大阪・天満橋から和歌山県南部の熊野本宮まで古代人になりきった気持ちで歩き通すと言うおバカな企画もいよいよ大詰めの6日目になりました・・・
この日も特段、長距離コースでもなく地図のコースタイムでは6時間程度の歩行行程の為、民宿でゆっくりとしようと思っていたのですが、昨日に熊に遭遇し、逃げて走った際に足に靴擦れを惹起させ、それを破裂させてしまい、大出血し、足に激痛が走っていますので、この分だと通常コースタイムの1.5倍~2倍はかかるだろうと思い、7時に出発となりました。
一時はここで歩行を中止しようと思いましたが、ここからはタクシーでしか引き返す手段が無いですし、今日はバスの通る十津川集落まで歩いてみてもう一度考えようと思いました。
民宿を出発すると、すぐに民宿が運営する水田が有りました。
学生たちに田植えや稲刈りを体験してもらうための田んぼらしいです。。
昨日見た「腰抜田」は史跡に指定された田んぼが有ったところで、この辺りの食糧事情を一手に引き受け、腰が抜ける程多忙だったという事らしいです。。
三浦峠の登り口に、有名な「三浦の湧水」があり、古代から旅人達はここで飲料水を補給していました。
大きな川を吊り橋で渡ります。。
そこからは暫く里道を歩きます。。
そしてやがて、古い石畳の道に。。
この石畳は今で言う舗装道路の様なものだったのでしょうが、現代の登山靴で歩くと苔が生えている部分でつるつると滑り、お世辞にも歩きやすい道とは言えません。
そして、石畳の道ながらも、巨木が茂る山道になっていきます。
坂が急になるにつれ、靴擦れが敗れた箇所に激痛が走ります。。
歩きにくい事この上ないです。。
吉村家防風林跡。。
ここでは昭和23年頃まで旅籠が営まれていたそうです。。
登山道は三浦峠に向けて、どんどんと登ります。
崩落危険場所には階段が整備されていて、危険を感じることなく歩けます。。
遥か下に三浦集落を流れる川が見えます。。
もうこんなに登って来たのだなと思います。。
「無理をしない」「水あります」の有難いお言葉・・・
「三十丁の水」です。。
小辺路を歩いていて思うのですが、由緒ある古道だけ有って、水を補給する場所は随所に有り、困らないのが良いところです。。
これがその水汲み場で、奇麗に整備されています。。
古代人やご先祖様も京の都や大阪から遥々歩いて来て、ここで水を飲んだのかと思うと万感の想いで心が熱くなります。。
ここまで来ると、展望も開け、周辺の奥深い山々が見えます。。
昨夜宿泊した民宿の有る三浦集落と、昨日、熊に遭遇した伯母子岳までが一気に俯瞰出来ます。。
そして小辺路も益々頂上に近い雰囲気を呈してきます。。
草生して道が判り辛くなる箇所には、御覧の様にご丁寧に網が張られています。
なかなかいい雰囲気です。。
やがて、登り始めて4時間半ほどで、三浦峠に到着しました。
通常コースタイムなら3時間程度ですので、足の激痛のため、1時間半は余分にかかっている計算です。。
三浦峠は頂上部に林道が通っていて、殆どそこが「ピーク」という感じはしないのが残念です。 (/ω\)
そして足の負傷に起因する余分な時間を短縮するために休憩時間を詰めて、十津川集落に向けて再出発します。。
「出店跡」の標記が当時の栄華を伝えてくれます。。
へぇ~、こんなところに出店が有ったんですね~。
石垣が組まれていて、いかにも建物が有った感じを醸し出してくれています。
そんな歴史的建造物や地形が有る箇所以外は普通の登山道なのが小辺路の特徴と言えます。
暫く下ると「今西集落」の標記が。。
よく見ると反対側の斜面の高いところに集落が見えます。。
あんなところに民家が有るなんて、想像を絶します。。
ちょうどここでお昼時間になりましたので、民宿で作ってもらったお弁当を食べました。
紀州名物「めはり寿司」です。。
古代人が小辺路の旅をした時に食べた保存食が今まで伝えられています。
そして、ここでもまた時間を短縮して歩行を再開させると、随所にご覧様な歴史的遺跡が現れます。。
民家跡が現れると、間もなく中間点の西中集落です。。
やがて舗装道路の出て、ここからは延々3時間、舗装道路歩きが始まります。。
ちょうど1日に3本しかないバスが走り時間ですが、敢えてスルーします。。
舗装道路ですら土砂崩壊で迂回路通行となっていました。。(/ω\)
舗装道路が小辺路だと言われても、あまりピンときません。。
沿道の神社に参拝しながら痛い足を我慢しながら歩き・・・・
コースタイムより3時間半遅れて十津川集落に入りました。。
そして、やっとの思いで予約していた民宿に到着しました。。
なかなか奇麗な民宿です。。
もちろん、源泉掛け流しの温泉ですので、足の傷口の治療方々、先ずは入浴させていただきました。
美味しい夕食を頂きながら、この先、明日はバスで帰ろうか、はたまたゴールの熊野本宮まで歩こうか考えました。。
出した結論は、明日は熊野本宮近くの湯の峰温泉で泊まるので、ゆっくり歩けると判断し、ゴールを目指すことにしました。。
そして、翌朝は快晴の中出発。。
いよいよ大阪市の天満橋から歩き始めて8日目! 最終日です!
