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2024年08月31日 イイね!

征地球論 つづき

征地球論 つづき1980年代の14歳の少年は、社会の理不尽さに(自分の思うようにならないことに)爆発寸前の心のはけぐちとして、不良仲間の部屋を訪ねる。

「なんかおもしろいことないか。」
「こりゃおどろいた」
「どんな風の吹きまわしかね。」
「おれのことを両親はまるっきり理解しようともしない。」
「おれは今日こそ家庭をすてる決心をしたんだ。」
「そんなもんよ。少しおそかったが目覚めたことはまあめでたい。」

といって、駐車場に止まっている自動車を盗み出そうとします。

自動車の、オー次郎型宇宙人の解説。
「車ー。歩くしか能のない地球人の使用する空間移動手段。」
「使用するエネルギー源は、地下から発掘される液体だ。この液体が生成されるまでには数億地球年の年月を必要とし、しかも、埋蔵量は有限である。」
「地球人の不可解さはこの点にもあるのだ。」
「間もなくおとずれるエネルギー危機を予測しながら、一方、大がかりな浪費が平然と行われている。」
「この液体にかぎらず、天然資源の浪費は、鉱物・植物あらゆる面において加速度的に進行しているのだ。」
「だからさっきからいってるだろ。地球人社会は破滅に向かっていると。」

画面が切り替わり、マージャンをしている会社員たち。

「根性といえば・・・近ごろの若い者は・・・。」

この地球人会社員の言葉に、オー次郎型宇宙人が反応をします。

「聞いたか?!あのことば。「近ごろの若い者は・・・」あれこそは、地球人社会の衰退傾向をうらづける重要なカギなんだぞ!!」
「これまでに集められた地球人探査のデータを検討してみると、今の、あの世代もかつてはアプレゲールと呼ばれ、その前の世代から白い目で見られていたのだ。」
「世代をさかのぼってもこのことばは、くり返し記録されている。歴史時代の始まりであるエジプトの碑文からさえ、このことばが解読されているのだ。」
「これをようするに、古い世代は常に新しい世代に失望しつづけてきたということだ。つまりこれは、地球人社会がわるくなる一方だという証明にほかならぬ。」
「われわれが手を下すまでもなく、自然崩壊は目前なのだ‼︎」

この言に対して別のオー次郎型宇宙人が、反論をします。

「その見方は一方的すぎるのではないか。全データからその正反対の結論をみちびき出すことも可能だよ。」
「なんだと!?」
「新しい世代は常に古い世代に失望している。社会改革の中核になってきたのは常に若い世代なのだ。この繰り返しは無限に、世代をさかのぼることができ、ついにはサル山のボス交代にまでたどりつくのだ。」
「ようするに地球人社会は改良され改善されつづけてきたということになる。このままでは、やがてわれわれの手に負えない強力な文明を築き上げるだろう。私が早急に地球討つべしと主張するのは、そのためなのだ。」
「・・・ ・・・ ・・・。」
「いったい正しいのはどっちだ。」

地球温暖化の二酸化炭素排出原因論に対しても、このようなスタンスで考えることが、無駄であろうはずがありません。

1980年代の日本におけるポストモダンの影響、大人という「大きな物語」に、対抗するのが「子ども」、という枠組みが見受けられます。
社会の専門家が、子どもの不良化は、大人が作っている社会が原因なのだと指摘して見せることで、食い扶持を得られる時代でもありましょう。

「大人と子どもは異人種なのか?」
「そうではない。ただ・・・大人は自分が、かつて子どもだったことを忘れ、」
「子どもはやがて大人になることを忘れているんだ。」
「一つはっきりしているのは、地球人どもは歴史的に世代間の対立をくり返し、今やまったくバラバラに・・・。」
「そうなんだ!だからわしがいうのはやつらの自滅を待つほうが・・・。」
「いーや!!今こそ総攻撃のチャンス!!』
と、四人の代表は、再び取っ組み合いの主張をします。

現代では、子どもから年齢を重ねると、更なる上の世代や、社会の理不尽さに対して攻撃して見せることが、視聴・閲覧回数を増やすカギともなるのでしょう。
これらの内的な構造を考えると、大人と子どもは、異人種であるという設定がなければ、そして子どもはやがて大人になることを忘れてしまえば、何かにつけて「勇ましい」発言を伴うことは、この物語の中の、盗んだ自動車で暴走をする、オス14歳中学生の心情と、同じでありましょう。

