
富良野を後にして、西へと移動しました。初めは大雨で、沿道の河川は濁流でした。
【小樽】
限られた時間の中、少しだけ散策しました。おなじみの小樽運河は、確かに歴史を感じるもので、観光客で賑わっていました。手宮線跡地は廃線の跡ですが、廃線路をそのまま散歩コースとしているのは珍しそうです。
金融資料館は日本銀行旧小樽支店で、その建物には日本銀行本店に似た意匠がありました。建物内では昔の営業窓口が維持され、小樽支店の歴史を解説していました。
【積丹半島】
積丹岬、神威岬ともアクセスは不便そうなので、積丹岬に近い島武意(しまむい)海岸に立ち寄りました。トンネルをくぐった先から絶壁が見えましたが、熊が出たとの理由で遊歩道は閉鎖されていました。
宿泊は泊村でしたが、その手前の神恵内村あたりで日没を眺めました。
【泊原子力発電所】
泊(とまり)と聞いて、妻は「泊原発?」と気づきました。なるほど北海道唯一の原発の所在地だったので、PR施設「
とまりん館」を見学しました。原子力発電の原理の解説に加え、さまざまな安全対策を繰り返し紹介していました。

ここのエピソードは次の2点です。
○温水プールが併設されていて、完全無料でした。地元対策の一環なのでしょう。
○インバウンドの団体が入ってきたので、「わざわざ原発見学?」と不思議に思いましたが、トイレだけ利用してすぐに去っていきました。
【幌似鉄道記念公園】
旧岩内線の幌似駅が当時のまま保存されていました(冒頭の写真)。1985年に廃止されたようですが、駅舎内の掲示物はそのころのもののようでした。
駅舎の隣には古い客車があり、こちらも自由に見学できました。1970年代にはこのような手動扉の客車に乗ったことがあり、懐かしく思いました。
【ニセコ】
ニセコ駅に寄りました。駅舎は洒落ていますが、賑わいもない静かなところです。

特急ニセコ号が停まっていて、なかなか発車しませんが、既に13時過ぎなのに時刻表では10:23発? 何か問題があって遅れていたようで、本来ならもうすぐ終点(函館駅)に着くころでした。間もなく発車しましたが、息子は「北海道を列車で旅行するのは危い!」との教訓を得ていました。
ニセコが外国人に人気のリゾートとして大変貌しているという話ですが、ニセコ駅周辺にはそんな様子はありませんでした。別世界になったのはスキーリゾートエリアだけなのでしょう。
【スパリゾート】
宿泊した洞爺湖畔のホテルには、スパリゾートと称する屋内プールがありました。皆のんびり遊んでいる中、息子と私だけが真面目に泳ぎました。
このようなプールでも定期的に造波するのは意外でした。深いところは穏やかな波で、ごくありふれた光景でしたが、ごく浅いところではあちこちで反射した波が入り乱れ、内湾を襲う津波のような奔流となっていました。波が限られたスペースで動くために生じたようですが、造波プールで津波のような動きを見たのは初めてでした。
洞爺湖では毎晩花火を打ち上げていて、部屋からでも眺められました。
【洞爺湖】
洞爺湖は支笏洞爺国立公園の一部であり、「洞爺湖有珠山ジオパーク」がUNESCOのジオパークに認定されています。国立公園関連施設である
洞爺湖ビジターセンターと、「ジオパークと大地の恵み展」の双方が、この地域の自然を紹介していました。有珠山や昭和新山も近く、火山活動が活発な地域です。

「ジオパークと大地の恵み展」と同じ建物に洞爺湖サミット記念館がありました。洞爺湖サミットは2008年の開催で、各国首脳の等身大パネル、会議テーブルや椅子などが置かれていました。

昭和新山の名を聞いたのは何年ぶりでしょうか。近くまで見に行くと、ゴツゴツした岩山でした。
【支笏湖】
支笏湖ビジターセンターに寄りました。湖の成り立ちや自然環境を紹介していたほか、熊の目撃情報を多数示していました(下の写真)。これでは人がいないところを歩く気にはなりません。

湖には「山線鉄橋」という赤い鉄橋があって場違いに思いましたが、大正期に製紙会社の軽便鉄道用としてよそから移設されたという歴史がありました。
【ウトナイ湖】

苫小牧で寄った道の駅がウトナイ湖です。ひたすら平らな地形で、ラムサール条約登録湿地にふさわしく、湖面に水鳥が見られました。展望台から湖を一望し、フェリーが待つ苫小牧港に向かいました。
Posted at 2025/10/13 01:38:21 | |
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