、クラブを設立してからこのようなミーティングはしたとこもなく、汚すのはもっての他。いや奇麗にしないとミーティングに参加したときに肩身が狭い…ことはありませんが、そう思えるくらい皆さん奇麗にされてミーティングに参加されていますね。もちろん汚いビークロスの筆頭は我が相棒かも…


唯一オフロードコースで遭遇したビークロス。
アストラルシルバーのビークロスは、ダート主体のセッティングされていたようで、かなり速く走っておられましたね。

こうして1998年の夏は終わり、ビークロスは翌99年初頭突然の終焉を迎えることとなったのでした。
Posted at 2010/08/29 08:45:17 | コメント(0) | トラックバック(0) | ビークロス | 日記
2010年08月18日 イイね!

我が相棒をひひょうする ビークロス⑨

我が相棒をひひょうする ビークロス⑨9月に無事納車され、初めての新車を持つ優越感と、これからどこをどうモディファイするかなんて考えながら、休みになると運転しながら楽しく過ごしていたことを思い返しますね。

出勤する途中に歩いている時も、ビークロスのことを色々と気にかけながら、もしこんな仕様があったらよかったな…なんて妄想につぐ妄想を積み重ねていましたね。
例えば、マニュアルミッションの追加。できればパートタイムではなく直結モードを持ったTODを組み合わせ、ハンドリングの良さを生かしたスポーツモデルとして出てきたくれないかな…とか。
あとボディカラーをあと5色くらいだしてくれたら…全10色。
十分すぎるくらいな選択しだと思いましたね。パールの効いたホワイトだとか、妖しくも鮮やかなバイオレット(紫)のボディカラーだとか。
インテリアも無塗装のドアトリムは汚れが目立つので、できればブラックだとかグレーにしてくれていたら…
でもビークロスはまだ出たばっかりだし、そんなことはしないだろう。
そう呑気に構えていたら、そんな自分は迂闊だったと思い知らされる事態が…

これまた忘れもしない10月14日。
翌15日の新聞、経済欄にこんな小さい見出しが…
「ビークロス25色追加」
えっ!!!なんじゃこりゃ!まるで太陽にほえろで松田優作が殉職したときに吠えたセリフが思わず吹き出してしまった。
それをディーラーに問い合わせても、未だ情報は降りてきておらず、正直なんのことだかさっぱり。
詳細は東京モーターショウまでにわかったのですが、既存色5色を標準色として、20色をオプション料金を取り、専用のライムカラーの「VehiCROSS」サイドデカールを貼ったものになると…
これには当時職場で仏!?(影では大仏)と言われていたもんちっちも、ブチ切れましたね。
仕方なく消去法で選ぶしかなかったのに、なんで買ってから1ヵ月後にこういうことするんだ!メラメラと湧き上がるいすゞへの恨み。
悪いけど、オレのビークロス塗り直せ!
ちなみに追加された20色の中で、指名したかったボディカラーはラズベリーマイカでした。
この鮮やかさとスタイリッシュさは群を抜いていたかと…

でも20色って随分極端な設定だったし、よくもまぁこんなに色をたくさん設定できたかと。
10月下旬に開催された東京モーターショウで25台、25色のビークロスでも出すのかと!とトンデモナイことを思いつつ、もしブースにいすゞのビークロスを担当した人間がいたらひと言言ってやろうと決心したものでした。

そしてとある日曜日、意を決して渋滞の激しい幕張へもちろんビークロスで行ったのでした。
幕張の駐車場前の海岸道路を走っていると、やたらと外国人さんに見られていましたね。注目のまなざし。これ意外といい気分。
でもオレはこれからショウを楽しみに行くんじゃなく、いすゞにモノ申しに行くんだ!
(まぁホントにそんな堅苦しくは考えずに行った記憶はないと思いますが、行きがかり上そういうことにしましょう)

でいすゞのブースを訪れてみると…
25色、25台の展示なんか当然しておらず、イエローと一緒に宣伝色としてよく出ていたサンバーストオレンジのビークロスが展示されていました。

そして会場にいた説明員さんをとっ捕まえて、ビークロスに関して根掘り葉掘り質問攻めを開始。休日出勤の説明員さんには今思うと大変失礼でしたが、他のメーカーに比べてヒマそうだったので結構長話をしたものでした。
当然なんで20色もボディカラーを設定したことを聞いたことだし、今後商品展開はどうなるのかとか、あとは説明員さんからここでは言えないオフレコ話も…
でもビークロスと言うクルマを手にしたからこそ、こうして貴重な話ができたんだと。ボクはボディカラーを20色も増やされた恨みよりも、メーカーの説明員さんの大変貴重な話から得た優越感が何よりもうれしかったですね。ありがとう説明員さん!
では今日はここまで。

しかーし!
やっとこさ復活した「我が相棒との遍歴 ビークロス」ですが、ここで悲しい!?おしらせ。
なんと9月4日を持って最終回といたします。
それはとりもなおさず、ビークロスの車検が切れる日だからです。
それまでに急ピッチで連載いたしますので、よろしく!
Posted at 2010/08/18 22:26:22 | コメント(1) | トラックバック(0) | ビークロス | 日記
2010年08月12日 イイね!

