2025年09月07日
新しい環境になってひと月が経ちます。
入院中の父親の面会も、ルーティーン化することでストレスを軽減させるようにしたり、一日置きに間隔をあけてみたりと色々工夫をしてみると、一日置きにするだけでも使える時間が随分と増えるような錯覚になります。
かけている時間は同じなのに、家の買い物をする時間に、余裕ができるのが、よくわかります。
仏壇に供える仏花を買ってきて、水を張った洗面器に入れ一晩おいて、翌朝取り出してみると造花だったことに気がつくのには苦笑するしかありません、余裕なんてどこにあったのやら?(苦笑)。
我が家は、経理をはじめ、「いろいろ」なことが、どんぶり勘定で行われていたことが、よくわかります。
どんぶり勘定を否定するわけではありません、私もどんぶり勘定なのですが、どうやら私の方が精度が高いようです(鼻高)。
つまるところは、考えることと計算すること、この両者の均衡を、各々の生活の中で取ろうとすること、なのでしょう。
考えるだけでは、どんぶり勘定になりますし、計算するだけだと、何事も効率化が善となり、善から外れる思想や行動を排除する傾向にならざるを得ない。
二親にしても、今考えられるのは、現状の生活に陥った理由を、息子の不出来さに、いかにさりげなく押し付けるか、といったところ。
うちの二親を観察していると、公的機関から認められたわけではありませんが、認知症というものが、現実社会とその人との社会との関係性を、どのように変えていくようになるのか。
変わっていくように見えるのは、他人から見ている限りのことで、本人にとっては、変わっていないのかもしれません。
Posted at 2025/09/07 12:59:42 |
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介護のつれづれ | 日記