
長岡市に到着したのは、午前10時前。
所用の予定時間には、まだありますので、久しぶりに「山本五十六記念館」と「河井継之助記念館」に赴きます。
二つの記念館は、歩いていける距離。
前回、河井継之助記念館に訪れたのは、山本五十六記念館にパンフレットがあり、知らないから行ってみよう、と伺ったのがきっかけでした。
司馬遼太郎氏の「峠」も読み、映画も見てからの、二度目の訪問になります。
江戸幕府瓦解の時代をどのような視点で捉えるのか。
「西洋」の資本制経済社会をどのように取り入れるのか、そして、誰が主導権を握るのか。
江戸幕府由来の権力集団か、それとも、新規勢力となるのか。
1800年代後半において、マルクスの『資本論』はともかく、資本主義経済社会の仕組みを捉え、国家、経済、民族(労働者)、官僚機構について、西洋の考え方を知った日本人たちが、どのような行動をしたのか、と考えるようにすると、坂本龍馬にしろ、河井継之助にしろ、資本制経済の功罪をよくよく知った上での、各々の行動であったろうと。坂本龍馬は、老荘思想が強く、河井継之助は儒学、朱子学の思想が背景にあった、と。
中国大陸の文明の停滞が、資本制経済の抑止の結果の一つであったとすれば、東洋の思想は、一度は、資本制経済の「毒」を経験していることにならないか、というのは、私の妄想です。
2000年代初頭、四半世紀前の思想を、古い古いと排除しながら、自分達がその四半世紀後に、排除されないというのは、これいかに。
長岡駅構内にも足を伸ばして、駅構内にある本屋で、探していた文庫本を見つけ購入。
駅から歩いて長岡ヒカリエにある、図書館にも訪問。
ワンフロアの敷地に、背の低い本棚と高い本棚と、点在する机の配置は、最近のオシャレな図書館であります。
円形のソファーは、気になった本を、ちょっと読むのに塩梅が良い。
長岡駅周辺を簡単に散策して時間調整をし、所用を済ませます。
主目的の所用は、ちょっと期待外れだったかなというのが印象でありましたが、私が受け身になっていたのがその原因だったかもしれません。
この日は、図々しさが引っ込んでいた日だったかもしれません(苦笑)
今回、考えることができたのは、飲んだ清酒の「フレッシュ感」を、「美味しい」と表現するのは、正確なことなのだろうか、ということでした。
無濾過、生原酒、新酒、エトセトラと、新しさを想起させるような「かんむり詞」は、何をあらわしているのだろうか、とか。
話が逸れてしまいます。
さて、土産物を買いに、長岡イオンに向かいます。
イオンということもあったのかもしれませんが、関東由来のブランドが多く、長岡名物というよりも、長岡市内での手土産的なセレクトになっていました。
長岡駅構内の販売店の方が、場所柄、私の目的に合っていたかもしれません。
下調べの不足感が、こういうところに出てきやすいですね。
長岡ICから高速に乗り、昼食を済ませていなかったので、夕方過ぎの米山SAで、昼食兼夕食を済ませ、小休憩をしたのちに、出発。
交通量は相変わらず少なく、苦手な上信越道も、明るい時間に通過できたからか、疲労感少なく走り抜け、常の休憩ポイントである松代PAにも寄らず、みどり湖PAまで走り切ってしまいます。
岡谷JCT手前のトンネル工事で追越車線の規制があり、渋滞がどれほどかと思っていましたが、それまでの2キロ渋滞の表示は、みどり湖PAで小休憩している間に解消されていました。
中央道に入ると、ますます交通量は少なくなり、日付が変わる頃のような、もっといえば、コロナ禍の緩い行動制限となっていた頃を彷彿とさせる少ない交通量。
具体的には、前後に車両がいない貸切時間もあり、車両がいたとしても4、5台の集団を抜けてしまうと、また貸切状態に戻るほど。
駒ヶ根SAで、最後の休憩をして帰るというのがパターンでしたが、休憩するほど疲労感もなかったので、休憩せずに、そのまま高速を走り切ってしまいます。
Poloのエンジンオイル交換後は、エンジン音がますます静かになり、速度も作りやすく、巡航速度を維持するのがとても楽になり、より小さく回るように感じましたので、ステアリングの入力を調整することを、行きしな意識をすると、真っ直ぐ走らせやすく、旋回も当然、アウト側、イン側につけるのも、さらに非常に、容易に、行えるようになりました。
こういった運転のしやすさの積算が、疲労感を軽減してくれる要因になっていくのでしょう。
やはり自動運転だけなんて、勿体無い。
ありがとうございます。
Posted at 2024/06/09 17:42:00 |
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