行き着く先は信仰の対象となって、山の上でお酒を造るところしか見えません(謎)
清酒における製造方法において、生酛だ、純米だ、木桶だと
今年になってメディアも取り上げていたので、
10年ほど前からそのような製造も行なっている大手の酒蔵の資料館を巡ってきました(毒)
私の結論としては、口に入れて美味しければ
どのような造りでも良いとは思いますが(おぃ)
そのような私の結論は置いておいて、見て回った感想は、
江戸時代にせよ明治・大正・昭和の時代で
木製品を使用する製造というのは、手入れが大変手間であったろうということです。
木樽、木桶の製造が分社化されたのも、灘での清酒の製造と運搬が
大きくなった結果であるとありました。
それは、資本の都合で蔵が抱えているよりも、
分社化したほうが資本の運動において効率が良くなったからでありましょう。
そして現在、蔵が抱えるというのも、それは伝統文化の保護の一面よりも
より資本の運動の効率化が望めることでもありましょう。
私は、アルコールに対して処理能力が弱く、ゆえに距離感を持っているからか
随分と乾いた考え方をしています。
菊正宗の樽酒も、随分と美味しく感じる理由は、
味わいのバランスの高さだと思います。
杉の香味で最後を締めるために、どのような酒質設計にするのか。
バランスが崩れたものは、味わいがわかりやすくてハッと思いますが、
美味しいかどうかは、また別のお話かもしれません。

Posted at 2021/03/14 17:33:26 |
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Polo AWCHZ | 日記