
洗車ネタも、あくまでも、私の脳内プロセスのみを綴ります。
世の中の符牒にあるように、手の入った洗車をするということが、手数をかけることと同義語になっているのは、なぜなんだろうかと考えます。
私としては、溶剤一本でことを済ますことができるのが、資本制経済社会における製品の革新性であろうと、睨んでいます。
水垢や、化学的な汚損、自然に由来する汚損など、全てを綺麗にすることができれば問題はないのですが、どうもそれぞれに手当てをするのが、手当てをさせる溶剤を展開しているのが、洗車業界の「符牒」であるように見受けられます。
となると、この「符牒」から外れることは、洗車社会(?)から外れることにもなりますので、なかなか難しい問題になります。
車が汚れる、洗車、コーティング(ワックス)、汚れる、洗車、コーティング(ワックス)を施工するために剥がす洗車?、コーティング(ワックス)施工、というルーティーンが考えられます。
この中に、簡易コーティング(ワックス)という作業が入るようになっているのが、現代流でありましょうか。
コーティング(ワックス)を剥がすための洗車、というものが、今ひとつ、私には理解し難いものでもあります。
あまり機能性のよろしくないものであったのか、それとも、しっかりとした下地が常に必要にしている溶剤であるのか。
とはいえ、今回の「新しい溶剤を使った洗車の手立ての確立」に関しては、手数が増えるということが前提となっていますので、どこまでの手数の増加を認めるか(何様)、というのが肝になる気がします。
汚れの除去がしやすく、小傷が簡単に消えて、ワックスの「ような」ぬめり感が出ればそれで良いというのが、私の帰着点であります。
高機能化については、別途、課題とします。
この帰着点に対して、できるだけ手数を少なく組み合わせていくか、もしくは、勉強のために、できるだけ手数が多い組み合わせを考える(笑)、ということも選択肢にありうるわけです。
Posted at 2023/12/29 22:16:22 |
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洗車 | 日記