2025年09月14日
常用しているたまり醤油の在庫を切らしたので、買い出しに出かけます。
片道50kmほどの移動ですが、今の私の生活においては十分な遠出(遠い目)。
病院の面会と食事の買い出しの近所を走る程度しかPoloを運転していないので、たまにはこうして1時間ほどの移動が、私の気分転換になります。
リラックスしすぎたのか、いつも通りの道を走っているつもりが、いつの間にか道を間違えていました(笑)。
右折するタイミングを手前で曲がってしまい、信号機のない郊外の道を道なりに、気持ちよく走っていたのですが、見慣れているようないないような田畑の風景に、途中から違和感を感じていましたが、見知らぬ信号交差点に出た時に、ようやく、自分が道を間違えていたことに気が付きます(苦笑)。
なるほど、やはり集中力が散漫になっているのだなと。
全く方向がわからなくなり、青看板の表示を見ても、脳内の方位磁石と表示されている地名がマッチングしないので、瞬時にどの方向へ行くべきか、判断できません。
このような時は、車を路肩に寄せて完全停止させてから考えるようにするのが、ナビゲーションシステムがない車の運転時の対処法でしょう。
Poloの消していたナビ画面を映して、俯瞰で状況を確認すると、行きたかった方角の反対側の地域に出てきてしまっています。
こりゃわからんと、ナビで目的地設定をして、文明の利器に助けられて目的地へ向かうことができました。
30分ほど余分に、Poloを動かすことができたと考えれば、結果オーライです(おぃ)。
目的地で、味噌と醤油を買い求め、小腹に収める水饅頭を購入します。
この後は、入院している父親の面会に向かいます。
移動時間を考慮すると、ちょうど面会時間の始まりに到着できそうです。
広域農道を走り、産業道路に出て、一路、入院先の病院へ。
移動は順調で到着した時間は、ちょうど面会時間の始まりでしたが、駐車場で5分ほど仮眠を取ってから、洗濯物の回収をしてきました。
私の体力ではショートスリープを活用すると、多少の余裕を持つことができます。
この日は、なかなかうまく時間を使うことができました。
道に迷うことも、悪くありません(おぃ)。
Posted at 2025/09/14 10:16:02 |
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つれづれ | 日記
2025年09月08日
石破首相が、辞任を決めたとの報道です。
おそらく就任前は、あんなことやこんなことをやるぞ、と意気込んでいたのだと想像をしますが、いざ実際の、大きく変動する真っ只中の世界情勢にさらされている日本の現状を説明され、それならば国益のために政治生命を使うと判断されたのだろうと、私は、石破首相の就任後の発言や行動から、推察します。
結果としては、外交に関して日本の国益にできるだけ沿うような形になることが多かったのだろうと。
内政に関しても、さほど悪いわけではありませんでしたが、取り過ぎた税金をどのように国民に、社会に還付するのかという手段について、官僚側から「公平で客観的」な情報が出されていなかったのでしょうか、実効性に乏しい今までのやり方を踏襲せざるを得なかったと、これも推察します。
国会運営にしても、野党と政策を擦りあっての議会運営は、議会政治の真っ当な姿であり、一強であった第二次安倍政権以降の自民党ではできなかったことでありましょう。国会では終始丁寧な説明をされている印象です。
問題としては、首相になる前の身の処し方が、現在のように政権が追い込まれていく時に、支持する議員の頭数が不足するという事態になったのだろうと。
そして何よりも、今までの支持基盤であったはずの地方組織から、手のひらを返されたというのが、効いたのかもしれません。
保守系の人からは、変遷する人間だとレッテルを貼られたのが、その理由ではないかと。
では、次の自民党総裁候補は、どのような人物になるのか。
やや欧州寄りでありながらも、米国、中国とも距離感を保ち、隣国である韓国とも首脳会談を行うような、「中庸」的な立ち位置であった現在のベクトルから、米国なり中国なりに擦り寄ることができる人間が、おそらく総裁候補に上がるのでしょう。
日本における保守層としては、嫌韓・中国を唱え、親米的な態度でありながらも、日本の独立を夢見る態度をもち、そして声が大きいほど幅を利かせている(笑)、と、私は観察しています。
経済思想的には、新自由主義的な、グローバリズムを好みながら、社会問題に関してはローカル優先の思想を強調する矛盾を抱えている傾向を見て取ります。
ですがこのような傾向は、私の同世代には、矛盾なく受け取れることだとも思います。
おそらく私の世代の前後に受け入れやすいのは、保守的思想を強く押し出しながらも、グローバリズムの思想をサラリと体現することができる人格でしょう。
新自由主義経済が、既存の社会を排除する産業資本主義経済の先鋭化したものであることは、この30年の日本の経済動向を見ればよくわかることです。
保守思想である以上、ローカルな社会を保護、維持していくことに価値観を持つはずですが、経済思想は、既存の社会を排除する傾向を持つという矛盾を、私の前後、同世代の人間では、見抜くことが難しい。
この辺りを意識的に見抜いていくのは、今の10代や20代の人たちであると期待をします。
Posted at 2025/09/08 21:31:04 |
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つれづれ | 日記
2025年08月27日
Poloの合理化は、このサイズで大人四人が、余裕を感じなくとも、乗り込めるということでしょう。
一人乗りにおいても、荷物も乗せやすく、かつサイズ感が(私には)適していて扱いがしやすい。動力性能も、こまるほど低くない。
家計を把握することになったのですが
この際ですから、いろいろ合理化を図ろうと。
この点、意図して全く手を出してこなかった分野ですので、
手を入れれば単純に、固定費が下がる、
もしくは、支払い支出の質を高めることになる。
このことを目的とします。
まずは非固定電話の料金。
二親はケータイを所有していますから、私が家族回線に入るだけでも差が出ます。
自宅の通信環境も、これで「光回線」を導入することができます。
今まで、格安SIMをふたつ使い分けていましたが、これを一つに絞る、もしくは、両方とも最安プランにする。
固定電話との組み合わせで、今までよりも270円ほど高くなりますが、通信品質は俄然良くなりますし、家の中では使いたい放題。
外では、今まで通り、格安SIMを使えば、ことは足りそうです。
私は、ケータイとiPhoneの二台体制を選択しています。
最近、ガジェットの見直しを考えて、iPhone一台体制、またはiPadとiPhoneの体制に切り替えてみようかとしていましたが、今回の事態において、電話をしながらタブレット端末を操作できることの有用性が高いことがわかったので、もうしばらくは、二つ折り携帯とiPhoneの二台体制を維持することに、決めました。
家の固定費を見ていて気になったのが、水道料金と冬場のガス料金。
ちょっと高すぎる、水道料金は2~3割ほど、ガス料金は冬場はこれが妥当?
