2023年01月29日
車が点検から戻り、早速遠出をしたいところですが、稀に見る寒波が襲来するという事ですので、塩カルに、まみれて走る必要が出てくるまで、家の中でこもって過ごす事を決めた休みの日。
愛読書としているのは、小林秀雄氏の「考えるヒント」文春文庫です。
年始の休みから、熟読しています。
何度目かの再読ですが、こういうことが書かれていたか、とか、まだよくわからん箇所が出てくるのが、興味深く、何度も読み直してしまいます。
今回は、「平家物語」と次に続く「プルターク英雄伝」の構成が、二つ連なりに作られているのではないかと気づくところがあり、また一つ、勉強になります。
この二つの古典を紹介する構成は、対をなす関係性ではないかと今回気がついたことです。
「平家」は甲冑のように、生活の要求の上に咲いた花だとさえ言えるようなものがある。その構造の複雑の由って来るところにも、同じ意味合いが読めるように思われる。「平家」は、人々を、専門的な文学の世界に導こうとしてはいない。人々の日常生活から発する雑然たる要求、教えられたい要求にも、笑い飛ばしたい要求にも、詠嘆の必要にも、観察の必要にも、一挙に応じようとしている、そんな風な姿をしている。130頁
この文章に、「平家物語」が古典として現代にも語り継がれているのは、エンターテイメント性の高さ、だったのではないかと考えさせられます。
そして、「平家」とは対をなすような、エンターテイメント性の無さで、「プルターク英雄伝」も古典として残っているのではないかと。
「英雄伝」とは言うが、テミストクレスもペリクレスも、アレキサンドロスもカエサルも、一向英雄らしくはない。と言って小人でもない。ただ天性と環境とのいろいろな関係上、史上でヒーローの役を演じなければならない廻り合わせになった極く普通の人間である。近代の文人は、人間の見方や描き方について、様々な工夫を凝らして来たが、そういうものを全く知らなかったら、なるほどこのような普通な描き方になる筈だ、そういう普通な人間の姿が現れる。私達が、こう言う古典的リアリズムを物足らなく思うのも、現代人の贅沢なリアリズムに慣れ切っている、いや、恐らくこれと馴れ合っているが為だ。精到なリアリズムを誇る現代文学も、少し読書の工夫をして読めば、刺激的な挑撥的な迎合的な一種のスタイルと映ずる事もある。「英雄伝」のスタイルには、読者に迎合するところがまるでないから、これをはっきり容認して読めば、そんな男と附合ってみる楽しみも生まれ、面白そうな話を聞かされて退屈するような心配もない。136頁
「面白そうな話を聞かされて退屈するような心配もない」とは、私が各々のメディアから受ける印象を、過不足なく表現していました。
これらの共通したことは、何か。
読み手に、書き手が記したかった物事を再現させる、正確に想像(創造)させるという事ではないかと。
本も記録機なのですから、再生効率(このような概念があるかは知りませんが)が問題になってくるのではないかと考えると、「平家」も「英雄伝」も、作り方は、前者は大衆迎合のエンターテイメント性の高さ、後者は「読者に迎合するところがまるでない」、お互いに対をなすような構成であるにもかかわらず、古典として現代にまで生き残ることができている。
その理由は、「再現性」ではないかと考えることができました。
読者に「再現させる想像力(創造力)」を与える機能の高さがあることが、古典として生き残ることができる理由ではないかと。
そしてそれらは、必然的に、普遍的な、時代を超えうるといった意味合いで、性質を有することにはなりはしないか。
「英雄伝」に書かれている、ペリクレス伝を、小林氏は傑作であると評します。
「ペリクレス伝」は、「英雄伝」のなかの傑作である。それは、作者が、ペリクレスを、アテナイの黄金時代を創った人としてではなく、むしろペストの大流行と戦った如く、黄金時代と戦った人として描いているからだ。そして恐らくそれは真相だったと思われる。作者は質問している。逆境にあって卑下し、必要に迫られて、識者の言葉を聴く国民を扱うのは、幸運に思い上がり、得意になっている民衆の傲慢と威勢に轡を噛ませるより難しい事か、と。国力が発展するにつれて、人心も発展する。という事は、ペリクレスの観察によれば、アテナイが豊かになればなるほど、人心の腐敗も豊かになるという事であった。彼は、この熟慮された現実主義に立ち、理想派の言にも、実際家の言にも動かされなかった。147頁
理想派の言、実際家の言という言い回しは、革新、保守よりも優れている表現だと思います。
そして、両陣営の声の大きさに惑わされないための手段は、現実を熟慮するということだと示されています。
政治がかき集める莫大な事実の群が、ほんとうに人間的事実であるかどうかを反省してみる方が問題ではないのか。これほど事実を尊重する人々が寄り合い、これほど抽象的なドグマの相争う世界は、今日、政治世界を措いて他にない。横行しているのは、邪悪な贋リアリズムなのである。148頁
米国のメディアが、ロシアはミサイルの在庫がないと報道するのであれば、NATOにしても米国にしても、同様にミサイルの在庫がない、と考えるのは、事実を尊重していないことでありましょうか。
Posted at 2023/01/29 17:49:27 |
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