そして、盗んだ自動車で暴走をしていた中学生たちは、警察に追われ、大型トラックと正面衝突をして、「むろん、全員即死。」となります。

しかしオー次郎型宇宙人は、言います。

「でも、すぐ再生させてやった。」
「なんのために?」
「地球人の体の構造を探るためだ。単純なタンパク質の塊だったよ。ところが、その塊を再生させたとたんに大さわぎ。」

記録画面は、病室のベッドで包帯まみれになったオス14歳中学生を、涙ながらに会いにくる両親と、フラれたと思っていた同級生の女子(メス)が花束を持って、涙ながらに見舞いに来ている場面を写します。

それを見ながらオー次郎型宇宙人は、
「今にも火を吹きそうだった対立はどこへ行った。」
「あの激しい憎しみはどこへ消えたんだ!!」
「知らんてば!!」(困)

「一つ考えられるのは・・・。あの目から流れる水。あれが曲者らしい。地球人はしばしば目から水を流し、さまざまな問題をウヤムヤに終わらせている。」
「深く探れば探るほど、地球人は不可解な存在だ。」
「つかれたな・・・。」

記録画面を見ていたオー次郎型宇宙人は、全員、疲労困憊となっています。

物語はここで終わり、討議の結果、後10チクタク、地球年にして千年、われわれの時間でわずか三日たらず、それぐらい待ってみてもどうということはない、と締めくくられます。

私がこの作品で興味深かったのは、大人と子供の対立構造について、オー次郎型宇宙人に観察をさせていることです。
大人と子供は違う人種なのか、大人は子供だった自分を忘れ、子供はやがて大人になる自分を忘れている。

「子供は、やがて大人になる自分を忘れている」

ポストモダンが、現状、かけたハシゴが外された、そのような状況になったのは、ポストモダンは、自分が、未来のポストモダンから見られるということを、忘れていたのではないか、というのが、この作品を読んで考えた、私の感想です。
Posted at 2024/08/31 09:36:43 | トラックバック(0) | つれづれ | 日記
2024年08月28日 イイね!

米の酒の夏バテ対策

米の酒の夏バテ対策夏バテになるような、繊細さを持ち合わせてはいないのですが、食欲はあれども、消化器官の機能が低下しているようで、食後の食道と胃のあたりの炎症感が続きます。

食べる量を調整したいところですが、食欲だけはあるもので(汗)、欲望と体調の整合性を取る必要があります。

晩酌とも言えないような飲酒を夕食時に、伴う場合もありますが、ひどく暑さが続くと、日本酒を飲むのが、しんどくなってきます。

このような場合、「エアコンがよく効いた部屋でお燗を楽しむ」、これもオススメです。温かいものを体内に取り入れることは、日中の暑さにやられて冷たい飲み物を飲みがちな体にとって、優しく労わる意味合いも出てきます。

駄菓子菓子、喉も栄養素も渇きを覚えると、ビールではないですが、喉が閉まるよう、ギューッとやりたくなります。

世の中、低アルコール日本酒も広まりつつあるようですが、濃醇な日本酒を、氷を入れたグラスに入れて、ロックで飲むというのが、下戸極まりない私の、酒による夏場の栄養補給として、有効になります。

氷が溶ければ自然にアルコール度数も下がりますし、濃醇さも程よく加水調整されます。

この際には、加水調整された酒が、味が間伸びしてしまったり、加水前の味わいの延長線上のままに、調整されたりと、氷を入れられる酒の方も、色々と都合があるようです。
Posted at 2024/08/28 08:58:46 | トラックバック(0) | つれづれ | 日記
2024年08月25日 イイね!

