2025年10月13日
足腰が弱くなった親が、車椅子からPoloの後部座席に移乗した時の感想です。
車椅子を、扉の開いた車体の側につけ、後部座席の扉の開閉角度や、座席までの距離、高さ、助手席の背もたれを利用した自助の移動などを見ていると、私の二親の介護程度であれば、Poloサイズのハッチバックの後部座席への移乗は、さほど難しくはなさそうに見えます。
その理由の一つは、車椅子の座面と、後部座席の座面の高さが関係しているのだろうと観察します。
上体を車内に潜り込ませて座るにしても、助手席を一番後ろにして、背もたれに手を添えることができると、存外、体を安定させて車内に入れていました。
購入前、後部座席に座った感想は、座面の高さが、リウマチで体の動きに制限がある母親に、ちょうど良さそうだという直観でした。
車椅子ごと車両に搭載することができる介護車ではない枠組みのことです。
荷室の広さも、今まで必要にして十分だと認識していましたが、折り畳んだ車椅子をしまおうとすると、奥行きにあと数センチの空間が必要になりました。
これは車椅子側に、コンパクトさを求めることでも対応は可能でありましょう。
現状でも、分割シートを倒すか、トノカバーを外せば、車椅子の積載が可能になります。
そうなると、買い物等の荷物を、助手席のシートの上、もしくは倒した後部座席の背もたれの上などに置くことになります。
それを面倒に思い、このためにPoloを買い換えるかと言われれば、それはありません(笑)。
確かに、荷室のより広いゴルフ(ハッチバックetc)にすれば、このような問題を気にせずにいられますが、今あるものを最大限に活用する工夫を凝らすことは、楽しいことです。
父親は、リハビリをしてある程度回復をしてきましたが、数日家にいるだけでも、そのリハビリの成果を何割かは失うような結果になっていますので、車椅子、歩行器の必要は、まだないにしても、バギーと呼ばれる手押し車は、必要になりそうですので、これを積載することができれば、買い物にも連れて行くことができそうです。
スライドドアで、開口部が広く開き、立った姿勢のままで乗り込むことができる車両の方が、より介護に向いているのではないか、と考えていましたが、介護の程度にもよるのでしょうが、開口部が広すぎてもつかまりどころが難しくなりそうだ、というのは、私の感想です。
ただ、二人揃って車に乗せて移動させるとなると、二人分の介護用品を積み込むことができるのか、という問題もあります。
先述した通り、介護車とは別の枠組みで、Poloのことを書いています。
しばらくは、病院への移動などは、行きか帰りかは、付き添う必要があるかもしれませんが、それも別々に乗せるようにすれば済む話です。
悪徳な息子ですので、二人同時に載せなければ、問題が起こらないと考えています(苦笑)。
Posted at 2025/10/13 11:15:10 |
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介護のつれづれ | 日記
2025年10月12日
父親の退院する日の朝は、早起きをして、ゴミ出しをし、洗濯機を回して、廊下と父の寝室を軽く掃除をして、出し損ねていた段ボールや新聞紙を近くの回収ステーションに持ち込み、母親の朝食と薬の準備をして、洗濯物を干してから迎えに出かけます。
受付で入院費の精算を済ませると、晴れて退院することができます。
父親は、歩行器を使ってエントランスに停めたPoloまで歩いてきましたが、家に戻ると、ゆっくりですが自立して歩いて移動することができています。
家の中での移動にも補助が必要な生活は、まだ先になりそうです。
私としては、少々認知症の度合いが進んだ母親の、監視カメラが一つ増えたことで、ずいぶん気分が楽になります。
父と母、お互いに動けなかったら、私一人では如何ともし難いところでした。
ただ、父親も、記憶がしっかりしているところと、そうでないところと、喫緊の記憶が抜けるようなところが出ています。
都合の悪いことは、忘れたふりをしているのかもしれません(苦笑)。
ただケアマネさんとの面談の内容を、自分達の都合で後出しで変更するといったようなことは、前科がありますので、面倒ではあります。
父も退院をして、次のステージへと移ることになります。
短中期的には、機能の回復というよりも、リハビリ入院で回復した機能をどこまでなだらかに低下させることができるか、そのための日々の生活となりましょう。
年齢も年齢ですので、寮生のような規律厳しい生活を送らないにしても、決まった時間に寝起きをする、食事をすることは大事なことでしょう。
長期的には、施設への入所になります。
母親は、「脱走」すれば退院することができる、と、経験してしまったので、母一人での入所の可能性は、ハードルが上がってしまいました。
父にしても、夫婦で入所できるところがあれば、自分も一緒に入ると意思表示をしていますが、そもそもがそんなに都合も良くないだろう、と。
ただやる気だけは分かりましたので、十分に活用しようとすれば、父と一緒に入所をすれば、母も「脱走」を企てる可能性は随分と抑えられるのではないか、という皮算用ができます。
とはいえ、二人を施設に入所させることができたとしても、現在の土地、建物をどうするのかの問題が出てきます。
しばらくは、現状維持、その後は・・・といった流れになるのを想定しておきます。
Poloで出かけるのは、当分見込めそうにないかなぁ。