赤い橋を渡ったところから果無峠の登りが始まります。。
遥か後方に見える山脈が果無峠です。。
道標に沿って、舗装道路から登山道に脚を踏み入れます。。
昨日と同じ、小さな石畳の歩きにくい登山道です。(/ω\)
この道も一気に高度を稼ぎますので、急登で息が上がります。。
足の靴擦れが破れた後も治癒せずに激痛のままですので歩みが進みません。。
やがて、登り詰めたところに集落が有りました。。。
果無集落です。。
「果無峠」「果無集落」・・・
いやぁ、随分遠く、果てまで来たんだなという想いを興させる、とても趣のあるネーミングじゃないですか!
熊野古道というよりも、このネーミングに惹かれて訪問する人も多い筈です。。
こんな高所に、何とも言えない良い感じの田んぼが有りました。。
ここで収穫されるお米はさぞかし美味しいんだろうと思います。。
そして、ぽつんと世界遺産の石碑が。。。
さぁ、ここからは熊野本宮参拝に向けた最後の峠越えが始まります。
大阪・天満橋から和歌山県南部の熊野本宮まで古代人になりきった気持ちで歩き通すと言うおバカな企画も遂に後半の6日目になりました・・・
この日は特段長時間、長距離コースでもない為、民宿でゆっくりと朝食を頂いてからの出発となりました。
そして、民宿の女将さんが小辺路の登山口までマイカーで送ってくれました。。
大股の集落とは言ってもここが一番繁華街的な場所です。( ゚Д゚)
小辺路へは谷間に密集した家々の間を進むことになります。
熊野古道は世界遺産に指定されただけに、案内板は充実しています。
坂道は急で、直ぐに息があがります。。
思えば熊野へ通じる古道は大阪府内を歩いていた時とは全く違う、完全な登山ルートになっていることに改めて気が付きます。。。
しかも道標は古道という表記よりも、伯母子岳の頂上を目指す表記に変わってしまっています。。
道幅はしっかりとしていますが、本当に急な「登山道」です。。
1時間ぐらい歩くと、「萱小屋跡」という元茶店跡に出ました。。
結構、今でもしっかりと管理されているログ風の避難小屋で、無人小屋として宿泊にも提供されている様です。。
小屋の中はこんな感じで、囲炉裏を囲んで左右に2人づつ寝れるスペースが有り、4~5名で泊まれます。。
とてもいい感じですね~。
外に出ると、なんと湧水で冷やしたビールが300円で無人販売されていました。
ここからは未だ6時間程度歩かなければなりませんので、ビールはぐっと我慢です。。
美味しそうなビールに後ろ髪を引かれながら小屋を後にしました。。
世界遺産登録がなされたルートだけあって、かなり綺麗に整備された登山道が続きます。。
道標類も非常によく整備されていて、道に迷うことは有りません。。
さらに1時間も歩くと、目標の叔母子岳の山頂が見えてきました。。
今日は本当に時間的に余裕が有りますので、小辺路を反れて、1時間ほど余分にかかる夏虫山へのピストンルートに脚を踏み入れてみました。
昨日、高野山からスタートして以来、本当に誰一人として会いませんので、盗難の心配も無く、荷物を入山口にデポします。。
夏虫山への道は、誰も入らないのか、かなり荒れている雰囲気でした。。
案の定、大きな倒木に行く手を阻まれてしまいました。
遥か前方にも同様の箇所が確認でき、通過に時間を要しますので、夏虫山登頂は諦めて、引き返すことにしました。。
帰り際のちょっとしたピークに、「山」と書かれた変な石票が有りましたが、まさかここが夏虫山の山頂??