福井、石川県ルート

福井、石川県ルートこの日は、午前5時に起床。

でしたが、午前4時過ぎには目を覚まして、冷房の切れた布団の中で目だけを瞑っていましたが、日の出と共に蝉が鳴き始めて、スマフォのタイマーの前に起床。

シャワーを浴び、目と体を覚まして、出発です。

下道で1時間ほど走って、名神高速へ。
米原JCTから北陸道、福井北JCTまでは規定のコースになりました。
あとは下道で、どの程度の行程になるのか、一度試しておきたいものです。

平泉寺白山神社に訪問して、金沢方面へ。

今までは、来た道を戻り、福井北JCTを北上、北陸道を移動していましたが、ナビでもGoogleマップの経路でも、国道157号を使うルートと、所要時間は、どっこい。

天候も悪くないので、国道157号を使って、鶴来経由で石川県白山市へ向かいます。
手取川上流部から、川沿いを下っていくルートになります。

ざっと1時間半ほどの行程。
久しぶりの、まとまった山坂道の走行となります。

交通量も少なく、前後に、車がいない時間がほとんど。

知らない道を好きなペースで走るには、私には度胸も腕もありません(苦笑)

巡航速度を10km/h落として、直線は加速せず、淡々と走り抜けていきます。

途中、結構な標高の高さを走っていることに気が付きます。
外気温も25℃を下回るなど、この夏の、車載温度計42℃の世界に慣れた身としては、窓を開けて走っていると快適であります。

何度か、道路工事の片側通行の無人信号機に止められながら、追いついた前の車のペースに、つかず離れずのランデブーをさせてもらい、鶴来に至り、白山市の扇状地に降りてきます。

稲穂の青々しさが目に沁みる時期でした。

所用を済ませ、さてどうするものかと考えますが、暑さにやられる前に帰宅することを選択。

昼前ですし、現地でランチでも食べてみようかと思いましたが、どうも食欲が湧かず。

帰り道をどうしようかと、一応ナビでは、時短経路で検索をさせてみましたが、北陸道経由のルート。
北陸道に乗る前に、国道8号線を横切るので、ならば国道8号線で、まずは南下をしようと。

脳内経路では、国道8号線で福井あたりまで出て、そこから中部縦貫自動車道か、北陸道を使って帰宅か、それとも、前回は使わなかった国道364号線、山代温泉方面を抜けて永平寺町にまで行き、そこから中部縦貫自動車道に入るのか。

中部縦貫自動車道に入るルートとしては、来た道を戻る、国道157号線を使う場合も、日本海側を通って国道8号線から入るルートも、所要時間に大きく変わりはありません。

深夜帯でもないので、山坂道も良かろうと、山代温泉方面を抜けて、永平寺町を目指すルートに決定。

その間、走行している国道8号線の、順調なバイパスっぷりの便利さに、感動。

山代温泉方面を抜け、永平寺町まで山坂道が続きます。

ミスコースもしながら(苦笑)、山坂道を前の車に合わせて走っていきますが、順調に流れもしますが、ペースの違う車両次第で、移動時間は短縮もしますが、そうでもない場合もありそうです。

片側一車線の山坂道の宿命ですな。

観光地である山代温泉を出てくる車が、山坂道に慣れていない場合もあるでしょうし、これを考慮すると、国道157号線は、その山坂道の具合からして、車の運転に慣れていないと、もしくは、慣れてしまった運転手が選択するコースでもありましょうから、いずれを選ぶかは、考えどころだと思いました。

永平寺ICから中部縦貫自動車道に乗り、九頭竜湖の側を通過しながら、東海北陸自動車道に入り、名古屋まで戻ってきました。

夕方などの混みそうな時間を避ければ、名古屋市内まで、スムーズに走行することができます。

GSで給油して、車内を掃除機で清掃し、時計を見ると床屋に行く時間もありそうでしたので、散髪を済ませて帰宅となりました。

ルーティンとしては、よくよく固まってきたようにも思えます。

知らない山坂道を走っても、運転に疲れることも、困ることもなく移動することができるのは、とてもありがたいことです。
Posted at 2024/08/25 16:57:26 | トラックバック(0) | おでかけしました | 日記
2024年08月18日 イイね!

