
“20世紀”の振り返りは本日で終了です。
お付き合い頂きましてありがとうございました。
17集のうち実際に生き抜いた時代は11集からと半数以下でした。
しかし、誕生以前の出来事であっても、年代を超えて伝わり自らが見たり行ったりの実体験をしたものや、情報・知識として記憶していたものなど振り返れて自分にとっては有意義な企画となりました。
思い起こせば、子供の頃夢見ていた21世紀は遠い遠い世界でした。
やっと足が掛かる46歳という年齢は当時の父親よりも上で、全く想像もできませんでしたが・・・・・
しかし、既に15年も・・・・・・・
もう立派な
“21世紀老人”になってしまいました!
そして、本日は
=定年退職 となる方もいると思いますが、
自分の勤め先は上期末or下期末制なので残り3ヶ月ちょっとあります。
その後も半月ほどの休暇を挟んで元の職場で再雇用(見込)なので、待遇以外は変わらない生活がリスタートします。
元々仕事(働く事)が好きではないのでのんびりリタイア生活を楽しみたい気持ちもありますが、
とりたてた趣味と言えるものも無いのでただただ時間を持て余しそうだし、
何より働く事なく生活していけるだけの財力も蓄えていないので仕方が無いですよね!?
まぁ、子供達も巣立っていますので、
夫婦二人+一匹 がなんとか暮らせていければ良しとする生活ですかね・・・・・
ところで、月曜日出社が憂鬱です。
職場でお祝いの食事会&何やら悪だくみの企画が進んでいるようです。
察知したので当日の本日&明日は有休をとって回避を試みたのですが・・・・・・
どうせ着せられるなら上のやつじゃなく、いまどきのこちらの方が・・・・
では、
第17集 です。
期間は、
1993 ~ 1998 年 になります。
タイトルは、
「皇太子殿下御成婚」から となっています。
皇太子殿下御成婚 (1)

デザイン:祝賀パレードで国民の祝賀にお応えになる皇太子同妃両殿下
1993年(平成5年)6月9日、皇居賢所で、結婚の儀がとり行われました。オープンカーを用いて行われた祝賀パレードの際には、19万人以上の人々が沿道を埋め尽くしました。
(資料提供:宮内庁、朝日新聞社)
阪神・淡路大震災 (2)

デザイン:復興のシンボル「火の鳥」と阪神・淡路地区の地図と被災した高速道路のイメージ
1995年(平成7年)1月17日、マグニチュード7.2の直下型大地震が阪神・淡路地区を襲いました。死傷者・行方不明者5万人以上、住家被害は51万棟以上にのぼり、大都市を直撃したため、生活必需基盤(ライフライン)に壊滅的な打撃を与えた大災害となりました。
(資料提供:手Aプロダクション、阪神・淡路大震災復興基金)
情報通信サービスの普及 (3)

デザイン:携帯電話とパソコンのイメージ
携帯電話は、端末の小型・軽量化、低価格化等の進展により国民に広く普及していきました。さらに1995年(平成7年)にPHSのサービスが開始されたこともあり、移動体通信の利用者は激増しました。
また、1993年の我が国のインターネット商用利用開始以降、パソコンの普及率は高まっていきました。
日本人宇宙飛行士活躍 (4)(5)

デザイン:(左)日本人宇宙飛行士初搭乗のNASAスペースシャトル「エンデバー号」打ち上げ風景(右)日本人宇宙飛行士の宇宙船船外活動風景
1992年(平成4年)宇宙飛行士毛利衛が、日本人として初めてスペースシャトル「エンデバー号」に搭乗し宇宙実験を実施しました。また、1997年(平成9年)には宇宙飛行士土井隆雄が、日本人として初めての船外活動を実施するなど日本人宇宙飛行士が相次いで活躍しています。
(資料提供:宇宙開発事業団)
地球温暖化防止問題 (6)

デザイン:地球温暖化防止京都会議記念切手(平成9.12.1発行)のデザイン部分
人類の活動が、産業革命、特に1950年以降、著しく拡大したことによって、世界全体の人為的温室効果ガス排出量は増大する傾向にあり、それに伴う気候の変動、生態系や農業等への深刻な影響が懸念されています。このような中、1997年(平成9年)に、京都において気候変動枠組条約第3回締約国会議(COP3)が開催され、地球温暖化防止に向けた歴史的な一歩となる「京都議定書」が採択されました。
(取材協力:環境庁)
長野五輪 (7)(8)(9)

デザイン:(左)公式エンブレム (中)マスコット「スノーレッツ」(右)公式ポスターのアレンジ
1998年(平成10年)第18回オリンピック冬季競技大会が長野で開催されました。日本選手は、金メダル5個、銀メダル1個、銅メダル4個を獲得するなど大活躍しました。
(資料提供:日本オリンピック委員会)
日本サッカー世界へ飛躍 (10)

デザイン: 1998年FIFAワールドカップTMの出場を決めたアジア地区最終予選での日本代表選手
1998年(平成10年)サッカー日本代表が、ワールドカップフランス本大会出場を果たしました。日本の本大会出場は、1954年(昭和29年)のスイス大会アジア予選に初参加して以来、44年目に達成した快挙であり、日本サッカーが世界レベルに達したことのアピールとなりました。
(資料提供:Jリーグフォト)
本日のキリンチャレンジカップ2015 イラク戦 前半終了で 0:3 です。
今までとはちょっと違う強さを感じさせる試合をしてますね!?
と書いているうちに、後半がスタート
前言を撤回した方が良いのかも・・・・
シート余白部分
NASAスペースシャトルから見た地球
(資料提供:宇宙開発事業団)
詳細解説文がこちら
そして切手のシートがこちらです。
本日の“おまけ”写真 です。
60年前の今日、何があったんだろうか?
気になって調べてみましたが、国内では大した出来事は発生していませんでした。
強いてあげるなら、巨人軍多摩川グラウンド開場 が見つかりました。

既に国へ返還されますが、昭和の球場が次々と姿を消す中、現在も当時の面影を残しつつ一般に開放され、小中学生を中心に野球場として使用され続けているそうです。
本当の同期です! 今後も頑張っていってもらいたいたいものです。
一方、海外では大きな出来事が発生しておりました。
しかも、車関係の・・・・・
ル・マン史上最も悲しい出来事
ル・マン24時間レースでメルセデス・ベンツ300SLRが観客席に突っ込み、83人の死者と120人以上の負傷者を出すという痛ましい事故でした。

動画がアップされていますので見てみましたが、スタート時はレトロな車両が優雅にスタートする場面から始まっていますので痛ましい事故が想像できませんが終盤にはスタンドに飛び込み炎上する場面も・・・・・
この悲劇がのちの安全対策に役立ったとは言われているようですが・・・・・・・
こちらが現在もメインストレートの片隅ににひっそりと飾られている小さなメモリアルプレート。観客からは見えない場所に飾られているそうです。
まぁ、歳も歳なので無理はしないで今まで以上に安全運転を心掛けましょうかね!
後にワールドチャンピオンになるような人が起してしまった運転ミスが悲劇の引き金となってしまったようですから・・・・・