2025年11月02日
父親が退院してひと月が経過しました。
最近は、もっぱら居間でTVを見る生活をしていますが、その理由は、体力の大幅な低下。
心不全が原因で入院をしたのですが、歩くと心臓があぶるようになり、外を歩く自信を喪失した模様。
はて、退院してからしばらくは、そんなこともお構いなしに出歩いていたのですが、いつの頃からそうなったのでしょうか。
どうも薬を切り替えた頃合いからが、怪しい。
そもそも、父親も、自分が心不全で救急で運ばれたという認識が薄い。
内科的な症状を専門外で診察を続けるのには、限界に来ているのでしょう。
しかし、ローカル社会の価値観から離れることができず、少々の認知力の低下も手伝ってか、今までの習慣を変えることができない結果、思うような結果を得る判断を下すことができなくなっています。
もう何年も前から、悪手に至るしかない判断を下し続けていたのでしょう。
なんとか誤魔化しながらやってきましたが、それも行き詰まった先に待ち受けていたのが、心不全による入院、という結果なのですが、本人は、反省の素振りは見せません。
むしろ、こうなったのは、息子が当てにならないからだと父親は、自分自身に言い聞かせているくらい(苦笑)。
知らんがな(笑)。
背中を押されるよりも、手を引っ張られる方が考えることが少ないので、楽なのでしょう。
そのような生活行動をとりたがる傾向が強くなりましたが、おそらくこれも、以前から同様な傾向を持っていたのでしょう。
私は背中を、蹴飛ばすくらいしかできない不器用な人間なので、手を出しはしませんが、いずれにせよ、運動量は低下する一方になりますので、よくはなりません。
公的な支援をうまく使っていこうとすれば、施設に出かけリハビリを受けるなど、家に居続けて昨日と同じ生活を続けることはできなくなりますが、家での生活を続けたければ、変化を受け入れる必要があるのでしょう。
この辺りは、鬱の症状も伴っている母親の影響を、強く受け始めていることも、考慮する必要があるでしょう。
なるほど、人間だって自動車だって、昨日と同じなだけでは、継続することはできない、動的平衡とは、どういうことなのか。
Posted at 2025/11/02 08:24:25 |
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介護のつれづれ | 日記