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2025年11月03日 イイね!

現実の認識

認知症の進んだ母親の特性は、自分を否定する相手を排除することで、自らの尊厳を保つ手段としています。

彼女が否定されるには、されるだけの十分な理由があるのですが、それは、彼女の価値観では受け入れられず、二人の親のメッキ生活をいかに自分に都合よく維持をするか、それは顎で父親を使うということが、彼女の尊厳の「要」でもあります。

私としては、そういうものだろうという認識で、「アホなことには付き合わない」と決めているので、適当に流します。
それは、彼女からすれば、彼女の言うことを聞かない私も、(何かに)洗脳をされた可哀想な、排除するに値する側の人間になっているからです。

父親にしても、母親のいう、私が洗脳されているかどうかを信じているかはともかく(笑)、父親の望む、「今まで通りの生活」を邪魔する存在になっていますから、遠からず、何らかの行動をとることになるでしょう。

自らの行動の結果、家計の面からだけ考えても、「今まで通りの生活」が、できる理由を持ち合わせていないことに気付けないだけでも、父親の認知力の低下を示しています。

父親の財布を預かって判明したことですが、自動車運転免許証の返納をしたといっていても、実際は、免許証が失効しただけで、事務手続きを行ったわけではないこと。

マイナンバーカードも登録をしたと言っていたので、それを前提にしていましたが、探してみると本交付までは至っていなかったことなど、これは結果的に、医療面では後期高齢者の確認証でことは足りることですので、更新手続きをしないで済む分だけ、マシだったかもしれません。

「今まで通りの生活」と言うものは、父親にとっては、ローカル地域の「名士の一人気取り」をすることでありますし、母親にとっては、その「気取」っている父親と、その父親を(顎で)自由に使うことで自らの尊厳を満たすこと。

さらに、金銭面で後ろめたさを持っている父親は、母親を手厚く介護することで、社会の誰からも貶されることがない上に、自らの後ろめたさも解消された「つもり」になれると、二親の間では、需要と供給の関係が成り立っていた生活のことです。

私は、地域社会の階層というものが世の中には存在をする、という認識でいますから、「名士」を気取ろうがどうであろうが、二人の価値観に、付き合わないと決めているので、二親のメッキ生活を否定する一番身近な、なおかつ、メッキ生活を維持させないだけの権限を持たせた(家計を預けてしまった)、面倒な息子であります。

病院の選択一つにしても、「今まで通り」にはいかなくなったわけですが、父にしても母にしても、そのことを「理解したくない」、なぜならば、今までの自分達の判断が間違っていたことを突きつけられるわけです。

父も退院当初は、このことを認識できていましたが、ただ、新しいクリニックの名前を覚えられないこと、や、思い込みで記憶していることも多く、これだけでも半年前とは認知力が変わっていると判断せざるを得ません。

母親の場合、決定的なことは、自分がなぜ入院をしたのかを、当時別の病院に入院していた父親に、正確に伝えることができないことです。
何が起こったかは、自分に対して嫌なことがあったことは、自己を正当化して話すことはできますが、ではなぜ、嫌な思いをしなければならなかったことについては、記憶から抜け落ちてしまいます。

おそらく彼女の思考プロセスにおいて、自分の思う通りにならない入院生活に対してのストレスから、暴言、暴行、一通り暴れたという事実が原因で、病院で拘束をされ、翌朝、間隙を縫って脱走を企てたという事実は、自分の尊厳を傷つけることなので、自分に都合の良い物語を構成することに注力をした結果、父親になぜ入院をすることになったのかを、父親が理解できるほどに話すことができないのでしょう。

母親が私を見る目が以前とは違ってきていることからも、おそらく、先述した通り「何かに洗脳された自分の言うことをきかない、年金を吸い上げる悪徳な息子」と、レッテルを増やしたものと、推測しています。

こういった父母の間だけで成立している社会(夫婦関係)があるのは結構なことですが、ある程度の時間と価値観を共有している集団の価値判断の中でも、「異質」に傾いてしまっていると言わざるを得ないと、私は判断しています。