自己解釈

自己解釈先日、就寝中に、左足がこむら返しを起こしました。

寝ていて、ぼやけた意識の中、左足が空に浮く感覚が強くなって、つと力を入れると、つってしまいました(苦笑)

この日、寝る前に、喉の渇きを覚えて、水を口に含みましたがもう少し、給水しておくべきでした。

なぜならば、この前日に、夜更けの炒飯・ラーメン(大)・唐揚げ定食を完食して、明らかに塩分過剰摂取状態だったから(笑)

体内の栄養素のバランスが崩れたのを知らせてくれるのが、体の痛みだと考えれば、足が攣るという現象も、何かを教示してくれているのでしょう。

お腹の肉が弛み始めて、見た目にも肥大化し、つまめるようになっているのを視覚で見ることができるのは、体が大きくなってきたことを、調整してもよいのではないかと、脳が視覚に訴えていると、考えることもできるそうです。

つった足の親指を引きつけて伸ばし、腓返りの痛みが和らぐまでの数十秒から1分余りの時間の経過が長いこと。

痛みが和らいで、再び就寝をして、朝起きると、左足には鈍痛が残っています。

どうしても解消しきれなかったのが、膝の内側、やや下の、ふくらはぎの筋肉の上部のあたりの痛み。
動きが制限されることはないのですが、体重がかかったり、動かし初めに鈍痛を感じます。
手の親指で当該箇所を触ると、しこりがあるような触感を覚えます。
痛みが出ない程度に指で抑えて、解していくと、その後の回復が、ずいぶん楽になります。

(後七ヶ月ほどで)五〇代にもなろうとすると、サインが体から色々出てくるものですが、聞くところによれば、西洋医学には、「健康」であるという定義がないとかないとか。
なるほど、悪いところがあればそれを治療するということが基礎構造であるならば、何でもかんでも検査をして、とにかく悪いところを見つけ出すということになります。

食事の摂生の悪かった時分、出血過多で重度な貧血状態に陥った私の血液検査をした結果が、貧血なので、ヘモグロビンの数値は少ないが、その他は良好な数値であったことに、病院側が不思議そうにしていました。

これを論理的に解説すると、真実ではないと言われてしまいそうですし、経験則的に語るとしても、聞いた側の確信を得ることは難しいでしょう、ということが、西洋医学の定義に「健康」がない、と聞いたときに、私が、納得できた理由です。

だからと言って、西洋医学を軽視するつもりも、東洋医学を礼賛する必要もないのが、私の生活であります。

では、バランスというのは、どういうものか。
崩れたバランスに魅力を感じるのは、人間の美的感覚の領域でありましょう。
人間の体にとってみれば、与えられた環境で、どれだけバランスを取ることに労力を必要とするのか、崩れたバランスでも均衡を図る努力をしている中で、崩れたバランスもいいよね、なんて言われたら、まずバランスをしてみてからそんなことを言ってみろよ、俺たちが、欲しいが足りない栄養素と、いらないが過剰にある栄養素のなかで、昨日と同じ姿格好でいられるように苦労していることを知らねぇからそんなことを言うんだと、言われかねません。

書きながら考えると、生まれてきてから今日まで、これから同じだけの時間を過ごせるかと考えると、そうでもない確率の方が高いことに気がつくような年齢になったものです。

毎日ありがとう、私の細胞(謎)

自動車の健康にとってのバランス、というものはどういうことか。
欲しいが足りない栄養素と、いらないが過剰にある栄養素というものは、何に相当するのか、などと考えるのも、楽しいものです。
Posted at 2024/08/18 14:56:21 | トラックバック(0) | つれづれ | 日記
2024年08月15日 イイね!

征地球論

征地球論毎月購入していた、『藤子・F・不二雄 SF短編コンプリート・ワークス』シリーズも、10冊目となり、全10巻の最後を迎えることになりました。

SF短編の中には、30年以上前に愛読していた短編集に収録されていた物語もいくつか含まれていましたので、懐かしい再会もありながら、新しい出会いももたらしてくれました。

興味深いのは、1933年生まれの藤子氏が、今の私と同世代、もしくはやや若い世代で、これらの物語を紡ぎ出していたことです。

お化けのQ太郎の、オー次郎の分裂体のような生命体が、地球を征服する方法につて、本星の会議場で議論する物語があります。
地球人の危険性を強く指摘して、早々に征服すべきだと主張する派と、征服するコストも考慮して判断するべきだと主張する派と、大勢のオー次郎の分裂体が、喧々囂々と議会で「民主的な話し合い」をしています。

が、彼らは、このようなことをしていても意味がないことを理解している、近代地球人に比べ、遥か高度な知識を持っている生命体であるようで、討論する議員を減らそうと、議員のオー次郎型宇宙人が、議長のオー次郎型宇宙人に、提案します。