そして、小辺路の戻ってからも遂に崩落個所が・・・
この辺は稜線に近く、気象条件も過酷なのでしょう。。
そして遂に稜線に達すると、護摩壇山方面への道標も現れます。。
叔母子峠まであと1km!
やがて、無人避難&宿泊小屋の「叔母子小屋」が見えてきます。。
ここは15年前に同ルートを歩いた時に泊まらせて頂いた小屋で、当時とは全く変わっていません。。
小屋の室内はこんな感じで、詰めれば16人は宿泊できそうです。。
ここでちょうどお昼になりましたので、民宿の女将さんに作って頂いたおにぎり弁当を食べました。。
そういえば、15年前に泊まった時は、野生動物が近くに群がり、不気味な鳴き声を発するので、眠れなかった記憶が有ります。。
さて、昼食も食べ、出発しようとしましたら、なんといきなりの通行止めです。
仕方なく迂回路を行くことにしましたが、この迂回路が途中まで叔母子岳の頂上に通じるルートでした。。
現場はかなり前から崩落&通行止めになっている雰囲気でした。。
小屋を高巻きします。。
迂回路の表示が至る所に有りますので、心強いです。。
迂回路にも立派な「熊野古道」の標識が有りましたので、通行止め期間は相当長いのでしょう。。
5月の下旬なのに、山ツツジが奇麗です。。
そして、ついに360°の展望が広がる伯母子岳山頂に到着しました。。
遥か彼方に続く尾根筋は護摩壇山へと続く稜線です。。
三角点にザックを置いて大休止です。。
歩いてきた方向を見ると、2日前にスタートした高野山(双耳峰)が見え、あんな遠くから来たんだなぁと実感できます。。。
高野山の背後に霞んで見える山は奈良と大阪の県境の山、金剛山です。。
取り敢えずは記念に自撮りです。。
と、その時。。。
今回の小辺路歩きで初めて人に出会いました。。
この人は群馬県から来た人で、今朝から護摩壇山の駐車場に車を留めて、尾根伝いに歩いてきたそうです。。
2時間ほど前に子熊に出会ったとかで、かなり怯えておられましたが、もう時間が経過しているので大丈夫ですよっていうと、安心して戻って行かれました。。
さて、私もここに長居してしまいましたので、出発することにしました。。
迂回路を案内に沿って下山します。。
そして、元の小辺路に出て、ご覧の森のトンネルを出たところで事件は起きました。。
ここを左に曲がりながら下ると、いきなり道が崩落していました。。(>_<)
そしてどのように歩いて越えようかと思案六法しているところに急に頭上から人の頭大の岩石が2個落ちてきて、咄嗟によけて難を逃れました。。
そしてここからです・・・
危ないなと思って崖の上を見ると。。。
なんと大きな熊が居るではありませんか!
(画像は他からの借用です)
そしてこの熊、崖を渡ろうとしていましたが、岩が崩落してきて前へも後ろへも行けない状況!
