
Poloの音楽調整は、全て、基準値にしています。
補正をかけると再生される音楽データに、欠損を招くと観察しています。
アクセス数の少ない私のブログで意見表明をしても、問題はなかろうと(笑)。
結論とすれば、音楽のデジタルデータの扱いを
慎重に期すことに越したことはない、です。
某動画番組で、AIの基礎設計をされたような方が、AIが人間に暴力を振るうことがあるかという質問に対して、AIは「おいしい電気」を知っているから、その「おいしい電気」の供給を制限しようとする、もしくは、「おいしくない電気」に接続しようとする人間には、危害を加えてもおかしくない、と表現されました。
AIのいう「おいしい電気」とは、具体的には提示されませんでしたが、素人の自分が、私の生活で想像をするに、電気の何らかの質がAIの「おいしい」例えば、動作効率が良くなる性質の電気を、「おいしい」と捉えるのは、人間の食生活と同様でありましょう。
そして、「おいしくない電気」は、このことから推察すれば、動作効率を阻害する成分の電気、であることも想像ができます。
アナログレコードは、レコード盤の溝に刻まれた凹凸を針がなぞることで振動として拾い、電気信号に変換する仕組み、とは、GoogleのAIに尋ねた解答です。
これは、自家発電による音楽再生になるのではないか、この自家発電の電気の性質が、出音に影響を及ぼす可能性は、AIが電気を「おいしい」と「おいしくない」と選別することができることから、十分に考慮する必要がある、と、素人は推察をします。
このことは、アナログでの音楽の再生に、CD(デジタルデータ)の音楽再生が劣る、といったような社会的認知が続いているのは、本当のことなのだろうか、と考えさせられます。
「電気の質」に電子機器の機能が左右されることがあると考えれば、デジタルデータの音楽再生についても、レコードの自家発電と同様な、「おいしい電気」を供給することから、考える必要があるのではないだろうか。
となると、AIが、その電子機器に供給されている電気が「おいしい」のか「おいしくない」のかを選別する機能を持つことも、推察することができます。
Poloのディスカバープロによる音楽再生で補正を行うと、音楽データの欠損(再生効率の低下)を招くのは、純正システムで揃えているのならば、さほど気がつかない、むしろ聞き手の求めている演出「感」を表現できるので、好む音を表現するには、適当であろうと、私は体感しています。
これは、純正のシステムでそのように「機能」する設計がなされているからだと考えるのは、妥当なことでしょう。
ここで「前提の誤謬」が生まれているとすれば、それは、「良い音」としているレコードの音の再現を考慮していないこと、と私は考えます。
もし、好む音の演出を行うのであれば、再生効率を低下させた分とのトレードオフになります。
そして私は、そのトレードオフについて、デメリットが多いと判断をしています。
音を再生するという事は、どういうことか。
再生の漢字の、再び生むとは、音楽の再生技術にとってどういうことか。
私が考えたきっかけは、そこから始まりました。
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Polo AWCHZ | 日記
Posted at
2025/05/18 20:26:49