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2025年05月28日 イイね!

米と麦と厄介なこと

米と麦と厄介なこと缶ビール、2本で1200円、と、レジで表示されて、私の可処分所得に似合わないものを買うときの、自分への気まずさを感じてしまいます。

米と麦と、どちらが自分の生活の主食であるのかと言われれば、米であると答えるのが、私の生活です。

パンとご飯と、どちらかをこの先食べられないと迫られれば、ご飯を食べ続けたいと選択するだろうというのが、理由です。

人類社会における(大袈裟)、アルコールの原料というものは、主食にまつわるものなのだろうと。
この場合の主食とは、栽培収穫しやすくエネルギー変換の効率が良いということであります。
それが、小麦であり、芋であり、米であるということが、地域性というものでしょう。

では葡萄は?となると、帝政前のローマにおいて、遠征する兵士たちの栄養補給食品として、遠征先で栽培していたと言いますから、大切な栄養源だったことからアルコール化の道があったのではないかと、私は勝手に考えています。

さて、グローバリズムとは、こういった地域性を考慮しない、枠を取り外していくことであると考えると、米国トランプ政権の、保護主義への再プランを選択する理由が、全く理解できない人(金融関係で本気でそう言っていたらかなり問題ですが)にも想像することを誘導するくらいには、なりそうです。

米を主食と考えている人が最多数を抱える社会で、米が主食であるというのは、社会的には正論でありましょう。
ただその中で、私は米を食べつけないから、そんなことはない、多数の意見に飲み込まれるのは理不尽だ、と主張する人の声を聞くのが、いわゆる「国際的な人権の倫理観」になるのでしょう。
そこから一歩進むと、理不尽さを強要する社会は悪だから、主食を米であるというのは、撤回せよ、などと表現するに至ると、今度は伝統的社会側から、事実とは異なることを言っている人間を是正せよ、という声も大きくなる。
現状の日本社会は、この辺りにあるのだろうと、私は考えています。

暴力を伴い始める言論と、主義主張の整理ができずニヒリズムに陥る無政府主義、革新、伝統主義の各陣営の主義者。
1930年代の日本というのは、どういうものであったのか。

趣味性が強い、ゆえに、アリストテレスのいう古典美術の価値観と外れた、商業的価値観を前提にしなければ、なかなか手にすることが難しいというのが、ビール(法的な分類とは違う意味で)や日本酒の高価格商品帯だろうと私は考えています。

それが良いとか悪いとかは、私は考えません。

目の前に、何があるのかを、ただ、考えています。

一本は糖蜜で味付けされ、もう一本はレモンフレーバー。

食事と合わせるというよりも、それぞれ単体で飲まなければならないでしょう。

シェアをしあって飲み合う、それも少ない人数でシェアをし合う(体験を共有し合う)ところに、これらの商品の価値があり、なるほど、個人主義社会に沿ったビジネスプランのように私は、考えます。

酔い覚ましは、両方とも私の性能では、カバーしきれず。

私の低い性能の酔い覚まし機能については、よく醸された酒に関しては、良く覚め、よく覚めなかった酒は、そうではなかった、であろうと判断しています。
ラベルの表記、枠組みにとらわれないというのは、興味深いものです。
日本酒に関して言えば、精米歩合、酵母の種類、アルコール添加の有無。
吟醸であろうが純米酒であろうが本醸造であろうが、名前にほだされることがないのが、私にはありがたい。

昨今、選択的夫婦別姓の法案が提出されるか否かと報道に取り上げられるようになりました。
個人的には、30年たってようやく日の目を見るのかという思いもありますが、ではこの法案がなぜ存在するのかは、国籍にとらわれない質の良い労働者の確保を目論む資本家の要求があるから、が、本音だろうと。
この本音を覆うために、「個人の権利」を理由にすれば、リベラル系の陣営からの支持を得られるということになります。

宇多田ヒカルの新曲が話題になりましたが、彼女の職業柄、もしくは生活している社会環境を考慮すれば、「伝統的」と呼ばれる、時間を共有することで生まれた価値観、社会を安定して運営してく構造を率先して尊重する環境ではないと想像してみると、夫婦別姓のシステムを、人間の幸福追求の一項目であると捉えるのだろうと私は考えます。