Posted at 2025/10/12 01:00:20 |
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介護のつれづれ | 日記
2025年10月05日
父親の退院の日も決まり、現在は、次の場面への踊り場にいます。
要介護認定4の父親の介護と、介護認定の再認定を行う母親。
父親が自宅に戻り次第、介護ベッドの設置、その他介護サービスの確認。
母親は、再認定のレベル次第ですが、現状の要支援1よりも要介護の枠組みに入らざるを得ないだろうと。
父親の要介護度では、ヘルパーさんの助力を借りることができますが、課題は、母親の性質。
外の人間を家に入れたがらない、さらには、言われて気が付きましたが、ヘルパーさんを入れることができてもお手伝いさんと勘違いして、自分の用事にも使おうとすることで、問題が起こるだろうとの指摘。
両親とも、「以前と同じ生活ができること」が主目的になっていますが、その「以前と同じ生活」では、また同じことにならざるを得ない、このことを自然に理解するには、今回の災難程度では難しいようで(苦笑)、この辺り、理解するもしないも、好きにするといいというのが、私のスタンス。
親戚筋からは、これからが金がかかると、釘を刺されます。
たぬきの皮算用では、二人の年金受給額で収まるはずですが、こればかりは、実際に生活してみないと皮算用の精度を確認することができません。
退院する前と後で、家計の組み直しをしなければなりません。
故に、これからのコストのかけどころの塩梅を探るには、生活全般への見直しが必須となるわけですが、私が「家計」を握っている間は、制御できますが、母親が手元に思うような金がないことに耐えられるかどうか、怪しいところです。
現に、必要以上の一ヶ月分の現金支払い分の金額を要求され、預けたお金が、本人もわからないことに、消えてしまっています。
叔母からは、今まで立て替えた分は、早々に、引き出しておくようにと通告を受けていますから、おそらく母親の計画では、父親が退院してきたら「今まで通りのどんぶり勘定」をする計算でいるのでしょう。
いやもう、「どんぶり勘定」も、できないのですがね。
今回の父親の入院から退院、母親の入院から脱走まで(笑)、いろいろ勉強になることばかりです。
特に、一人っ子である私は、身辺の問題解決にあたって、解決するのは自己完結にて行うことが当然のこと(それ以外の選択肢があるの?)でありましたが、半世紀も生きると勉強させてもらえるもので、問題を一人で解決するだけが全てではないことを知り、今回、周囲の人間に随分と手助けをしてもらえたのが、大変ありがたかった。
二人の親の生活が、世間様からズレていようがなんであろうが、私としては勝手にしてくれ、なのですが、なぜズレているように感じられるのかは、自分達の生活は自己完結できているのだ、という驕りがあり、さらにはその自己完結しているはずの生活自体が、二人の妄想で「メッキ」されたものであったことが、今回の騒動で私が認識した点です。
人に感謝ができないと、どういうことになるのか。
我が親の姿を見て反面教師とするのが、私の役目なのでしょう。
Posted at 2025/10/05 00:28:13 |
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介護のつれづれ | 日記
2025年09月30日
下書き機能がなくなるというので、溜めていた記事をアップします。
父親が入院をし、自分が思うようにならない生活に気が向かなくなり、生活態度を放棄していた母親が、想定通りに体調を悪化させ、ある日の深夜、寝台から起き上がるのに自力では行えなくなり、その日の朝に、病院へ連れて行き、診察の結果、入院となりました。
救急車でもよかったのですが、これは後から気づいたことですが、救急で運ばれれば優先的に診察を受けられるかもしれませんが、そのような「安易」な手段を母が知るよりも、待合室で受診まで1時間ほど車椅子の上で待つ、という時間経過を経験させておくことは、傲岸不遜の性質に染まってしまった母には、意味があることだと。
病院に行く前に、手持ちの非接触型の体温計で計測して、36℃台だったのを確認したのですが、病院へ行くと、37,9℃(驚)、もう一度測り直して37,2℃だったので、流行風邪の検査を受け、陰性と診断されてから、問診の後、点滴や血液検査等の処置を受け、一項目の数値が飛び抜けて悪いことがわかり、即入院を宣告されました。
当日は面会のため、自宅に来訪したケアマネージャー氏に、多大な尽力をいただき、動けなくなった母親を自宅寝室から無事、Poloに乗せることが出来ました。
私一人では到底できることではありません。
叔母にも、これで何度目かの救援を要請して、私では配慮しきれない母親の入院の準備をしてもらい、病室に届けることが出来ました。
父母とも入院をすることになりましたが、幸いにも助言や助力を得られることができるので、孤立感を感じられずにいます。
いやはや、ありがたいことです。
病院までの移動はPoloで行ったのですが、車椅子からの乗車、乗り込みについて、父にしても母にしても、ほぼほぼ動けない状態でも、移動することが出来ました。
車椅子のまま、積み下ろしができる福祉車両といった枠ではなく、いわゆる普通の車に乗り込むことに対して、車椅子の座面と乗り込む車の座面の高さの関係性は、乗り降りのしやすさに大きな影響は、あるのだろうと。