水道料金に関しても、水漏れでもしているのかと最初は疑いましたが、いろいろ観察をして節約、というよりも、無駄だと思えることを削ってみると、4000円ほど削減することができたので、これがデフォルトにできるならば、世の平均値に近づけます。
ガス料金の高さは、私の部屋のファンヒーターの出力が低いのが原因かもしれないと(苦笑)、これは買い替えても十分にお釣りが来るでしょう。
これも冬場までの課題になります。
通信品質を考慮して、D社のお世話になろうと考えています。
dカードを利用するのが、総合的にお得になるのでしょう。
ただ課題としては、名義の父親が入院中に、契約の変更が行えるのか、
必要な書類やらなんやらの調査、もしくは店頭で聞いた方が早い気もします。
結果的に、安くならないかもしれませんが、上がったコスト分以上の利益を資することができるでしょう。
いろいろな段階の最悪の想定をしながら、楽観的に行動を取るようにしていますが、自分のためだけに行動をしてしまうと、後がなくなってしまうのだろうとは、この半世紀の自分の経験です。
Posted at 2025/08/27 22:39:39 |
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つれづれ | 日記
2025年08月11日
この四半世紀あまり、Tシャツを購入していたサイトが閉鎖されました。
ご廃業ということで、残念なことです。
ただこの数年間、安売りをするタイミングもあったり、そして直近では、オリジナルTシャツの製作委託先の工場も廃業するとのことで、雲行きは、怪しいよなぁと。
悪い予感は、当たらなければよかったのですが・・・。
90年代後半の、ネット通販の走りだったのを覚えています。
ネットでTシャツを買うことができないかと探していたところ、検索にヒットして、そのシャツの品質と、価格のバランス感に納得をして、愛用を続けていました。
気づけば四半世紀、特によく買う客でもなかったので、上客とは言えない私でも、買うべきところで買うことができないというのは、もの寂しい気持ちになります。
Posted at 2025/08/11 10:54:52 |
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つれづれ | 日記
2025年08月10日
親の面倒を見るターンに入った私であります。
面倒というよりも、家事全般を担うようになっただけでもありますので、
当たり前の生活をするのですから、「普通」のことです。
新しい「普通「の生活に際して、今までとは別の脳内リソースを使い始めるので、
どこか余裕がなくなります。
運転をしていても、視界にとらえられている物体が少ないので、見落としが増えたと実感しています。
今の生活環境に慣れるまで、仕事の車での移動速度を落としたりするなど、自分なりの工夫が必要になったと、考えています。
入院中の買い出しに、100円ショップに立ち寄った日のこと。
まだ新しい生活リズムに馴染んでいない中、慣れた駐車スペースに車を停めたのですが、少々斜めにずれます。
まぁ、いいや、ずれたままで、と。
この時に、今までの普段と違う行動を選択したと、初めて意識することができました。
F1のパドックのトレーラーを見て学べるのは、車を駐車枠に対して正位置に停めること。
故に、私は、車を止める際に関しては、ほぼほぼ駐車枠に対して正位置に止めるように意識をしていましたし、止めることができなければ、やり直しを、無意識下で行っていました。
そもそもが、一発で決めること、と、私は学んできました。
止め直しをすることで、その日の体調の具合を感じ取ってきていたつもりです。
そのような私が(大袈裟)、斜めに停めてしまったが、まぁいいか、と(苦笑)。
なるほど、自分に余裕がなくなると、このような判断をしてしまいがちになるのだと、自分の傾向を知ることができましたし、なぜ、普段から、駐車枠に対して正位置に、一発で止めるような学びを受けてきたのか、今になっても気づきがあることは、ありがたいことです。
やまとごころとは、才ある能力ではなく、そういうものはあって当たり前、その先にある、もしくはその根っこにある人間の有り様であるのだろうと、「本居宣長」を読んでいる感想の一つです。
Posted at 2025/08/10 10:39:52 |
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つれづれ | 日記