他人の家庭のことは、他人様のことですから、口を出す必要もありませんが、何せ自分の両親のことですので、悪徳な息子としては、どこまで修正が通用するのかを探索せざるを得ないだろうと。

私の本音では、修正なんぞはできないだろうと。

修正されることが、自分達の生活を否定されることになるので、特に母親は、拒否反応を強く示し、私を排除する傾向を強くするのが、これから先の傾向になることでしょう。
何せ、どんぶり勘定で家計を運営してきた自分より、うまく、どんぶり勘定をするような息子では、彼女の自尊心を満たさないので、私の存在は困ります。

父親の、過度に及ぶ母への介入が、20何年も続けば、母親の人格形成も変化をして、「ろくな人間」には、なり得ないだろうと、私は想像をしますし、事実、母親は、自分を律する行為を放棄してしまいました。

それでも、家計面に関して、真っ当なことが行われていれば、それは、夫婦間の問題だからと息子の私も介入をするつもりにもならなかったのですが、雀の涙ほどの貯蓄を全て崩され、この2年間の父親の年収の9割が使途不明金となっている以上、介入せざるを得ないと言うのが、私の背景にあります。

しかしそれでも、介入しない選択肢もありますが、それは私の良心?正義心?の問題でもありますし、他人様にお話しすることができない(ここに書いてしまっていますが)事象を把握した以上、父親の、墓場まで持っていくつもりでいる使途不明金に対して、監査役を私の脳内に想定して、どこまで事実を把握をし報告ができるのか、は、私の義務(趣味)でもあると、勝手に解釈しています。

怒らず許さず楽しんでやる、バカだとかアホウだとか言われるのは、私の方です。
あと、楽しんでやれるのがどこまでになるのかは、私にもよくわかりません(苦笑)。
Posted at 2025/11/03 23:34:29 | トラックバック(0) | 介護のつれづれ | 日記
2025年11月02日 イイね!

退院後ひと月でリハビリ貯金を使い果たす

父親が退院してひと月が経過しました。

最近は、もっぱら居間でTVを見る生活をしていますが、その理由は、体力の大幅な低下。
心不全が原因で入院をしたのですが、歩くと心臓があぶるようになり、外を歩く自信を喪失した模様。

はて、退院してからしばらくは、そんなこともお構いなしに出歩いていたのですが、いつの頃からそうなったのでしょうか。

どうも薬を切り替えた頃合いからが、怪しい。

そもそも、父親も、自分が心不全で救急で運ばれたという認識が薄い。

内科的な症状を専門外で診察を続けるのには、限界に来ているのでしょう。

しかし、ローカル社会の価値観から離れることができず、少々の認知力の低下も手伝ってか、今までの習慣を変えることができない結果、思うような結果を得る判断を下すことができなくなっています。

もう何年も前から、悪手に至るしかない判断を下し続けていたのでしょう。

なんとか誤魔化しながらやってきましたが、それも行き詰まった先に待ち受けていたのが、心不全による入院、という結果なのですが、本人は、反省の素振りは見せません。

むしろ、こうなったのは、息子が当てにならないからだと父親は、自分自身に言い聞かせているくらい(苦笑)。

知らんがな(笑)。

背中を押されるよりも、手を引っ張られる方が考えることが少ないので、楽なのでしょう。
そのような生活行動をとりたがる傾向が強くなりましたが、おそらくこれも、以前から同様な傾向を持っていたのでしょう。

私は背中を、蹴飛ばすくらいしかできない不器用な人間なので、手を出しはしませんが、いずれにせよ、運動量は低下する一方になりますので、よくはなりません。

公的な支援をうまく使っていこうとすれば、施設に出かけリハビリを受けるなど、家に居続けて昨日と同じ生活を続けることはできなくなりますが、家での生活を続けたければ、変化を受け入れる必要があるのでしょう。
この辺りは、鬱の症状も伴っている母親の影響を、強く受け始めていることも、考慮する必要があるでしょう。

なるほど、人間だって自動車だって、昨日と同じなだけでは、継続することはできない、動的平衡とは、どういうことなのか。
Posted at 2025/11/02 08:24:25 | トラックバック(0) | 介護のつれづれ | 日記
2025年10月29日 イイね!

