
午前中、所用を作って片道二時間ほどのドライブ。
距離的には、半分ほどの時間で移動をしたいところですが、バイパスが通っていない地域は、遠くに、感じられます。
この辺りのインフラ設計も、陸運よりも水運が主だった時期の名残なのでしょうか(謎)
江戸時代の産業を、もっと、資本制経済に即していたものだと考えるのは、最近の私の指向であります。これも考えていくと、その土地柄にあった酒質を、他の土地で生活している人間が美味しいと言えるのかどうか、やはりそこには、技術というものの介在をまず見ていた方が、原則的でありますし、売れた理由にもなります。清酒の流通で考えれば、江戸時代、大坂は日本全国の物産の集積地とし値札を決め、再び全国へ流通させた、天下の台所、ハブの役割を持たされた。その大坂の近くから、江戸という一大消費地に向けた清酒が流通していったことを考えると、池田・伊丹という銘醸地が、ただ銘醸地だったから江戸向けの樽廻船に乗せられたのか、そして、池田・伊丹から移ったのが、灘であったのは、銘醸地だから灘が江戸の清酒の需要を賄うようになったのか。六甲山脈の硬水の水質、資本制経済における分業に必要な人足の確保に適していた土地柄であったからだけなのか。西国から瀬戸内海を通して流通してくる「米」と灘との流通の関係性から銘醸地となっていったのではないか、など、考えると楽しいものです。そして江戸の人間がどこから移ったのか、多くが、三河・遠州からの人間であり、彼らの江戸の生活にあった清酒の味わいというものは、どのような酒質であったのか。それと「知多酒」と呼ばれる、愛知県知多半島を中心とした中国酒の流通との関係性。土地の酒の純粋化作業は、日本の自然で醸した酒が、海外で好まれるのかどうか、ということにたどり着いてしまいますが、別に私はいいと思いますよ、人為を排除して自然に醸しました、けれども市場の要求に応じている酒質が、どれほどの偶然性が必要なのか。口で言う分には、まぁいいっか、なのです。知らんけど。
かなり脱線しました。
昼過ぎに帰宅して、普段使いをしている靴数足の、手洗いをします。
溶剤で水洗いを、汚れ具合に応じて何度か繰り返し、日陰干しにしておいて、次は、カバン、帽子、その他を、こちらも手洗いをします。
クリーニング屋さんに出そうかとも考えましたが、以前出した靴の出来栄えを見て、これなら自分で洗っても良かろうと(苦笑)
カバンに、小銭入れを出し忘れて一緒に洗っていたので、これも洗います。
ついでに、洗濯機の洗濯槽の洗浄も、溶剤を投入して洗濯機任せにしてしまいます。
ひと段落したところで、Amazonプライムで、ゴジラ-1.0が観られるということで、一時間ほど見ます。
ネタバレはありませんが、このゴジラは、米国向け。
半分ほど見て、少々食傷気味になり、観ていられなくなります。
だって、原水爆の実験をしたのは米国ですから、米国本土に向かうのが、ゴジラの筋でしょう(笑)
レンタルや、映画館などで観る場合は、よほどのことがない限り、最後まで見てしまいますが、ネット配信ですと、気になったら途中で見ないという選択肢を、ずいぶんハードル低く、実行することができてしまうことを体験します。
トップガン・マーベリックを観ていると、まさしく米国映画の本筋、こちらの方は、最後まで観ていられました。
連休の残りのタスクは、Poloのホイール洗浄と、部屋の掃除、季節の衣替えの作業です。
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つれづれ | 日記
Posted at
2024/05/05 00:20:18