集団における歴史的時間の共有を考慮せずに、何かしらの「価値観」を共有させることで、時間をかけて地域や民族に沿った合理的な価値観を形成するというプロセスを「すっ飛ばす」必要があるのが、グローバリズムといえます。

例えば、ドラマの「水戸黄門」の「水戸のご老公」のような存在が、伝統的な価値観の審判長であり、その「ご老公」の価値観を安易に、否定するのがリベラル、もしくは無政府主義者の思想だといえます。
「水戸黄門」における「ご老公」の成敗を、「理不尽だ」「不合理だ」と横から口を出す場面を思い浮かべると、締まりの悪いドラマの結末にしかならないでしょう。

さらに、伝統的社会の価値観を唱えながら、既存の社会構造を排除することを、下部構造として持っている資本主義経済のさらに先鋭である「新自由主義」的な経済思想の価値観とを持ち合わせる、右手で保護しながら、左手で壊すようなニヒリズムに陥る人たちが出てくるのも、現状でありましょう。

個人主義とは、厄介なものです。

柳田國男が、自転車に乗ることは「個人主義」だと指摘するのを、現代人が、どれだけ身をもって理解することができるのだろうかと、考えます。
私は手始めに、自転車に乗るのを止めることから始めました(苦笑)。

米を主食だといえるような生活をしながら、それだけでは、口寂しくなるような私です。

米も麦も捨て難いと考えると、ラーメン・ライスなどというのは、私のような人間には、非常に都合の良いものであります(笑)。
Posted at 2025/05/28 09:07:36 | トラックバック(0) | つれづれ | 日記
2025年05月25日 イイね!

オーダー入ります

オーダー入ります先日の遠出で久しぶりに、外食をしました。

動画サイトでは、ラーメン屋にて、ラーメンをお好みのスタイルに注文する場面をよく見ていますが、自分がそれに当てはまるかというと、せいぜい麺を硬めにしたい時に頼むくらい。

それも、何度か食べた後にしないと、好みに適しているのかもわからないですし、そもそも、硬め、というオーダーが、そのラーメンを、「本当に」美味しく食べるためのマストな選択であるのかどうか、そんなことも考えます。

美味しく食べるスキルがあるのかと言われれば、私には、そんなものはないに決まっていますので、自己主張の弱い私としては、全部普通とするのが、関の山(笑)。

そんな私が、初見の、カウンターだけのラーメン屋さんで、後から来たお客さんが、色々オーダーを入れていくのを聞いて、「おぉ、現実に聞くのは初めてだ」と、少々感嘆の思いも抱きました。

そして、ラーメン店に入って、自分の「好きに」注文することが「当たり前」になり過ぎてしまったのだろうと、自分の感覚との差を覚えました。
私の感覚は、相当に古いか、それとも相当に絶滅種であろうと思いますが・・・。

カスタマイズのオーダーも、元は、客と店側のコミュニケーションから始まったのではないだろうか。
それが広く普及するにつれて、どのような変化をして行くのかは、コミュニケーションという本質を外して、物事の効率化に当てはめれば、画一的なやりとりにたどり着く、そのようにもなります。
そして、画一的なやりとりでは、コミュニケーションの欲求を満たされなくなるお客側の存在も一定数、表面化してくることになります。

そして冒頭の、初めて入ったラーメン屋さんで、ご主人から、細麺にしますか太麺にしますかと尋ねられて、特段何も考えずに「太麺で」とお願いしたところ、僅かな間があって、「太麺入ります」と。

・・・。

これ正解は「細麺」だったなと考えたものです(笑)。
Posted at 2025/05/25 00:20:31 | トラックバック(0) | つれづれ | 日記
2025年05月18日 イイね!