我が相棒をひひょうする ビークロス⑧

我が相棒をひひょうする ビークロス⑧やっとこさ復活です。

1997年5月に注文したビークロスですが、その間金策も走ったし、しょぼかったAVモニターを真っ先に交換しようだとか、アフターパーツは出るのかな…とか、まぁ期待と不安が入り混じった中納車を待っていたものです。

8月に入ってディーラーの担当者より、納車日の決定通知が来て、9月上旬になるとの連絡が。
やっと来るのか…
間際の8月下旬、車庫証明を取りに行ったり、預金を下ろしてディーラーに支払うために小切手に換えたり、なんやかんやと仕事の合間を縫って忙しなく動いたことを思い出しますね。
そうそう、自動車保険のことを忘れていましたね。初めての愛車だったから真面目に高かった。せっかく購入の際切り詰めたのに…大事な、大事な新車に車両保険を掛けなければいけなかったのも響きましたね。
そういえば、ビークロスを買う際、最終的に現金での支払いになったのですが、この時300万円もの大金を初めて拝みましたね。
仕事では1億だとか、10億なんて紙っぺらの数字は扱っていましたが、それと比べて小さい額の300万円。でもすげーな…オレって。
妙な感慨にふけったものです。
でもそれもホンの数分のこと。ムーディ―勝山の歌じゃないですが、♪300万円は右から左へ受け渡されていったわけで…

そしてその日はやってきたのでした。
忘れもしない9月4日。
納車費用を浮かすために、大田区は大鳥居にあったディーラーJRと京急空港線を乗りついで向かったものです。
当日は時間給を取って、早めに切り上げて向かったのですが、なんやらかんやらしていたら17:00を過ぎ、雨が降ってきて大鳥居の駅から濡れてディーラーへ向かったことを思い出しますね。
ホント、そそくさとまっしぐらに。

ディーラーに辿りつき、駐車場には消去法で選んだレッドロックマイカの鮮烈なビークロスが…しかも標準ではブラックアウトされているドアミラーが、特注通りレッドロックマイカに塗られている。
素晴らしい!!
雨の滴がボディに落ちていましたが、新車ゆえに弾き飛ばしていた。
「やっとここまで来てしまったか…オレ」
嬉しくてたまらなかったですね。

希少なクルマではあったけど、何度も、何度も試乗をしていたせいか、おろしたての新車なのに、妙に慣れていた。
視界最悪のはずのリアウィンドウも、バックの際モニターに映し出されれるバックアイカメラの画像なんて見なくたってバックはイケていた。

そしてディーラーの担当とあいさつを交わし、国道1号に出て、近くにある羽田空港のターミナルへ行ってみようと…
きつくなる雨も気にせず、飛ばしたものです。
ただし、途中の天空橋近くには警視庁の派出所があってよく取り締まりをやっていたので、そこだけ気を付けて、ターミナルへ向かうトンネルへ…
そこでなんと深い轍にたまった雨水にタイヤが取られあわやスリップ!?
しかし、ビークロスにはTODがあった。TODを入れていたおかげで難を逃れたのでした。

こうして雨の中、無事納車を済ませ、帰路へ着いたのでした。
家に着いてから初めて手にした愛車に興奮してか、一旦家の中に入ったものの、また車庫へ向かいマジマジとビークロスを見て、それでも気が済まずキーを開けてまたシートに座り、ハンドルを握る。
思い出すと、忘れかけていた感情ですね。
Posted at 2010/08/12 23:30:59 | コメント(4) | トラックバック(0) | ビークロス | 日記
2010年08月08日 イイね!

ビークロス御礼・最後の旅…黒部・立山アルペンルート

もう先週のことになっちゃいましたが、ビークロス御礼・最後の旅、第一弾として富山へ…
そのついでに、でもメインにもなっちゃいましたが、黒部・立山アルペンルートの黒部側だけ散策してきましたので、レポートします。


6:30に長野・塩尻北IC近くのホテルを出発し、7:40に黒部側の扇沢駅に到着。
予想以上に混んでいて、有料駐車場は満車寸前でした。


扇沢駅の出発ホームからトロリーバスが出ております。
こちらからまずは黒部ダムまで。
こんな大渓谷まで来て、都会の通勤ラッシュ並みのすし詰め状態に遭遇するとは…


黒部ダム駅到着!!
トロリーバスは一度に5台ほど連なって到着。それでも乗りきれないほど混雑しております。
この後、大放水で有名なダムサイトへ出て、ケーブルカーやロープウェイに乗りついで大雪渓や室堂など立山方面へ行くのですが、今回は時間とお金の問題から黒部ダムまでとします。


200段の階段を上って、展望台へ出るとそこには…
観光放水をしているダムサイトが展望できます。凄いですねぇ~


放水路センターが真下に見える場所からの風景。
下流にボクのあ・そ・こを向けて思わず「あ~すっきりした~」とやっちゃいました。
「いけませんねぇ~」


ダム工事で犠牲になられた方々を祀った銅像。
近くには慰霊碑と犠牲者のお名前が刻まれておりました。


黒部ダムから扇沢へ帰還して、そこにはなんと!こども店長ならぬ、「こども駅長」がコンビでお出迎え。
一日駅長なのか、夏休み期間限定駅長なのかは定かではない。


お世話になったトロリーバス。
昔は都会でも活躍したトロリーバスですが、日本ではここ黒部でしか乗れません。
これからEV=電気自動車の時代になるのですから、いずれバスも電気自動車になるでしょうが、このような架線を張ったバスの復権は…なかなか難しいでしょうね。

この後、さくぞうさんが待っているので、そそくさと扇沢をあとにしましたとさ。おしまい。
Posted at 2010/08/08 22:38:39 | コメント(0) | トラックバック(0) | 流浪の遠征 | 日記

プロフィール

「流浪の遠征2022秋、欧州フランス編その2 ルマン24hrミュージアムその3 http://cvw.jp/b/174658/47015200/
何シテル?   06/10 20:36
いすゞビークロスオーナー&ファンクラブ【VehiSQUARE(ビースクエア)】の世話人にして、国内導入が見送られたいすゞ最後のSUV「AXIOM(アクシオム)」...
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