後追い戦略

ブラッシュアップされた演出と、醸している酒は、どの程度リンクしているのだろうかと、直売所で「ひやおろし」を購入。

常温のまま開栓。
ガスが軽く溜まっていたのか、ポンと音を立てて王冠が抜けます。
色合いはクリアな淡麗、味わいは、ややフレッシュ感を感じながらも、味わいの骨太さを想像させ、喉越しはキリッとアルコール感強く切れます。
この演出は、多くの飲み手が共感できる、まさに辛口。
二日目、三日目は味が落ち着かず、よく暴れる印象。
四日目以降になると、やや落ち着きを見せ始めます。
その頃になると、味の骨格もよくわかるようになり、旨味の演出と最後に感じさせる僅かな甘味とのバランス感の良さは、味わいは多くとも飲みやすくする印象。

白味噌よりも赤味噌に合うのでしょう。

食中酒を目指しているのは、蔵の文言からも、飲んだ酒からも、
そのような意図を感じられること。

数年前に比べて、酒質に雑味がなくなった印象を持ちますが、味わいが減ったわけではない。

インフレの時代は、価格を上げることができ、売上を期待することができやすくなるでしょうが、消費者からその価格に見合ったものなのかどうかを、強く見極められることにもなるでしょう。

Poloのシートポジションを見直した私としては、安上がりなものですが、見直した結果は、安上がりなものではない。
体格の変化に合わせたシートポジションの修正に、それを怠っていたことを学ぶことができました。

それと、ご飯の食べる量を増やさないと、カロリー摂取が少ないままになってしまいそうですので、こちらも適正化を目指します。

政治の世界も、ポジションの修正が図られているのでしょう。

国や地域によって適したポジションは異なる、と考えるのは、私にとっては「普通」なのですが、これを共通した価値観の元で統一しようというのが、普遍主義であり、リベラル主義が好む、カントの永遠平和の理屈を、世界中のどこもかしこでも通用させようとした結果がリベラル主義に反動をする保守的な政権が誕生する理由であろうと、私は考えます。

日本酒にとって、適正化というものがあるのか、もしくはそれが必要なのかは置いておき、剣菱を始めとした濃醇な味わいの酒造りは、伝統を継承する保守的なものと言っても良いでしょう。
それに反動したのが、精米歩合をとにかく低くし(多く磨いて)、(文字通り)淡麗、かつ香り立つ酒造りとなったと考えます。
これらの「韻」は、江戸時代中後期の主流であった「灘の酒」に対する反動であると考えます。

そして現在、精米歩合を低くするのも行き着いた感が出て、その反動で、精米歩合を高くする酒造りも増えてきたというところでしょう。
背景には、製造コストの高騰も関係するのは、無論のことです。

自動車も、内燃機関に対する反動としてのEV、という対立構造では、あまりバランス感がよろしくなかった。
短期的に、資本の運動を効率化するには、都合の良いやり方だったのかもしれませんが、資本家のために、金融資本家のために、その他の人類社会が存在するようなやり方では、これもどうでしょうかね。

右も左もどちらもバランスを崩すと、その反対側へ傾くようになっているのが人類社会の法則なのでしょう。
ただその反動も過度なものになるとバランスを崩し、これもまたさらなる混乱の元になる、と私は考えています。
Posted at 2025/10/29 10:41:11 | トラックバック(0) | つれづれ | 日記
2025年10月26日 イイね!

改良

この日は、両親の介護(のようなもの)問題が発生してから、お世話になりっぱなしだった叔母への感謝と御礼の気持ちを込めて、県内の酒蔵ランチにお誘いしました。

ただこの日、退院して間もない父親が、日帰りのバスツアーに出かけるということで(阿呆)、当然反対する私を想定して、母親とタッグを組んでくるという事態を経ています。
その愚痴も叔母に聞いてもらうことになります(苦笑)。

これも認知症の影響を受けているんだろうなと考えると、歳をとって頑固になるには、頑固になる理由があるのだろうと。

おそらく10年前は、十日前に心不全で退院してきた90歳の男性が、一緒に日帰りのバスツアーにくるという話を聞けば、もの笑の種にしていたはずですが、まさか自分がその種になっているとは、よもや、考えていないようです。