デジタルデータと電気

デジタルデータと電気Poloの音楽調整は、全て、基準値にしています。

補正をかけると再生される音楽データに、欠損を招くと観察しています。

アクセス数の少ない私のブログで意見表明をしても、問題はなかろうと(笑)。

結論とすれば、音楽のデジタルデータの扱いを
慎重に期すことに越したことはない、です。

某動画番組で、AIの基礎設計をされたような方が、AIが人間に暴力を振るうことがあるかという質問に対して、AIは「おいしい電気」を知っているから、その「おいしい電気」の供給を制限しようとする、もしくは、「おいしくない電気」に接続しようとする人間には、危害を加えてもおかしくない、と表現されました。

AIのいう「おいしい電気」とは、具体的には提示されませんでしたが、素人の自分が、私の生活で想像をするに、電気の何らかの質がAIの「おいしい」例えば、動作効率が良くなる性質の電気を、「おいしい」と捉えるのは、人間の食生活と同様でありましょう。
そして、「おいしくない電気」は、このことから推察すれば、動作効率を阻害する成分の電気、であることも想像ができます。

アナログレコードは、レコード盤の溝に刻まれた凹凸を針がなぞることで振動として拾い、電気信号に変換する仕組み、とは、GoogleのAIに尋ねた解答です。

これは、自家発電による音楽再生になるのではないか、この自家発電の電気の性質が、出音に影響を及ぼす可能性は、AIが電気を「おいしい」と「おいしくない」と選別することができることから、十分に考慮する必要がある、と、素人は推察をします。

このことは、アナログでの音楽の再生に、CD(デジタルデータ)の音楽再生が劣る、といったような社会的認知が続いているのは、本当のことなのだろうか、と考えさせられます。

「電気の質」に電子機器の機能が左右されることがあると考えれば、デジタルデータの音楽再生についても、レコードの自家発電と同様な、「おいしい電気」を供給することから、考える必要があるのではないだろうか。

となると、AIが、その電子機器に供給されている電気が「おいしい」のか「おいしくない」のかを選別する機能を持つことも、推察することができます。

Poloのディスカバープロによる音楽再生で補正を行うと、音楽データの欠損(再生効率の低下)を招くのは、純正システムで揃えているのならば、さほど気がつかない、むしろ聞き手の求めている演出「感」を表現できるので、好む音を表現するには、適当であろうと、私は体感しています。

これは、純正のシステムでそのように「機能」する設計がなされているからだと考えるのは、妥当なことでしょう。

ここで「前提の誤謬」が生まれているとすれば、それは、「良い音」としているレコードの音の再現を考慮していないこと、と私は考えます。

もし、好む音の演出を行うのであれば、再生効率を低下させた分とのトレードオフになります。

そして私は、そのトレードオフについて、デメリットが多いと判断をしています。

音を再生するという事は、どういうことか。

再生の漢字の、再び生むとは、音楽の再生技術にとってどういうことか。

私が考えたきっかけは、そこから始まりました。
Posted at 2025/05/18 20:26:49 | トラックバック(0) | Polo AWCHZ | 日記
2025年05月11日 イイね!

高速道路の交通量がまばらだった日

高速道路の交通量がまばらだった日続きです。

長岡市へ入り、まずは、最初の目的地の、長岡市立科学博物館へ向かいます。

近くのコンビニで開館時間までの調整を兼ねて、仮眠と糖質の補給をします。

Poloの運転は疲れませんが1時間の仮眠でほぼ徹夜をこなせるほど私も、若くはありません(苦笑)。

疲れが溜まりそうになる前に、細かく仮眠をとりながら移動していくのが、私のリズムであります。

市立科学博物館は、無料で見学することができる施設ですが、展示内容は、見応え十分な内容でした。

1時間ほどで見終えて退館をします。

もうちょっと時間を潰せるつもりでいたのが、私の見込み違い。

予定には、3時間ほどありますので、長岡駅に足を向けました。

山本五十六記念館や河井継之助記念館もありますが、今回は伺わずに、駅ナカ散歩をして過ごします。
本屋さんもありますし、お土産を見るのも楽しいものです。

良き時間となったので、所要先に向かい、本日の予定を終わらせます。

この後は、図書館に移動するのが、これまでのルーティーンでしたが、今日は少々、疲れを自覚することができたので、遅い昼食を済ませてから、帰るとします。

訪ねてみたかったラーメンショップで、大盛りを注文すると、思った以上の量が出てきます。メニューをよく見ると、並、中、大とありましたので、私が欲していたのは「中」だったと勉強になります(苦笑)。

