
Poloもそうですが、刺激の少ない生活を心がけていると、身の回りに刺激物が多いことに気がつくことがあります。
これは、TVや新聞などの報道を、積極的に見ないようにすると、自然、そのような傾向を持つことになったのが、自分の経験です。
もう二十年は見ていない深夜番組のバラエティを見て、面白くないものを見て、いかに自分たちが面白がっているか、その空気感を共有することが目的なのではないかと、遅い夕飯を食べながら、考えました。
それは、TV画面の向こうから、鼻面を取られて引き回されて見させられている感覚でした。
これは、しんどい、ですが、故に、引き回す側になりたがるのも、そうでありましょう。
六十年前に書かれた数学者の方の随筆で、当時、三つのS、スポーツ、セックス、シネマ(シネマはCじゃないか⁉︎いや、screenのsでしょう)の、刺激の強さに慣れてしまった世代への、情緒の醸成に対しての不安を述べられている文章を読みました。
車の選択にも、刺激が強すぎて麻痺をしてしまう傾向があるのではないかと、今までの自分を反面教師的として、Poloを選択した理由の一つにあるのですが、では、欲望がないのかと言えば、そう言うわけでもなく、ただその欲望が地味系であるのか天邪鬼であるのか、どちらにせよ目立たないだけかもしれません。
さらに言えば、サイズと動力性能的に、ゴルフⅡ、Ⅲに近似しているAW Poloで、その時代の車の使い方というものに接することにならないか、と考えてもいます。
懐古主義的な捉え方ではなく、なぜこのようなサイズ感が多くの人に受け入れられることになったのかその背景を、私の得意な「妄想」をするということになります。
いや、書き出してしまうと、ますます地味系で・・・。
それはさておき、Poloにおける欲望は、アクセルとステアリングのきっかけで、車の動きがパッと出てくれることでしたが、Poloの現状は、その欲望を十二分に満たしてくれています。
車の見た目も、私の欲望も地味系ですが、楽しく運転させてもらえています(ニヤニヤ)
Posted at 2023/11/12 15:25:01 |
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Polo AWCHZ | 日記