2025年09月17日
家のゴミ出しは続きます。
ちまちまとでも継続していくことで、私のモチベーションを保とうとしているわけですが、ゴミを出すのは、実に、精神的なダメージがあります。
もったいないという倫理観が刷り込まれているのでしょうか、その私の僅かな倫理観を抑えながら作業をすることで、ダメージになるのでしょうか。
それはともかく、台所区域は目処が立ち始めましたので、次はリビングに目をやります。
こちらは、父親の書類の類で足の踏み場が半分ほどは無くなっています。
ですが、諸事情が発生して(!)、書類を盲目的に処分することができません。
全く、いろいろ面倒なことです。
リビングには、我が家で唯一のTVが置いてあります。
現状も、簡易的なオーディオシステムを組んであります。
リビングを片付ける(ゴミ出しをする)ことで、TV周辺にスペースを作れば、システムを刷新することができると、妄想をします(笑)。
加齢による難聴、耳が遠くなっていることで、時々、TVの音量が、近所に漏れるほど大きくなっています。
現状のシステムでも、遠くなった耳にも聞こえやすいようにと狙っていますが(謎)、保守的性向が強い二親は、積極的にはオーディオシステムを使用しません。
特に父親は、今回の一件で、明確に難聴になった、とわかりましたが、おそらく以前からその傾向が強くなっていたのか、好んでいたオーディオのシステムも使わなくなっていました。
なので、二親のため、というよりも、私の趣味と実益のためにも、システムの刷新を妄想しておくのは、将来無駄にはならんだろうと、妄想を楽しんでおきます(苦笑)。
あ、私、テレビを見ない人でした。。。
Posted at 2025/09/17 18:48:50 |
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介護のつれづれ | 日記
2025年09月15日
二親から生活する権限を移譲されたことで、私が重い腰を上げたのは、家の荷物の整理です。
これも高齢者というか、認知症を患っていたというか、父親は、近所から使わなくなった本棚やら色々なものをもらってきては置いて、書類をためる癖があります。
母親は、持っているものを捨てることができない、この二親から生まれるものは、突き詰めればゴミ屋敷になります。
世の中の、ゴミ屋敷になっているニュースは、決して他人事ではないだろうと。
自分の部屋を断捨離、整理をしたときに気がついたのは、ものを右から左に動かして整理をすれば片付くのではなく、ものを捨てることが片づけることだということ。
なので、ゴミ出しの作業を始めました。
とはいえ、全部をするのには、労力も精神力も(!)削られますので、まずは毎日使う台所周辺から始めます。
キッチンの上下の収納棚は、溢れるほどの荷物が入っています。
食卓の上も、食事をするのは荷物を片付けないとできないほど。
家族としての体を成していないことは、その手の専門家が食卓を見ればわかるそうです。
これから使うようになる台所の整理=ゴミ出しから始めます、必要であってもわからないものは捨てるという方程式で、棚から荷物を出していきます。
食器やガラスの器を捨てられるのは、月に一度の不燃ゴミ回収となるのが不便ですが、そんなことを患ってはいられません。
とにかく、可燃・資源・不燃のゴミ袋を準備して、淡々と処分をしていきます。
数年前の乾物から、20年前の乾物まで、さまざまなものが収納されていますが、その中で手間がかかったのは、瓶漬けにされている、梅干しや、らっきょうの類。
何年か前にも、食べないのだから捨てるように話をしましたが、食べるから置いておけとの一点張りで、実際は、梅干しをスーパーから調達しているのですから、ボケているのかなんなのか、よくわかりません。
7、8個の、文字通り漬け置きされた梅干しやらが入っている瓶を、中身を出し、瓶を洗って、分別をしていきます。
食べ物を粗末にするなとは、親世代の常套句のはずですが、認知力が低下すると、子供返りのようなことになるのでしょうか。
私は、中年期の過ごし方が、影響してくるのではないだろうかと、自分と二親との生活を見ながら考えています。
まず目標としては、7割ほどは廃棄する。
必要であろうがなかろうが、ここ1年、使った形跡のないものは、ほぼ処分。
残った3割のものは、台所で作業をしながら、さらに削っていく方針を立てます。
特に、鍋、やかん、フライパン、ザルなどの類は、一つか二つあれば良いので、使い込んで古そうなものなどは、どんどん捨てます。