距離は私の前方10m、そこから上へ10mの地点。。。
熊と目と目が合っています。。
私は熊が見えなくなる地点まで後ずさりして、様子を窺いました。。
30分経っても熊は前にも後ろへも行けない状況・・・
たまに手足を動かすと、直ぐに頭大の岩が崩れ落ちると言う状況です。。
私は前進を諦めて、1時間戻って先ほどの小屋で一夜を明かすか、
はたまたここを突っ切るかの決断に迫られました。。。
さらに10分考えた結果、答えは「前進してみる」でした。。
私は山を下る方向に歩いていて、熊は山に登る方向に向いています。
私が登り返して叔母子小屋の方に戻ると、ちょうど崖を越えた熊に私が追いかけられる展開ではないかと判断したからです。。
お互い、目的の有る方向へ向かって自然に進もう。。
そう判断した訳です。。
そして熊を見ながら、2歩、3歩と前進してみると、突然熊は怯えたような大声を出して吠え、5個くらいの岩を落としながら崖を渡って茂みに去ってくれました。。
これは熊をその時撮影したつもりが、手が震えて滑り、自分の脚を撮ってしまった失敗作です。。
そしてそこからは急に物凄い恐怖心にさいなまれ、猛烈に走って逃げました。。
10分ほど走ると、上西家跡というところに出ましたので、熊の出没報告をするために記念撮影です。。
ところどころに先ほど熊に遭遇したところと同じ様な崩落個所に出くわしますが、どこともよく整備されていました。。
そして兎に角走る走る!
熊に遭遇すれば走ってはいけないことくらい、山屋ですので百も承知ですが、自分自身に襲い掛かった恐怖心はその知識にも勝っていました。。
そして、人工物が見えると、ようやく気持ちが静まりました。。
トンネルを抜けると今夜宿泊する民宿です。。
ここに書かれている「腰抜田」とはまさに今の私の状況です。。
そして、こんなに民宿が有りがたいと思ったことは有りませんでした。。
靴を脱ぐと靴擦れで出来た水膨れが破裂して、靴の中は血まみれでした。。
急に襲う激痛!
それはそれはもう地獄でした。。
明日以降、もう歩けないかもしれません。。(/ω\)
大阪・天満橋から和歌山県南部の熊野本宮まで古代人になりきった気持ちで歩き通すと言うおバカな企画も遂に後半の5日目になりました・・・
この日は前日の宿泊費を浮かせるために自宅からの出発となりましたが、いよいよ小辺路へ脚を踏み入れますので、熊野本宮へはエスケープして後戻り出来ない一方通行の道程が始まります。
南海電車とバスを乗り継いで到着した昨日のゴール地点・高野山の千手院橋交差点です。
この日は一部地域で警報が出る程の生憎の大雨です。
ルートには全国的にも有名な「ごま豆腐」店・浜田屋さんが有ります。
お寺の他にも、御覧の様な明治クラシカルの古風な建物も有ります。。
バス停から5分も歩くと、これから熊野本宮まで延々4日間かけて歩く小辺路への分岐点が有りました。。
ここからは、御覧の様な車も通れる規模の林道が続きます。
そして、「ろくろ峠」に到着。
ここは私の会社の上司が熊に遭遇した地点です。
あっ、しまった!
あろうことか、上司から注意を受けていたのに、「熊よけ鈴」を自宅に忘れて来てしまいました (;゚Д゚)
「ろくろ峠」の名前の由来は、小辺路を熊野から越えてきた人が、高野山の伽藍を目にして、首が「ろくろ」の様に長くなると言った例えかららしいです。
それにしても、私1人で歩いていると、いかにも向こうから熊がのっそりと歩いてきそうで、恐怖心を覚えます。
大雨で、合羽を着ていますので、視野が狭くなるのも難儀なものです。。(/ω\)
林道脇には、側面に突っ込んだままの乗用車が。。。
かなり古いものと思われますが、一応、ご遺体などが無いか確認。。
周辺の雰囲気と相まって、かなり不気味です。。
世界遺産の小辺路のこんなところに車が捨てられてあり、しかも回収されていないところに「和歌山クオリティ」を感じてしまいます。(-_-;)
時折、展望が開けるのですが、大雨で遠雷が聞こえると言う状況で、早くこの場を立ち去りたい焦燥に駆られます。
そしてここから林道と分岐して左の山道へと侵入します。。
完全な山道です。
東側斜面は低気圧の影響で、かなりの強風が吹き荒れていて、一層歩き辛くなります。。
登った分以上に下降すると、高野山・奥の院から流れる御殿川に架かる橋が有りました。。
東家(あずまや)が有りましたので、ここで昼食を兼ねた大休止することにしました。
いやぁ、雨の中の連続歩行は厳しいものが有ります。
今日はコースタイムで7時間分を歩かなければなりませんが、悪天候の疲労で8時間は優にかかってしまいそうです。(/ω\)
取り敢えずは合羽を脱いで侵入した雨水を拭いてリラックスします。。
20分間の大休止の後、再スタート。。
暫く急な坂道を歩いていくと、尾根筋に出たところに、昔、旅籠だったんでしょうか、ポツンと一軒家が有りました。。
そこからも、道は良く整備されていますが、いかにも熊が出そうな雰囲気が付き纏います。。
全体を通じて尾根歩きの様相です。。
そしていよいよ小辺路歩きの難所??