Poloは、さほど汚れていないので、窓を拭いて、ステリングを清掃。

スーパーで買い出しをしていると気がついたのですが、食材や惣菜もののパックを触った後は、指先やらが微妙にベタつくことが多い。
スーパーを出るときに、手洗いをすれば良いのですが、つい忘れてきてしまうと、そのままステアリングを握ってしまいます。

以前に比べて、走行時間が少ないのに、ステアリングの汚れ感は短期間で汚れを感じるようになっていたことの理由が、上記の理由ではないだろうかと。

汚れれば、まめに洗えば良いというのが、私の嗜好ですので、ステアリングの清掃は、溶剤を使ってこまめに、行なっています。

Poloで叔母を迎えに上がって、ランチに行きます。

先日、TVで紹介されたようで、テーブルの予約は満席でしたが、予約の時間まででしたらご利用できますとのことで、滑り込ませていただきました。

一年半ほど前にも来たことがあるのですが、その時と比べて、お店全体がリファインされていると感じます。

料理の味付け(私の舌が評価できるかどうかは別で)、配膳の仕方、器の選定、諸々のレベルが上がっていると、私は感じました。
料理も美味しいですし、食器の選択の演出も理にかなっている、ように感じます。
食後のデザートの和紅茶も、味わいの深さがありながら、かつ、角感がなく、まろやかさを保つことができます。
提供するお湯の温度管理が適切なのでしょう。

叔母にも満足してもらえたようで、こちらも一安心。

金と時間に乏しい私はといえば、刺激を受けて、Poloのシートポジションの見直しを行いました。。。いやぁ、合理的ですな(苦笑)。
Posted at 2025/10/26 16:56:21 | トラックバック(0) | つれづれ | 日記
2025年10月19日 イイね!

どこかに行ったお金の話

さて、先月、すったもんだの結果、必要以上の現金を母親に手渡しましたが、結果は、私の予想通り、行方不明に。

私としては、既成事実を作るための投資だと認識していますので、母親が、気がついたら無くなっていた、と言われても、さもありなん。

さらには、動けない私が使えるはずがないのだから、息子が勝手に持ち出していったに違いない、と決めつけられ、年金を吸い上げる息子の悪徳がまた一つ、加算されることになりました(笑)。

この裏事情としては、母親が入院したその日に、書類が必要になり探していたところ、母の棚に、お金を入れてあった封筒自体が無くなっていることを気づきます。

これはおかしいと、思いつく箇所を探りますが、当該の封筒を見つけられず。
病院を脱走をして退院させられた母親に、封筒のありかを尋ねると、本人も覚えておらず、「きっとどこかに仕舞い込んだ」と。
月末でしたので、突飛の支払いがあるといけないと、別に、5千円を入れた封筒を渡したのですが、これも消えてなくなります(笑)。

消えてなくなった理由は、末日に配食の支払いをするために、彼女の目の前で封筒の中身を出して、現金2千円と、千円札が折り畳まれて膨らんだポチ袋を見つけます。
ポチ袋は無視して、2千円と不足分のお金を私の財布から出して、支払いを済ませました。

この事実が、彼女の中では物語化し、私が勝手に封筒の中身を開けてお金を取っていった、ということになります。

さすが、悪徳な息子です(苦笑)。

悪徳な息子は、認知症が進行した母親にも容赦をしませんから、なぜ5千円が無くなったかを、時系列で話をしていきます。
当然、ポチ袋の存在と、私が5千円を取っていったことの整合性が取れなくなりますから、母親の論拠は崩れますが、彼女の尊厳はそれを許しません。
無くなった別の封筒についても、あれはお前が勝手に持っていったに違いない、なぜならば私は動けないからだ、と、彼女の中で通用する論理を展開しますが、支払ったお金と残金の確認をすると、いくら残っていたかもわからず、また話を5千円の封筒の話に戻す、ということを繰り返します。

同じ土俵に立ってしまうとこんなものですが、この日は、あえて土俵に立って、まだ不可思議くらいしか認識できていない父親に、母親の認知症の進行具合を現実として見せつけると考えていました。

