2025年10月29日
ブラッシュアップされた演出と、醸している酒は、どの程度リンクしているのだろうかと、直売所で「ひやおろし」を購入。
常温のまま開栓。
ガスが軽く溜まっていたのか、ポンと音を立てて王冠が抜けます。
色合いはクリアな淡麗、味わいは、ややフレッシュ感を感じながらも、味わいの骨太さを想像させ、喉越しはキリッとアルコール感強く切れます。
この演出は、多くの飲み手が共感できる、まさに辛口。
二日目、三日目は味が落ち着かず、よく暴れる印象。
四日目以降になると、やや落ち着きを見せ始めます。
その頃になると、味の骨格もよくわかるようになり、旨味の演出と最後に感じさせる僅かな甘味とのバランス感の良さは、味わいは多くとも飲みやすくする印象。
白味噌よりも赤味噌に合うのでしょう。
食中酒を目指しているのは、蔵の文言からも、飲んだ酒からも、
そのような意図を感じられること。
数年前に比べて、酒質に雑味がなくなった印象を持ちますが、味わいが減ったわけではない。
インフレの時代は、価格を上げることができ、売上を期待することができやすくなるでしょうが、消費者からその価格に見合ったものなのかどうかを、強く見極められることにもなるでしょう。
Poloのシートポジションを見直した私としては、安上がりなものですが、見直した結果は、安上がりなものではない。
体格の変化に合わせたシートポジションの修正に、それを怠っていたことを学ぶことができました。
それと、ご飯の食べる量を増やさないと、カロリー摂取が少ないままになってしまいそうですので、こちらも適正化を目指します。
政治の世界も、ポジションの修正が図られているのでしょう。
国や地域によって適したポジションは異なる、と考えるのは、私にとっては「普通」なのですが、これを共通した価値観の元で統一しようというのが、普遍主義であり、リベラル主義が好む、カントの永遠平和の理屈を、世界中のどこもかしこでも通用させようとした結果がリベラル主義に反動をする保守的な政権が誕生する理由であろうと、私は考えます。
日本酒にとって、適正化というものがあるのか、もしくはそれが必要なのかは置いておき、剣菱を始めとした濃醇な味わいの酒造りは、伝統を継承する保守的なものと言っても良いでしょう。
それに反動したのが、精米歩合をとにかく低くし(多く磨いて)、(文字通り)淡麗、かつ香り立つ酒造りとなったと考えます。
これらの「韻」は、江戸時代中後期の主流であった「灘の酒」に対する反動であると考えます。
そして現在、精米歩合を低くするのも行き着いた感が出て、その反動で、精米歩合を高くする酒造りも増えてきたというところでしょう。
背景には、製造コストの高騰も関係するのは、無論のことです。
自動車も、内燃機関に対する反動としてのEV、という対立構造では、あまりバランス感がよろしくなかった。
短期的に、資本の運動を効率化するには、都合の良いやり方だったのかもしれませんが、資本家のために、金融資本家のために、その他の人類社会が存在するようなやり方では、これもどうでしょうかね。
右も左もどちらもバランスを崩すと、その反対側へ傾くようになっているのが人類社会の法則なのでしょう。
ただその反動も過度なものになるとバランスを崩し、これもまたさらなる混乱の元になる、と私は考えています。
Posted at 2025/10/29 10:41:11 |
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