「高野龍神スカイライン」に出ます。。
小辺路は30分くらいこの高野龍神スカイラインになってしまいます。
大雨故、道路を水飛沫を飛ばしながら、大型観光バスやトラックが走り去って行き、歩くにはとても危険な状況です。。( ゚Д゚)
雨も一段と激しさを増し、遠くの山々が霞んで見える有様です。。
非常にモチベーションが下がります。。(/ω\)
カメラを水中カメラにしておいて良かったです。。
立里荒神さんへの分岐点ですが、ここは直進します。。
超高速で車が通過していきますが、歩道が無く、非常に危険です。。
30分歩くと、ようやく自動車道路の歩行が終わります・・。
自動車道路と別れ、左の芝生の部分を登っていきます。。
大股への道標も有りました。。
そして10分くらい歩くといきなり・・・・
大雨による歩道の崩落現場に遭遇してしまいました。。
このケースでは上部を遥か10mほど高巻きして歩かないと、さらなる崩落を誘発して、自分自身が谷底へ墜落してしまうという危険にさらされてしまいます。
山歩きに慣れていない人が判断を誤ると、死に直結する不具合ですので、大股集落の民宿に着けば、即座に報告しようと思います。
てな具合で、崩落個所を10mくらい高巻きして越え、「大股」の道標に沿ってさらに歩みを進めます。
そして、大股集落に近づくにつれ、道は舗装された林道になります。。
もうかれこれ6時間は歩いています。。
またまた東屋が有りましたので、小休止です。。
やはり「熊出没注意」の張り紙が有ります。。
本当に6時間も大雨に打たれていると気分が萎えて来てしまいます。。(/ω\)
時折、小辺路は林道から反れます。。
おっと、こんなところに今夜泊まる民宿「かわらび荘」さんの看板が。。。
どうやら林道の通りに行く方が近道の様ですが、ここは敢えて左折して小辺路を進みます。
遥か下方に大股の集落が見えます。。
「まだこんなに遠いのかぁ~」っと気分がめげます。。
しかも大雨による倒木など、決して安全ではない道。。。
出会い頭に熊と遭遇しそうな恐怖感。。。
足早に歩くと。。
ようやく民家が見えて一安心。。
大股集落に到着です。。
民宿かわらび荘さんはここから川沿いに20分ほど歩いたところに有ります。。
コースタイムより1時間30分遅く16時に到着しました。。
取り敢えず食堂でビールを呼ばれます。。
そして、奥様が近くの温泉に送ってくださると言うので、お言葉に甘えて温泉へ。
幸運なことに、客は私一人でしたので、ゆっくりと浸かれました。。
夕飯はなんと猪鍋。。。
これがなんとも美味でした。。
そして、山間部の民宿お決まりのアマゴ。。
奥様に依頼して記念撮影。。。
この時は、まさか明日、とんでもないことが起きるとは夢にも思っていなくて、思いっきりアホ面で微笑んでいます。
最後は雑炊で〆です。。(^^♪
取り敢えずこの日は広いお部屋でぐっすりと眠ることが出来ました。
大阪・天満橋から和歌山県南部の熊野本宮まで古代人になりきった気持ちで歩き通すと言うおバカな企画の4日目・・・
この日から会社は連続して5日間の休暇を取得し、週休2日と重ねて7連休としましたので、スタートは朝10時に仕事を終えた会社帰りではなく、自宅からと相成りました。
あの常夜灯の下から紀ノ川の渡し舟が出ていて、私のご先祖様なんかもあそこから乗船して高野山へ向かったのかもなどと思うと、感極まります。
現在は勿論、橋が架けられていますが、私の地元とは言え平素は車でしか渡らないので歩いて渡るのはまた新鮮です。
渡り切ると道は早速二股に分かれていますが、右へ進路を執るのがどうやら正解の様です。。
常夜灯は勿論、対岸にも有りました。
古代人はここで舟を降りて、また高野山に向けててくてくと歩きました。
こちらは西行庵。。
西行は、『新古今集』の歌人で、鳥羽上皇の北面の武士であったが、その後法師となり、修行の旅の途中の一時期、この小さな庵で3年間生活したとされます。
庵の近くには西行が詠んだ歌に出てくる苔清水が今でも湧き出ていて、内部には西行の像も祀られています。
わが街にも歴史にちなんだ史跡が結構あるものだなと感心。。
やはり田舎だけあって、大阪府下の街道よりも沢山の古くからの建物が残っていて、歩く旅人の目を楽しませてくれます。
昔からの御神木とおぼしき巨木が残っています。
落雷の直撃を受けてしまったのでしょうか??
