昨今のニュースで取り上げられる国際社会の問題は、ウクライナ情勢です。
なぜ戦争というものを人類社会は排除できないであろうかと考えます。
それは大きく考えると、私にはよくわからないことですが、自分の生活で考えれば、理不尽に自分の所有物を害されることになれば、心穏やかに自分を保つことはしにくいだろうなということから、その延長線上の出来事でもあると考えます。
その所有物が、属している社会であったり組織であったり、家族であったり、俗物的な物質であったり、人の気持ちもそこに入るのかもしれません。
満たされていたって、鳩や雀に餌を与えていれば、彼らは人間から餌を供給されているにもかかわらず、目の前の餌の取り合いを行うことを考えれば、人間が彼ら以上に悟りを開いているとは、私は考えていません。
マッキンダーの地政学 デモクラシーの理想と現実 H・J・マッキンダー著 曽村保信訳 原書房
この本を読んでいると、なるほどロシアがウクライナに「侵攻」(西側陣営の表現を使えば)する、ロシア側の理由がわかりますし、ロシアをそのように誘導した手立てもわかります。
米国はともかく、欧州の知識人がこの地政学を理解していないとは考え難いことですし、特に東欧諸国とロシアとの位置的関係から考えて、ドイツ・フランスがこのことに無策であったとは考えにくいことです。となれば、現況のような非常事態になった時に直接の被害を受けずに何らかの利益を得ることができ、なおかつ、外国に対して政治的な誘導を図ることができる組織を有している国家はどこかと考えると、手口を考えた組織が所属している国家というものは、ずいぶん限られたものになります。
民主主義国家というものに、能率や効率を求めている声というものが、どれだけ「非民主主義的な思想」であるのか、そしてそのような声をあげている人たちの思想が、右であれ左であれ、偏っていないであろうか。その偏った意見に心を揺り動かされていないか、もしくは理知的な考え方であると錯覚していないか。私は自分を観察しています。
民主主義国家における非常時の政治と国家(官僚)の関係というものが、シン・ゴジラによく表現されていたことだと、本を読んでから映画を見直しているところです。
Posted at 2022/02/27 16:15:49 |
トラックバック(0) |
つれづれ | 日記