中には、私が小さい頃に、ご飯を炊いていた鉄製のおもーい鍋も見つけ、懐かしい気持ちになりますが、把手も壊れているので思い出だけを残して、廃棄します。
何故か多かったのは、割り箸の類。
貯めるだけ貯め込んでいたのを、一掴みほどを残して、処分します。
日用品の消耗品も、あちらこちらに仕舞い込んであるので、在庫を管理することができない結果、これも溜め込まれています。
使うものなので無駄ではないのですが、必要数というものを把握するのが基本でしょう。
分別をする判断はしますが、手に取ったものをゴミとして出すのか否かは、判断をしない。
廃棄することが前提で、必要なものを捨ててしまっても、買い直しをすれば良い。
むしろ買い直しをすることで、今の生活に、より整合性の高い道具を見つけることができると、私は考えています。
一度にやるのは、勢いが必要です。
ですが同時に、体力と精神力(!)も削られます。
親の、簡単な面倒を見ながらの生活になってますので、しんどくなっては、続けられません。
長期戦を計画して、とにかく目標を達成することに集中します。
最初の一週間は、収集日に、山となったゴミ袋を玄関前に積んでいました。
ある程度、動きやすくなるくらいまで整理をした感想は、自分でやるものではないなと(笑)。
業者さんに入ってもらって、機械的に廃棄処分してもらうのが、親の荷物整理の効率的なやり方だろうと、考えます。
あとは、この効率的なやり方に、情操をどのように配分するのかを考えるくらいが、妥当ではなかろうかと。
Posted at 2025/09/15 16:12:48 |
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介護のつれづれ | 日記
2025年09月14日
常用しているたまり醤油の在庫を切らしたので、買い出しに出かけます。
片道50kmほどの移動ですが、今の私の生活においては十分な遠出(遠い目)。
病院の面会と食事の買い出しの近所を走る程度しかPoloを運転していないので、たまにはこうして1時間ほどの移動が、私の気分転換になります。
リラックスしすぎたのか、いつも通りの道を走っているつもりが、いつの間にか道を間違えていました(笑)。
右折するタイミングを手前で曲がってしまい、信号機のない郊外の道を道なりに、気持ちよく走っていたのですが、見慣れているようないないような田畑の風景に、途中から違和感を感じていましたが、見知らぬ信号交差点に出た時に、ようやく、自分が道を間違えていたことに気が付きます(苦笑)。
なるほど、やはり集中力が散漫になっているのだなと。
全く方向がわからなくなり、青看板の表示を見ても、脳内の方位磁石と表示されている地名がマッチングしないので、瞬時にどの方向へ行くべきか、判断できません。
このような時は、車を路肩に寄せて完全停止させてから考えるようにするのが、ナビゲーションシステムがない車の運転時の対処法でしょう。
Poloの消していたナビ画面を映して、俯瞰で状況を確認すると、行きたかった方角の反対側の地域に出てきてしまっています。
こりゃわからんと、ナビで目的地設定をして、文明の利器に助けられて目的地へ向かうことができました。
30分ほど余分に、Poloを動かすことができたと考えれば、結果オーライです(おぃ)。
目的地で、味噌と醤油を買い求め、小腹に収める水饅頭を購入します。
この後は、入院している父親の面会に向かいます。
移動時間を考慮すると、ちょうど面会時間の始まりに到着できそうです。
広域農道を走り、産業道路に出て、一路、入院先の病院へ。
移動は順調で到着した時間は、ちょうど面会時間の始まりでしたが、駐車場で5分ほど仮眠を取ってから、洗濯物の回収をしてきました。
私の体力ではショートスリープを活用すると、多少の余裕を持つことができます。
この日は、なかなかうまく時間を使うことができました。
道に迷うことも、悪くありません(おぃ)。
Posted at 2025/09/14 10:16:02 |
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つれづれ | 日記
2025年09月08日
石破首相が、辞任を決めたとの報道です。
おそらく就任前は、あんなことやこんなことをやるぞ、と意気込んでいたのだと想像をしますが、いざ実際の、大きく変動する真っ只中の世界情勢にさらされている日本の現状を説明され、それならば国益のために政治生命を使うと判断されたのだろうと、私は、石破首相の就任後の発言や行動から、推察します。