よく食べることができましたので、帰路も元気に帰ることができそうです。

天気予報では、これからの時間は雨模様になっていますので、来た道を帰る経路で良いだろうと判断します。

国道17号から国道117号で、豊田飯山ICを目指します。

雨は降ったり止んだりしながら、時折雨脚が強くなります。
遠い土地での雨の日の運転は気を使うものですが、Poloの運転は、緊張しながらもリラックスすることができます。

新潟県境を越えて長野方面に入り、野沢温泉を抜ける頃には、雨雲を抜け、雨は上がりますが、かなり濡れた路面の中を走ります。
雲も切れて顔を出してきた西日の角度が、ちょうど路面の水たまりに反射をして、路面の状況がよく見えません。
特に白線は、消えかかっているところが大半で、センターライン付近はほぼ見えず、前の車も後ろの車も、ラインをトレースすることが難しそうで、苦労しているのがわかります。

私は、左側の比較的残っている白線を目印に、Poloを車線内に、なんとなく(苦笑)、収めるようにします。

Poloの運転では、サングラスをつけない派ですが、こういう時は、あったほうが安心安全ですね。

山岳区間を終え飯山市へと降りてくると、豊田飯山IC方面には、曇天とした雲が重く広がっています。

上信越道に上がった頃には、周囲の車から上がる水煙で、視界が悪くなるくらいの降雨量ですが、Poloのペースは、気づけば集団の先頭を走っています。

雨が降ったり止んだりの一日ですが、路面状況や環境の悪化によってPoloの運転に気遣う場面が多くなっても、さほど気疲れしないというのが、長距離運行において、運転手の助けにどれほどのものになるか。

高速道路の交通量は、行きよりも多くなっていますが、全体の流れとしては、雨の中を皆さん、ペース良く走られています。

松代PAで休憩を取り、仮眠を取るか取らないかで迷います。
大盛りラーメンのおかげで体力も持ちそうですし、眠気もありませんので、中央道に入ってから休憩をとることとして、出発。

夕方の交通量が多めの時間帯でも、流れが良いおかげで、移動が順調。

あっという間に岡谷JCTから中央道に入ります。

駒ヶ根PAを過ぎると、一気に交通量が少なくなりました。

この理由は、帰宅後、ネットニュースを見て納得します。

土岐JCTから東海環状道へ入り、豊田東JCT方面へと向かっていると西の空に、稲光を見ます。
雨は降っていませんが、時折稲光が見える中、豊田東JCTあたりにくると、雨脚が強くなり、伊勢湾岸自動車道を走る頃には、結構な降雨量と直上付近に、雷雲がきているのか、稲光と雷鳴が時間差なく聞こえます。

Poloを走らせていると、不思議なのですが、なんとも言えない安心感を感じます。
周囲の車は、走る気になれない降雨量の中、一番右の追越車線を走っていても。

たまたま?稼働しているICで降りて、自宅へ帰宅と相成りました。

晴れたり曇ったり、雨が降ったり止んだりと、路面状況も様々な場面を経験することができましたが、Poloの運転のしやすさがさらに増したことをよくよく体感することができた、一日でした。
Posted at 2025/05/11 23:38:00 | トラックバック(0) | おでかけしました | 日記
2025年05月06日 イイね!

レコードとApple

レコードとAppleレコードで音楽を聴くことが、流行になっているようです。

私が段取りをするならば、廉価のレコードプレーヤーに廉価の小型スピーカーとアンプを置いて、コンパクトなシステム構成にします。
カートリッジとケーブルに抜かりがなければ、なお良しでありましょう。

ではなぜレコードで音楽を聴くことに回帰しているのだろうかと、ネットの動向を観察すると、CDと比較して良い音がする、と。

その良い音、とはどういうことか。

温かみがある、とか、奥行きがある、とか、楽器の音がよく聞こえるなど。

音楽に精通している人、そうでない人でも、同様な意見になっていると観察しています。

では、CDの音楽(デジタルデータ)がそれに劣っているということになるのか、となれば、否であるのは、私の生活の経験であります。

iPhoneに非圧縮で取り込んだ音楽データでの再生を比較するとどうなるか。
もしくは、Mチップを搭載しているApple社の製品で再生するとどうなるのか。

Apple信者でもない私は、アナログとデジタルの関係性をApple社は、真面目に考えているのだと「妄想」をしています。
Posted at 2025/05/06 08:32:56 | トラックバック(0) | つれづれ | 日記

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