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2025年10月19日 イイね!

どこかに行ったお金の話

さて、先月、すったもんだの結果、必要以上の現金を母親に手渡しましたが、結果は、私の予想通り、行方不明に。

私としては、既成事実を作るための投資だと認識していますので、母親が、気がついたら無くなっていた、と言われても、さもありなん。

さらには、動けない私が使えるはずがないのだから、息子が勝手に持ち出していったに違いない、と決めつけられ、年金を吸い上げる息子の悪徳がまた一つ、加算されることになりました(笑)。

この裏事情としては、母親が入院したその日に、書類が必要になり探していたところ、母の棚に、お金を入れてあった封筒自体が無くなっていることを気づきます。

これはおかしいと、思いつく箇所を探りますが、当該の封筒を見つけられず。
病院を脱走をして退院させられた母親に、封筒のありかを尋ねると、本人も覚えておらず、「きっとどこかに仕舞い込んだ」と。
月末でしたので、突飛の支払いがあるといけないと、別に、5千円を入れた封筒を渡したのですが、これも消えてなくなります(笑)。

消えてなくなった理由は、末日に配食の支払いをするために、彼女の目の前で封筒の中身を出して、現金2千円と、千円札が折り畳まれて膨らんだポチ袋を見つけます。
ポチ袋は無視して、2千円と不足分のお金を私の財布から出して、支払いを済ませました。

この事実が、彼女の中では物語化し、私が勝手に封筒の中身を開けてお金を取っていった、ということになります。

さすが、悪徳な息子です(苦笑)。

悪徳な息子は、認知症が進行した母親にも容赦をしませんから、なぜ5千円が無くなったかを、時系列で話をしていきます。
当然、ポチ袋の存在と、私が5千円を取っていったことの整合性が取れなくなりますから、母親の論拠は崩れますが、彼女の尊厳はそれを許しません。
無くなった別の封筒についても、あれはお前が勝手に持っていったに違いない、なぜならば私は動けないからだ、と、彼女の中で通用する論理を展開しますが、支払ったお金と残金の確認をすると、いくら残っていたかもわからず、また話を5千円の封筒の話に戻す、ということを繰り返します。

同じ土俵に立ってしまうとこんなものですが、この日は、あえて土俵に立って、まだ不可思議くらいしか認識できていない父親に、母親の認知症の進行具合を現実として見せつけると考えていました。

私としては、味方にはならんだろうけれど、敵にもならんだろう程度を期待していましたが、父親には父親の都合、使い込んだお金の話をなんとしてでも逃れたい考えがあるので、認知症を見せ始めている母親を利用する方が、自分に都合が良いことに気がつき、母親側への立ち位置を明確にしました。

今まで使い込んだお金を、認知症を患い始めた母親が、もう調べることができないと気がついたのでしょう。
となれば、このまま墓場まで逃げ切ることができると、父のそれ以後の言動から、私は理解しました。

そして母親の視点からは、父親が使い込んだことを母が認識をすれば、私が家計を管理することに正当性を持たせてしまうので、母が主張する、家計の権限の返還は、ほぼ、不可能になります。
母親は母親で、父親の使い込みに関しては、知らないふりをするかもしくは擁護をしないと、自分の主張を通すことができなくなります。

この二人の親の態度に、私としては、頭がチンチコチンになりながらも、どうせなら父親の話も聞き出してしまえと、矛先を変えて、使途不明金の話に足を突っ込みます。
父親に話を向けると、話を広げますがこれは想定通り、なかなか巧妙な嘘(事実を自分が被害者であるかのような話)を構築しています。
母親は机の向かいで、錯乱したように声を上げていますが、本人も何を言ったのか覚えてはいないでしょう。

父親は、使い込みの詳細には触れず、自分が突き詰められることを回避するために、のらりくらりと話を揺らします。
私も追い込みはせずに、知りたかった事を引き出すように話をします。
するといろいろ合点がいく言質を得ることができました。

使い込んだルートとしては、いくつか考えられます。
そのうちの二つのルートの言質を得ることができました。
一つは、治療費。もう一つは、虚栄のための出費。

治療費に関しては、手元にある領収書の金額だけでは到底間に合わない出費をしているはずですが、その高額の領収書だけが、見当たりません。
高額治療を行うのは勝手ですが、その金額の量分も弁えず、家族に相談もなく、まして母親の治療を放って自己を優先する態度に私は、納得をしていません。

もう一つのルートは、身の丈を顧みず、ローカル社会で虚栄を張るがための出費が、収入の半分以上になっているのは、趣味の世界とはいえ、異常でありましょう。

我が親ながら恥ずかしいというか、見方を変えれば我が親故にこうなのだろうと。

以前近しかった人から、見栄を張った車に乗っている人と将来を共にするのは、信用ならない旨を、言われたことがあります。
身の丈に合っていない見栄を張った車とは、Poloのことでした。
私の身分と収入からして分相応、といえない分は、私の趣味が自動車にまつわることだけですので、その分を加味すれば、さほど問題はないと私は判断をしていましたが、その判断は、甘かったのだと、今回の両親の性質を見ながら改めて反省をしました。
私の身の丈に合っていないPoloを、「円安後のゴルフの金額」と間違えているという、相手の認識の誤謬はありましたが、私は直観で、Poloとゴルフの違いを言っているのではない、見栄を張っていると(誰かに)思われても仕方がないような選択をする、私の価値観との相違を主張しているのだと考え、私は、彼女の信用を得ることができなかったのだと認識し、反論も同調もしませんでした。

それで今回の一件から、なるほど、私の言動や行動に、相手から見たら「見栄を張っている」と認識されたのは、両親の性向を無意識に身につけている私が、十分に配慮しているつもりでも、実は配慮が不足しているからだと気がつかされました。

さて、話が横にそれましたが、結局、両親の金銭管理については、阿呆な話にしかなりえないと判断をしています。
阿呆な話とは、両親にとっての生活費とは、二人のメッキ生活を成立させるためのものだからです。
そこに客観的事実や、ある一定の時間の経過を共有した共同体の価値観(道徳)からの「監査」を、必要としていません。

私が突っ込んだお金(両親の入院治療費その他)を諦めて家計の権限を返還すれば、こんな阿呆な話に付き合うことも無くなりますが、それで良いのかというのは、私の倫理観でもありますし、貸した金は返せよと、私の本能が言っています(苦笑)。
Posted at 2025/10/19 20:26:32 | トラックバック(0) | 介護のつれづれ | 日記

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