2025年02月06日
合併話を破断にして、日産、よくやった、という人のポジションは、どこなのか。
息も切れ切れ、あともう少しで絶命するかもしれないという状況で、どのような背景があるのかは知りませんが、渋々手を差し出したホンダに、対等合併ならいいよ、なんて言えるプライドの高さだけは立派なものです。
それを、日産の経営状況を貶めた現経営陣が決定したというのですから、日産という会社の、社内政治にしか目を向けない体質というのは、潰れてしまわなければ、解消できないものでしょう。
これを、バカは死ななきゃ治らない、というそうですが、私はこの諺に注釈があると教えられました。
死んだらバカでも何でもなくなるからな、その意味がどういうことかを考えるように、と。
20年前に、日産のレースエンジンの開発をおこなっていた方の回顧録を読んだことがあります。
日産の派閥闘争に巻き込まれ、レースエンジンやら何やらの開発の邪魔をされ、後年、邪魔をしていた人物の一人から謝られた、といったようなエピソードがあったことを思い出します。
今回にしても、仮に、海外資本の救済があり、取締役の何割かが解任されたとしても、再び業績が回復をするまでの間、潜伏していれば良い、と、社内政治の都合で考えていてもおかしくはないだろうと、私は想像をします。
来る日のそのために、日産の社内に人間を仕込んでおく。
ですが、カルロス・ゴーン氏をあのような形で追放した日産(と日本国官僚)に対して、アングロサクソン側は、今回は手を出さないでしょう。
となると、アジア系の資本が手を差し出す可能性もある。
その彼らが考えることは、自分たちが第二のカルロス・ゴーンにならないこと、でしょう。
いくら日本の官僚が言いくるめても、手を出す資本の要求は、日産の徹底的な解体を条件にするだろうと。
技術と必要な人材だけ引き抜いて、後のものは全て売却。
何なら、日産の遺物を一切残さないということも考えられます。
これは、カルロス・ゴーン氏を追放した現経営陣と官僚組織が、自らが招いた未来の一つだとも考えられます。
となると、天下り先が減ってしまう官僚組織が困ることになりますから、日本人の血税と海外資本の投入で再び日産を延命させる、このような結末も、まだ現実味が残ってます。
ただ、時代の流れの変わり目にあるような世の中で、これがどこまで通用するものか。オールドメディアや、SNSでの日産擁護の論調が出てくるタイミングが、いつなのか。
働いている人が職を失ってしまうことがかわいそうだ風潮が、この流れの基盤となることでしょう。
後もう一つ、きょうびの保守的論調の好まれるところから、国内の歴史ある大企業を海外資本に乗っ取られる、といった角度からも世論に、同情の喚起を促すことにもなるでしょう。
この辺り、私の父親が、産業資本主義経済社会の構造変換時において、会社の倒産による失職を目の当たりにしていますので、産業資本主義経済社会においては、社会構造の変換時に、舵取りを間違えた大企業が倒産するなんて当たり前のことだろうと、突き放した意見になってしまうのは、ポジショントークであります。
Posted at 2025/02/06 23:14:43 |
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