2025年10月05日
父親の退院の日も決まり、現在は、次の場面への踊り場にいます。
要介護認定4の父親の介護と、介護認定の再認定を行う母親。
父親が自宅に戻り次第、介護ベッドの設置、その他介護サービスの確認。
母親は、再認定のレベル次第ですが、現状の要支援1よりも要介護の枠組みに入らざるを得ないだろうと。
父親の要介護度では、ヘルパーさんの助力を借りることができますが、課題は、母親の性質。
外の人間を家に入れたがらない、さらには、言われて気が付きましたが、ヘルパーさんを入れることができてもお手伝いさんと勘違いして、自分の用事にも使おうとすることで、問題が起こるだろうとの指摘。
両親とも、「以前と同じ生活ができること」が主目的になっていますが、その「以前と同じ生活」では、また同じことにならざるを得ない、このことを自然に理解するには、今回の災難程度では難しいようで(苦笑)、この辺り、理解するもしないも、好きにするといいというのが、私のスタンス。
親戚筋からは、これからが金がかかると、釘を刺されます。
たぬきの皮算用では、二人の年金受給額で収まるはずですが、こればかりは、実際に生活してみないと皮算用の精度を確認することができません。
退院する前と後で、家計の組み直しをしなければなりません。
故に、これからのコストのかけどころの塩梅を探るには、生活全般への見直しが必須となるわけですが、私が「家計」を握っている間は、制御できますが、母親が手元に思うような金がないことに耐えられるかどうか、怪しいところです。
現に、必要以上の一ヶ月分の現金支払い分の金額を要求され、預けたお金が、本人もわからないことに、消えてしまっています。
叔母からは、今まで立て替えた分は、早々に、引き出しておくようにと通告を受けていますから、おそらく母親の計画では、父親が退院してきたら「今まで通りのどんぶり勘定」をする計算でいるのでしょう。
いやもう、「どんぶり勘定」も、できないのですがね。
今回の父親の入院から退院、母親の入院から脱走まで(笑)、いろいろ勉強になることばかりです。
特に、一人っ子である私は、身辺の問題解決にあたって、解決するのは自己完結にて行うことが当然のこと(それ以外の選択肢があるの?)でありましたが、半世紀も生きると勉強させてもらえるもので、問題を一人で解決するだけが全てではないことを知り、今回、周囲の人間に随分と手助けをしてもらえたのが、大変ありがたかった。
二人の親の生活が、世間様からズレていようがなんであろうが、私としては勝手にしてくれ、なのですが、なぜズレているように感じられるのかは、自分達の生活は自己完結できているのだ、という驕りがあり、さらにはその自己完結しているはずの生活自体が、二人の妄想で「メッキ」されたものであったことが、今回の騒動で私が認識した点です。
人に感謝ができないと、どういうことになるのか。
我が親の姿を見て反面教師とするのが、私の役目なのでしょう。
Posted at 2025/10/05 00:28:13 |
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介護のつれづれ | 日記