私としては、味方にはならんだろうけれど、敵にもならんだろう程度を期待していましたが、父親には父親の都合、使い込んだお金の話をなんとしてでも逃れたい考えがあるので、認知症を見せ始めている母親を利用する方が、自分に都合が良いことに気がつき、母親側への立ち位置を明確にしました。

今まで使い込んだお金を、認知症を患い始めた母親が、もう調べることができないと気がついたのでしょう。
となれば、このまま墓場まで逃げ切ることができると、父のそれ以後の言動から、私は理解しました。

そして母親の視点からは、父親が使い込んだことを母が認識をすれば、私が家計を管理することに正当性を持たせてしまうので、母が主張する、家計の権限の返還は、ほぼ、不可能になります。
母親は母親で、父親の使い込みに関しては、知らないふりをするかもしくは擁護をしないと、自分の主張を通すことができなくなります。

この二人の親の態度に、私としては、頭がチンチコチンになりながらも、どうせなら父親の話も聞き出してしまえと、矛先を変えて、使途不明金の話に足を突っ込みます。
父親に話を向けると、話を広げますがこれは想定通り、なかなか巧妙な嘘(事実を自分が被害者であるかのような話)を構築しています。
母親は机の向かいで、錯乱したように声を上げていますが、本人も何を言ったのか覚えてはいないでしょう。

父親は、使い込みの詳細には触れず、自分が突き詰められることを回避するために、のらりくらりと話を揺らします。
私も追い込みはせずに、知りたかった事を引き出すように話をします。
するといろいろ合点がいく言質を得ることができました。

使い込んだルートとしては、いくつか考えられます。
そのうちの二つのルートの言質を得ることができました。
一つは、治療費。もう一つは、虚栄のための出費。

治療費に関しては、手元にある領収書の金額だけでは到底間に合わない出費をしているはずですが、その高額の領収書だけが、見当たりません。
高額治療を行うのは勝手ですが、その金額の量分も弁えず、家族に相談もなく、まして母親の治療を放って自己を優先する態度に私は、納得をしていません。

もう一つのルートは、身の丈を顧みず、ローカル社会で虚栄を張るがための出費が、収入の半分以上になっているのは、趣味の世界とはいえ、異常でありましょう。

我が親ながら恥ずかしいというか、見方を変えれば我が親故にこうなのだろうと。

以前近しかった人から、見栄を張った車に乗っている人と将来を共にするのは、信用ならない旨を、言われたことがあります。
身の丈に合っていない見栄を張った車とは、Poloのことでした。
私の身分と収入からして分相応、といえない分は、私の趣味が自動車にまつわることだけですので、その分を加味すれば、さほど問題はないと私は判断をしていましたが、その判断は、甘かったのだと、今回の両親の性質を見ながら改めて反省をしました。
私の身の丈に合っていないPoloを、「円安後のゴルフの金額」と間違えているという、相手の認識の誤謬はありましたが、私は直観で、Poloとゴルフの違いを言っているのではない、見栄を張っていると(誰かに)思われても仕方がないような選択をする、私の価値観との相違を主張しているのだと考え、私は、彼女の信用を得ることができなかったのだと認識し、反論も同調もしませんでした。

それで今回の一件から、なるほど、私の言動や行動に、相手から見たら「見栄を張っている」と認識されたのは、両親の性向を無意識に身につけている私が、十分に配慮しているつもりでも、実は配慮が不足しているからだと気がつかされました。

さて、話が横にそれましたが、結局、両親の金銭管理については、阿呆な話にしかなりえないと判断をしています。
阿呆な話とは、両親にとっての生活費とは、二人のメッキ生活を成立させるためのものだからです。
そこに客観的事実や、ある一定の時間の経過を共有した共同体の価値観(道徳)からの「監査」を、必要としていません。

私が突っ込んだお金(両親の入院治療費その他)を諦めて家計の権限を返還すれば、こんな阿呆な話に付き合うことも無くなりますが、それで良いのかというのは、私の倫理観でもありますし、貸した金は返せよと、私の本能が言っています(苦笑)。
Posted at 2025/10/19 20:26:32 | トラックバック(0) | 介護のつれづれ | 日記

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