しかし議長は、「それではきめ細かな討議ができない」と難色を示しますが、提案した議員は「果てしなくもつれるよりはましだろう」と説得をします。

彼らは、彼らでいう「思考交換」をして、似たり寄ったりの意見は一人に代表させて、必要最低限の人員までしぼりこむ作業をします。

取っ組み合いをして「民主的な話し合い」をしていたその他の議員のオー次郎型宇宙人たちは、「それでいいんでないの」「いいかげん うんざりしてたところだ」と賛成をします。
その結果、代表的な意見は四つにまとまります。

まず、征服推進派。

1、「地球討つべし」なぜなら地球が、そこにあるから。
2、「地球人は、日を追って強力になってきている。やるなら今のうちだ」

そして、征服することは前提だが、やり方と、地球にこだわらない派。

3、「地球人は、矛盾に満ちた生物である。ほっとけば、遠からず自滅するに違いない。そうなりゃ、交通費だけで新領土が手に入るというもんだ」
4、遠い貧弱な星にこだわらず、「探せばもっと好条件の物件が見つかるだろうに」と、地球征服よりも条件の良い惑星の文明の征服を主張する派。

この宇宙における新領土のコストというものも、説明をされていて、
「軍事行動には、恒久的ワープルートの拡張、兵員や装備の輸送、補給のためのエネルギー等、莫大な予算を要する」としている辺りが、現実感があります。

四つの意見は、いずれも「他の文明の惑星を征服する」ということには、共通していることであります。見た目はオー次郎ですが、種としての攻撃性については、人類と同様であるようです。

そして1980年代の日本の、ある中学生(オス生存14年目)の個体、およびその周辺にしぼって記録をした情報を共有するところから、物語が進みます。

「地球人は個体数がふえすぎて、すごい飽和状態にあるのだ」
「あの男が熱心に眺めているのはなんだね」
「テレビとかいったな。ほとんどの地球人が好んで見る箱だよ」
(ドラえもんが映っているブラウン管テレビ)「構造は単純だ。ガラス瓶の底に電子をぶっつけて、光と影を映し出し、それをながめるわけ」
「何時間もガラスビンのけつをながめるのか」
「ながめてどうするのだ」
「そんなこと知るか!!」(汗)
「だからいってるだろ。そんなわけのわからんやつらはきっと滅びると」

今ちょうど27時間TVが放送されていますが、宇宙人から「ながめてどうするのだ」と、自分達が思われているなどとは全く考えたことがない人たちが作っているのであろうことは、彼らの尊厳の偉さの象徴でありましょう。

「地球人は、記憶を直接子孫に伝えることができない。だから、世代の新しくなるごとに新たな学習を必要とする。とくに最近は受験地獄という難関をくぐらねばならない。他人より少しでも優位に立とうという激烈な競争だ。実力以上の成績を要求されるのだ。耐えきれずに脱落する者が多い」

メス親に勉強を促されて机の前に座る14歳中学生の行動を解説しています。

オス親会社員45歳がTVでプロ野球を見ているところに、メス親が、近所の会社員の出世ぶりと、ボーナスが八か月分であること、別の会社員宅では建売を購入する話と、世界一周旅行のお土産を食べましょうかと、話しかける場面においては、

「なぜ、あんな話題ばかり持ち出すのかね」
「一種のいやがらせなんだ」
「地球人は、人間がすべて平等であることを理想としている。自分だけが取り残されることを極度におそれる性向があるのだ」

これはオー次郎型宇宙人の、極東の島国の慣習を、地球人全体に当てはめた「ミス」ですが、今流行の、人権、平等の価値観というものの本質がどこにあるのか、想像をさせてくれます。

金(カネ)について。
「金属製、植物製の二種あるが、「価値」を具体化したものと思えばいい。」
「労働などの価値を数値化し、貯蔵、持ち運び、授受できるようにしたのが金だ。これの獲得は、地球人の最大目的の一つとなっている。」
「たとえば、近代の地球を二分したほどの大きな対立というのが、資本主義対共産主義のそれだ。これはひと口にいえば総生産の分配方法の対立といえる。ようするに、少しでもよけいに分前を、という戦いだ。」

貨幣が貨幣である理由には触れていませんが、しかしながら、地球人の最大の目的の一つであるとしているのは、言い得ています。それに、貯蔵、持ち運び、授受できるようにした、というのは、適切な順番でありましょう。

