![研究学園都市 研究学園都市](https://cdn.snsimg.carview.co.jp/minkara/blog/000/047/208/965/47208965/p1m.jpg?ct=a56f6a371b50)
コロナ禍を経て初めての出張ドライブに行きました。目的地は筑波研究学園都市です。
彼の地にはしばらく以前に5年近く通勤しました。この人工都市は縦長であり、分散型で配置されています。つくばエクスプレスが開通し、昔よりはだいぶ便利になりましたが、それでもクルマがないと不便なところです。当時はひたち野うしく駅の駐車場を借り、平日はマイカーをこの地に持ち込んで乗っていました。一般道で50kmを超えるコースを、月曜の朝は家から渋滞にはまりながら遠距離出勤し、金曜の夜に乗って帰るパターンでした。金曜は遅くなると交通量が大幅に減り、点滅信号が増えるので、週末を迎えるための深夜帰還ドライブを満喫しました。
今回の出張は、往復とも高速にしました。当時より整備が進んだ高速道を使うと、一般道よりも少し遠回りになりますが、時間は大幅に短縮でき、安楽のうちに到着します。往路は暑かったので薄着で移動し、到着直前に身支度を整えました。帰りは8時を過ぎていたのでつい高速に乗り、楽に帰宅しました。往復とも1時間ほどで到着したように思います。以前は当たり前のように下道を走りましたが、安易に高速道を使うようになったのは、若くなくなった証拠なのかもしれません。
この研究学園都市には、1980年代半ばにも縁がありました。学生のころ年に何回か最深部にある機関(確か電話は「おお筑波、虫一匹いない」)に用事があり、ファミリアプレストで通いました。敷地内に宿泊しましたが、遠くのファミレスや、スーパーまたはコンビニまで出かける必要があり、とにかく不便なところでした。当時は「つくばでは自殺者が多い」との報道もなされていて、「確かにそうかも」と思いました。
1990年代に3年間通勤したときは、ファミリアセダンで柏から毎日通いました。往路は少し渋滞し、復路はスムーズでした。マイカーのおかげで、不便なバスによる制約を受けることなく、移動の自由が確保できていました。カーブの多い裏道を毎日通るので、シフトチェンジのパターンがいつも同じになっていたようにも思います。
このような研究学園都市構想は「どうせ米国の真似なのだろう」と勝手に思っていました。不便なところに分散配置していて、移動手段は道路交通のみというのは、いかにも米国風です。ノースカロライナ州にリサーチ・トライアングル・パーク(Research Triangle Park:略してRTP)があると聞いて、これが典型的な研究都市なのだろうと想像していました。
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ここには数年前に出張しました。デューク大学などの3大学が核となり、国立研究機関もいくつか立地していて、つくばの先輩のような印象です。各機関は離れていてバスなどは通っていなそうなので、タクシーを呼ぶしかありませんが、米国ではごく当たり前です。中央部にローリー・ダーラム空港があり、飛行機を降りてから苦労せずに移動できたので、「RTPの方がつくばよりも便利!」との感想を持ちました。
・・・そう思っていたら、圏央道を使えばつくばから成田空港へ簡単に行けるようになっていました。少しずつですが、日本の研究学園都市も便利になってきたようでした。
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2023/09/10 18:34:06