ただ一つ、車椅子を荷室に積み込むにあたっては、微妙に荷室のサイズが不足していました。車椅子の種類にもよるのでしょうけれど、あと5センチ、奥行きがあれば、楽に積み込むことが出来ます。
例えば、背もたれを倒す、ですが、ドタバタの当時は、その策を考えつく余裕がなかった(苦笑)。
病院から後も、自宅に戻り、入院の荷物の買い出しと再面会、さらには父親の洗濯物の回収に、買い出しも済ませて別の病院へPoloを走らせることになりますが、無意識に気が張っている中、安全に、運転をすることが出来ました。
これもありがたい。
社会の時代の転換期でありますから、社会の最小単位である家族にしても、転換期の波は訪れるのでしょう。
ただ、両親とも、「昨日の続きの生活を今日も明日も続ける」ことが、正しいことだと思い込んでいるので、自らに降り掛かった波(災難)を、時代の流れを読むことにつなげることが出来ないのは、息子ながら残念なことです。
そして翌日、病院から連絡があり、母親脱走し、捕縛され、水も食べ物も薬も点滴も拒否をして行うことができず、錯乱状態とはいえ、これ以上預かることはできない旨を言われます。
入院して脱走するなんて、ネットの情報の中の珍しい方だと他人事でしたが、まさか自分の身に降りかかるとは(苦笑)。
想定内の最悪なケースに収まってしまいましたな。
Posted at 2025/09/30 20:43:49 |
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介護のつれづれ | 日記
2025年09月28日
下書き機能が無くなるそうで、便利に使っていたのですが、残念です。
さて、父親のリハビリも順調に進み(驚き)、退院後の処遇をどのようにするのか、ケアマネージャー氏と電話で簡単な打ち合わせ。
介護認定の結果に合わせたケアマネージメントを作成していただきます。
父を担当するケアマネージャー氏は、何年も母親のケアマネも担当していただいており、私以上に、親二人の性質をよく把握しているので、お話の内容に、各方面への配慮が抜かりありません。
私は、「抜けて」いますので、そのような配慮をいただけるのは、勉強にもなりますし、ありがたい。
父親に限らず、入院していれば、自宅が恋しくなるのも当然のことで、在宅介護となれば、父親も退院できて一安心するところですが、ただし、母親の性質から推測できる障壁があります。
家に外部の人間を入れることへの拒否感を、我慢しきれないこと。
なるほど、と、入院している父親に、筆談で尋ねると、即応でそうだろうと。
父親も、退院とリハビリ入院の継続と、どちらを選択するのかと言われれば退院に決まっていますから、まずはその気持ちをどうにかして律する方向に持っていきつつ、その原因は、母親の性質の問題であるということを認識してもらうために、筆談は、ノートの見開き2ページを埋め尽くしました。
退院ではない、別のベクトルに進む場合もある、それは母親の性質上の問題が要因である、ということだけは父親も、認めざるを得ないところだったでしょう。
今回の筆談の目的は、その現状認識の一点に絞っていましたので、どれだけ認識できたかはともかく、私の目的の幾らかは、達成していれば良いでしょう。
この文章だけでは、私が母親の性質に、原因を作りすぎているようにも受け取られるかもしれませんが、私の観察するところ、親二人のメッキ生活は、そこが肝なのだろうと。
今後の展開としては、
・退院して在宅介護を受ける。ただし、ケアマネ氏も父も認める、母親の性質を覆すことが条件になる。
・別の施設への入所。入所は、父親の本意ではないが、リハビリは真面目に取り組めるので、介護認定の数値を下げることができるようになるまで、リハビリに集中してもらう。
・退院して限定的な在宅介護。介護人を自宅に入れることができないことを前提とし、自宅から施設に移動をしてのリハビリ生活。これについて、入院生活は、リハビリをする時間だけではなく、睡眠食事などの、生活の規律を正すことにも要点があるのだろうと私は判断をしていますから、在宅しながらのリハビリは、どっちつかずになる可能性が否めません。幸い、父親の性質と今までの入院生活を見ると、真面目にリハビリをするので、期待値に近い回復を見せるかもしれませんが、生活の規律は乱れるでしょう。
おそらく、父も母も、三つ目の提案には、両手を上げて賛成するでしょう。
これから今までとは別の生活をするよりも、今までの「メッキ生活」から変えなくても良い生活に戻すことができる、最も安易な選択になるでしょうから。
父親は、今回入院した原因以外にも病を患っていますので、私としては、そちらの経過観察が可能な展開を望んでいますが、実のところ、両親は全くこのことに関して、言われれば気がつく程度にしか気にしていないのが、認知症を患っているせいなのか、それとも都合の悪い現実からは目を背けたいのか。
おそらく両方でしょう。
予想の三番目の展開は、私の中では、最悪に近いケースになりますが、この辺りは、両親の面倒を見る義務が法律で定められていますし、以前からお世話になっている目上の方々からは、親の面倒は見るように、と言われていることもありますので、私は黙々と、実行するだけです。
Posted at 2025/09/28 15:21:35 |
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介護のつれづれ | 日記