「しかし・・・地球の理想が「平等」なら、なかよく山分けすればいいではないか。」
「そんな単純な生物ではないのだ。」

より多く儲けた一部の金持ちが、貧困階級にお金を回す、などといった理論は、彼らは「単純な生物」ではないので、実現不可能であると、私は考えます。

紀元前の古代国家の「平等」のための努力を、歴史として紹介しつつ、オー次郎型宇宙人は、続けます。

「以下、歴史上「平等」のための努力は限りなくくり返されているが、大地主、金持ちを解体しても別のだれかが金持ちになり、支配階級を倒しても新たな特権階級がうまれ・・・。」
「ようするに人間社会というやつは、何度かき回しても・・・・。」
「ピラミッド型にまとまる傾向がある。」
「どういうことだ。」
「平等を目指しながら、どうして平に並ばんのだ。」
「そこが地球人のふしぎなところさ。」(ため息)

この四半世紀の、新自由主義経済も、過去の例に漏れず、古い支配階級(既得権益とでも言いましょうか)を倒して新しい特権階級を生む、この構造としては、変わることのない人類社会の営みを繰り返している、と、考えることができます。

45歳会社員(オス)が外に出て、宝くじを購入します。

「大勢が金を出し合って少数の金持ちを作るシステム。これを買うための行列で死者が出たほど、地球人は熱狂する。」
「さらに、ついでに競馬新聞を買った。」
「競馬というのは、ウマという四足動物を走らせて着順を争う。これも多数の出し合った金で少数の金持ちを作る仕組みになっている。多くの地球人が熱狂する。」

公衆電話でマージャンのメンツが揃ったことを知る45歳会社員。

「マージャンだ。六面体に記されたパターンを配列することによって価値を争う。これも、それぞれ金を出し合って特定の金持ちを作る。地球人は熱狂して・・・。」
「おかしいじゃないか。地球人の大理想が平等だというのに、受験といい、宝くじ、競馬、マージャン・・・みんな、ことさらに不平等を作り出そうとしてるようじゃないか。」
「おれにいわれても知らんというのに!!おれはただありのままを記録しただけだ。」

別のオー次郎型宇宙人が、今までの地球人の行動様式を俯瞰します。

「思うに・・・、こういうことではなかろうか。」
「地球人は本質的には、他より抜きんでて優位に立ちたいという願望を持っている。この願望はスタートラインにおいては・・・つまり、だれもがトップに立つ可能性を有する間は、公認されているが・・・、レースが展開され、勝敗が明らかになるにつれて・・・、声高く平等がさけばれるようになる。」
「まあそんなところかもしれん」

このブログは自動車のブログですので、昨今、この四半世紀のF1の流れを見直してみれば、「レースが展開され、勝敗が明らかになるにつれて、声高く平等がさけばれるようになる」ことの繰り返しとなっています。
F1のレースに、「平等」なるものがもたらされればされるほど、言い換えれば、新自由主義的な規制が増えれば増えるほど、さらなる格差が広がるばかりでありましょう。
マクラーレン、フェラーリ、ルノーにしろ、その後のレッドブル、メルセデスが、平等の思想のもとにレース車両を開発したからトップを獲得することができたのかと、問われれば、言わずがなものです。
新自由主義的な社会思想が蔓延すると、格差社会の固定、F1で言えば、ろくなテストもできずに最初に合同テストをした順位が、そのまま一年間の順位に「固定」される傾向を強くもっている、ということになります。

私が聞いた話を思い出せば、例えば、雨の日にだけ、特段に早い、もしくは周囲のペースダウンよりも少ないペースダウンで走行することができる弱小チーム、そのような存在が、新自由主義的な思想のもとでのF1では、存在することができない。
多様性を考えるのであれば、あのチームは、非力でポンコツだけど、エアロの性能だけはずば抜けている、とか、上記の雨の日にだけ勝つチャンスが出てくるチームだとか、そのようなチームが混在しているのが、多様性であるのですが、新自由主義的な「平等」が適用されると、「平準」化された規則をスタートラインにされ、運動靴で走る選手、自転車で走る選手、スポーツ自転車で走る選手、二輪自動車で走る選手、エトセトラと無差別級のレースが提示されることになります。
ただし、スタートラインには「平等」に立つことはできるけれども、そこから「一人勝ち」しようとすれば、そこは資本力の大きいところが「総取り」をすることができる。旧来の、封建的な規制を排除する、このようなシステムが、新自由主義的な「自由なる競争」である、と。