結果としては、外交に関して日本の国益にできるだけ沿うような形になることが多かったのだろうと。
内政に関しても、さほど悪いわけではありませんでしたが、取り過ぎた税金をどのように国民に、社会に還付するのかという手段について、官僚側から「公平で客観的」な情報が出されていなかったのでしょうか、実効性に乏しい今までのやり方を踏襲せざるを得なかったと、これも推察します。
国会運営にしても、野党と政策を擦りあっての議会運営は、議会政治の真っ当な姿であり、一強であった第二次安倍政権以降の自民党ではできなかったことでありましょう。国会では終始丁寧な説明をされている印象です。
問題としては、首相になる前の身の処し方が、現在のように政権が追い込まれていく時に、支持する議員の頭数が不足するという事態になったのだろうと。
そして何よりも、今までの支持基盤であったはずの地方組織から、手のひらを返されたというのが、効いたのかもしれません。
保守系の人からは、変遷する人間だとレッテルを貼られたのが、その理由ではないかと。
では、次の自民党総裁候補は、どのような人物になるのか。
やや欧州寄りでありながらも、米国、中国とも距離感を保ち、隣国である韓国とも首脳会談を行うような、「中庸」的な立ち位置であった現在のベクトルから、米国なり中国なりに擦り寄ることができる人間が、おそらく総裁候補に上がるのでしょう。
日本における保守層としては、嫌韓・中国を唱え、親米的な態度でありながらも、日本の独立を夢見る態度をもち、そして声が大きいほど幅を利かせている(笑)、と、私は観察しています。
経済思想的には、新自由主義的な、グローバリズムを好みながら、社会問題に関してはローカル優先の思想を強調する矛盾を抱えている傾向を見て取ります。
ですがこのような傾向は、私の同世代には、矛盾なく受け取れることだとも思います。
おそらく私の世代の前後に受け入れやすいのは、保守的思想を強く押し出しながらも、グローバリズムの思想をサラリと体現することができる人格でしょう。
新自由主義経済が、既存の社会を排除する産業資本主義経済の先鋭化したものであることは、この30年の日本の経済動向を見ればよくわかることです。
保守思想である以上、ローカルな社会を保護、維持していくことに価値観を持つはずですが、経済思想は、既存の社会を排除する傾向を持つという矛盾を、私の前後、同世代の人間では、見抜くことが難しい。
この辺りを意識的に見抜いていくのは、今の10代や20代の人たちであると期待をします。
Posted at 2025/09/08 21:31:04 |
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つれづれ | 日記
2025年09月07日
新しい環境になってひと月が経ちます。
入院中の父親の面会も、ルーティーン化することでストレスを軽減させるようにしたり、一日置きに間隔をあけてみたりと色々工夫をしてみると、一日置きにするだけでも使える時間が随分と増えるような錯覚になります。
かけている時間は同じなのに、家の買い物をする時間に、余裕ができるのが、よくわかります。
仏壇に供える仏花を買ってきて、水を張った洗面器に入れ一晩おいて、翌朝取り出してみると造花だったことに気がつくのには苦笑するしかありません、余裕なんてどこにあったのやら?(苦笑)。
我が家は、経理をはじめ、「いろいろ」なことが、どんぶり勘定で行われていたことが、よくわかります。
どんぶり勘定を否定するわけではありません、私もどんぶり勘定なのですが、どうやら私の方が精度が高いようです(鼻高)。
つまるところは、考えることと計算すること、この両者の均衡を、各々の生活の中で取ろうとすること、なのでしょう。
考えるだけでは、どんぶり勘定になりますし、計算するだけだと、何事も効率化が善となり、善から外れる思想や行動を排除する傾向にならざるを得ない。
二親にしても、今考えられるのは、現状の生活に陥った理由を、息子の不出来さに、いかにさりげなく押し付けるか、といったところ。
うちの二親を観察していると、公的機関から認められたわけではありませんが、認知症というものが、現実社会とその人との社会との関係性を、どのように変えていくようになるのか。
変わっていくように見えるのは、他人から見ている限りのことで、本人にとっては、変わっていないのかもしれません。
Posted at 2025/09/07 12:59:42 |
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介護のつれづれ | 日記