アサヒビールの主力ビール商品である、スーパードライを全面リニューアルするとのニュースが上がっています。
ネットメディア、特にYahoo!のトピックスに上げさせるまで、宣伝コストをかけての力の入れ具合というものには、メーカーの意気込みが見えますし、小出しに時間をかけて周知させていくというやり方も、セオリーに沿ったやり方なのでしょう。
スーパードライの存在価値としては、発売にあたっては、徹底した消費者の嗜好の調査を行い、どのような味わいの設計にするのか明確にし、その味わいに沿った製品を開発したというところにある、ような気がしています。
中身が、発泡酒の先駆けかよ、なんてことはあるのかもしれませんが、ないのかもしれません。
この辺りも、アサヒのスーパードライというビールにどのような態度を取るのが正しかったのか、その時代の人それぞれの生活圏、文化圏に大きく影響があった時代でもありましょう。情報が現代ほど飛び交うこともありませんでした。
自由と平等は併存しづらいのに、イデオロギーの如く声高に叫ぶのが正義となっている世の中である以上、平等の名の下に自由は制限されていくことになります。
発売当初、一般的にと断りを入れさせていただき、保守的な思想に心地よさを感じている方々は、スーパードライに対して距離を取ったスタンスを選択していたと、私は観察しています。
アーリーアダプターや、新しいものに抵抗感の少ない方々を革新的というのであれば、そのような方々がスーパードライに対して積極的に取り込んでいくスタンスであったと。
そのようなスーパードライが、ビールの代名詞のような存在になったということは、革新が保守に切り替わることを意味しています。
そのスーパードライをどのようにリニューアルするのか。
四半世紀前でしたら、何年かに一度は各ビールメーカーの商品が味のリニューアルだと宣伝文句を打ってきた記憶がありますが、昨今そのような宣伝文句をとんと見かけなくなっていましたので、スーパードライのリニューアルというものは、ビール業界にとって賑やかし以上に注目される出来事でありましょう。
宣伝広告の重要性は、そのものの本質を限りなく伝えること、の前に、存在を知らせて消費者にお金を使わせるだけに値すると思わせることに力点が置かれすぎてしまうと、スーパードライの「辛口」ということは、どういうことなのかを考えずに過ごしてしまいます。
日本酒の「辛口」ブームとの関連性も指摘されるところでありましょう。
消費者の食生活の変化、ビールと食べ物の関わり合いの変化を正確に把握して商品開発をした(であろう)スーパードライ。
リニューアルにあたって私は、この韻をどれだけ踏んでいるのかに注目をしています。
四半世紀前の食生活から、現代の食生活の変化を読み取り、この先の消費者が嗜好するであろう味わいというものをどのように表現するのかしないのか。
宣伝広告のパターンとしては、三段ロケットというやり方を、四半世紀と同じように踏襲している、とも見えるのが興味深いです。
前回のスーパードライも、三本柱の一つとして開発されていたようですし、現在においても「スーパードライジョッキ缶」「アサヒ マルエフ」と、リニューアル前に先行販売させた商品の売れ行きも好調のようであります。
スーパードライが革新的な商品から、保守的な、いわば「革新的」なものから攻撃を受ける立場になってからのリニューアルという決断を、どのようにメーカーは裁量をしたのか。気になるところであります。
保守・革新から考えれば、スーパードライの革新的な味わいは現状では保守的になり、その保守的なスーパードライの味わいを革新として批判するのは、実は「アサヒ マルエフ」となっていると観察します。他社から見ればサッポロの黒ラベルでもエビスでも構いません。
四半世紀前、居住地域でマルエフを取り扱っている数少ない飲食店に行き、辛くないアサヒビールに素直に「美味しい」と感じましたが、その時の食べ合わせは「中華料理」でありました。
保守と革新は、時代によって、地域によって、中身が同じでもかけている看板は違うものになります。
この四半世紀のグローバリズムのビジネスの中で、よくマルエフを生き残らせてきたものだと。
トヨタで言えば、カローラの看板を下げずに今まで生き残らせてきたことが、電動車にも生きるのではないかと、私は勝手に観測しています。
Posted at 2022/01/10 16:04:46 |
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