
ほぼ暦通りの休みがありますので、出かけて渋滞や事故渋滞に巻き込まれるのを避けて、洗車メンテナンスに勤しみます。
まずは、仕事車から(笑)
何せ、数ヶ月に一度、水洗い洗車をする程度の管理状態ですので、年に一度のメンテナンスをいかに、効果よく行うかが、この一年の、美観機能に関わってきます(大げさ)
手持ちの在庫しか無くなった溶剤を、使い切るつもりで選択。
久しぶりに使ってみると、これを継続して使用できれば、ずいぶん楽だったのに、という感想。
全体を軽く施行してみると、残量から推測すれば、後二、三回は施行することができそうです。
のちのことを考えると、ここは、早々に使い切って、次の溶剤の出番を迎えることを決めます。
気になっていた、後づけのETCの配線処理。
限られた時間で手際よく設置しなければならなかったのか、結構適当(苦笑)
新車時、ETCの取り付けをDラー側に任せたMINIとPoloの場合、それが起因と想定されるダッシュボード内の低級音の発生につながっている経験がありますので、現実を見て、納得。
気になったのは、電源取りの位置。
社外品の1DINのオーディデッキを使用しているので、変換カプラーからの電源線が余っているはずなので、そこからとっているかと予想していましたが、配線コネクターを使用して、カプラーの、本体側の配線から電源をとっています。ちゃんと1Aのヒューズをかましてあります。
個人的には、手直しが効かない本体(車体)側の配線に、配線コネクターを接続するのは、このような場合で良いのだろうかと疑問に思うところです。
インスタントのラーメンが美味しいというのと、説明のつくものしか使っていない材料で作られたラーメンと、その美味しさの違いを相対的に比較しても、それは不毛にならざるをえないというのは、どのような美味しさを求めている基準が、最終的には「趣味」にされるからだろうと。
ゆえに、自分が何を求めているのか、その帰着点から逆算して「考えていく」、そういった姿勢が、「趣味」の不毛な論争から、距離を取ることができそうだと、洗車メンテナンスを考える時に、注意していることであります。
自分の生活から考えれば、電源のノイズの軽減による結果を考えると、もっと見えない知らない判断基準が世の中には存在をする、と想像をすることができます。
論理的に物事を考えることの乱用から考えられるデメリットは、自分の知らないことを知ることができない、でありましょう。
これを「知識」と「知力」で区別しているのは、このようなことは、古からの人間の習性なのだと考えます。
「論理的に正しくとも、人間世界でも正しいとは限らない」とは、論理学の創始者の警鐘であります。
Posted at 2024/04/29 10:47:05 |
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