旧来なるものを糾弾するだけが、人類に進歩をもたらすものかどうか。

勉強途中に小説を読み耽っている少年。

「あれは?」
「小説。どう説明したらいいか・・・。ようするにウソ話をもっともらしくつづったものだ。文字というものを伝達手段として読み取っている。」
「ウソとわかっているのに読むのか。」
「理解を絶するやつらだよ、まったく」
「で、その内容は?」
「地球人が銀河系を支配する話?!」(議長を含めた四人の代表者全員ひっくり返る)
「地球人討つべし!!」
「ウソだといってるのに。」

1980年代というのは、校内暴力が問題になっていたその社会背景についても、藤子氏は、徹底した日常の観察を表現します。

勉強を休止して小説を読んでいる子供に、メス親が小言を言います。

「親の欲求不満は子どもに向けてぶつけられる。子どももたまりかねて逆襲する。地球人の巣でよく見かけられるごくありふれた小戦争だ。」

「われわれには親子関係というものがないので理解できないが、彼らの結びつきは、かなり不安定であるらしい。」

「他の動物の「子別れ」や「巣立ち」は、ごく自然に行われる。人間がもっとも不手際だ。」

「この少年の心は爆発寸前にある。他の者は、だれ一人気づかないが、追いつめられ、絶望的になって大きく軌道を踏み外そうとしているのだ。」

年頃の少年の心持ちを、丁寧に観察しています。柳田國男の「民俗学的方法」に及ぶものだと考えます。

ちなみに、久しくなかったインフレ時代において、物の値上がりを、誰かのせいにしたがっている社会の風潮がありますが、1980年代も、インフレの時代であります。

その当時の家計を預かるメス親の観察も記録されています。

「お給料は上がらないし、いろんなローンがかさむ一方だし、暮らしにくくなるばかりだわ。しまいには一家心中でも考えなきゃね」と、おそらく当時の中流程度の家庭においては、ごくごく一般的な「小言」があります。

この小言に対して宇宙人は、反応をします。

「聞いたか!地球人は集団自殺を考え始めたぞ!!」
「地球人はどんどん貧しくなりつつあるらしいぞ。この分ではやがて全員うえ死に・・・。」
「それは違う。調査開始以来、一〇〇〇チクタク(オー次郎型宇宙人の時間概念)のデータを通して見ると、地球人は豊かになっている。」
「個体の摂取カロリーをくらべてみれば明らかだ。調査開始時においてはほとんどが食うだけで精一杯の毎日だった。大づかみにいって、所得は上昇し、労働時間は短縮の傾向にある。「アリとキリギリス」の話など作って勤勉をたたえたのは昔のことだ。今やぬけがけのアリを牽制するために、法律で休日をふやしているほどだ。」
「それは理解できる。」
「生存のためエネルギーは、失う分を少なく、得る分を多くと考えるのは自然なことだからな。」
「その点地球型生物も例外ではなかった。」

インフレ時代の当時と、現代においての差異はなんであるのか。
労働者の、次の給料はともかく、来年の給料は、今より良くなっているという「楽観的希望」を持ち得ていた割合が多かったからではないかと、私は考えるようになりました。

50代を迎える頃には、老害だと言われて、正規雇用であろうが非正規雇用であろうが、席を譲らなければならないと、将来を俯瞰すれば、若者の労働意欲を、どこまで高めることができるのか。
消費意欲よりも、いかに効率よく「カネ」を貯めるのか、生み出すことができるのかに注力を向ければ、次の世代を育てることが、結果的に、自分達の生活コストを下げることだったことに、気がつくはずがありません。

あ、私は、独身生活者でした。

「楽して、もうかる社会」を彼らが目指しているとすれば、目覚ましい成果というべきだろう。」
「しかし、欲望が常にそれを上回って肥大化するため、地球人の不満はむしろつのるばかりなのだ。」
「おそらく彼らは、永久に満足しないのではないか。」
Posted at 2024/08/15 10:31:58 | トラックバック(0) | つれづれ | 日記

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