でも未だ葉が付いていますので枯れてしまったわけでは無いようです。
学文路(かむろ)天満宮に通じる鳥居です。
今日は時間の都合で立ち寄れませんが、学文路天満宮の祭神は、字の通り学問の神様である菅原道真公で、その左側に天穂日命(あめのほのひのみこと)、御父君 菅原是善卿(すがわらこれよしきょう)、御母君 園文字姫(そのもしひめ)の3柱、右側に旧学文路村内の55柱を祀っています。
南海電鉄さんが5枚入り学文路駅の入場券(ご入学)を発売していて、受験の神様としても名高い神社です。
そして旅の安全を祈願する六地蔵も祀られています。
こちらは「お大師さん」こと、学文路大師です。
道幅も狭く、正に旧街道と言った雰囲気ですね。。
やがて街道は紀ノ川の流れを展望する箇所に出ます。
遠望の山のV字型の一番低いところが昨日、歩いて越えた県境の紀見峠です。
街道は紀ノ川の真横を通ります。
やがて学文路駅の手前で直角に曲がり、一気に山の斜面へと続いています。
南海電鉄さんの学文路駅の場内信号機が見えます。
踏切を渡ると一気に登り勾配が始まります。
その坂の急勾配具合は、御覧の民家の石垣をご覧になれば一目瞭然です。
一気に高度を稼ぎますので、上部から紀ノ川を俯瞰出来ます。
ここへ来て、初めて「高野参詣道 京大坂道」の標記を発見することが出来ました。
日本の集落では、ご先祖様の墓地は、街を俯瞰できる景色の良い場所に建立されていることが多いですね (^^♪
そして、今日の歩行の最大の見せ場である西光寺さんに到着しました。
看板をよく見ると、「人魚のお堂」と書かれています。。( ゚Д゚)
実はここには、「人魚のミイラ」と伝わる寺宝が眠っています。
この日は公開日では有りませんでしたが、公式HPから引用したそのミイラとは・・・・
可愛い石碑が建っていますが、実物は・・・
ご覧の様なものです。。
ちゃんと魚の様な尻ヒレも有ります。
グロいですね。。( ゚Д゚)
千数百年前に滋賀県の蒲生川で捕らわれたといわれ、不老長寿や無病息災を願う人々の信仰の対象となっているそうです。
このお寺は苅萱堂とも言われ、平安時代末期の親子悲話「石童丸物語」ゆかりのお寺で、出家した父・苅萱道心を捜して高野山までたどり着いた石童丸と母・千里ノ前だったが、女人禁制のために石童丸だけが入山。麓の宿で一人待ち続けた千里ノ前は、石童丸が戻る前に没してしまい、この地に菩提寺が開かれたといいます。
その千里ノ前が日頃から傍らに置いて崇拝していたと伝えられる「人魚のミイラ」が今も千里ノ前座像のそばに安置されており、苅萱堂に伝わる数々の秘宝の中で最も謎に包まれています。
そして、河根集落のピークを過ぎると、丹生川に向けて一気に下り勾配です。
遠く、高野山の雪池山のピークが見えました。
麓には集落も見えます。
下りきったところには神社が有りました。
古代人は、旅の途中に神社仏閣が現れる度に参拝しました。
その清らかな行動そのものが後の日本人の勤勉で実直で真面目な国民性の形成に大きく影響しました。
「明日に礼拝夕べに感謝」
「お天道さまが見てくださっている」
「悪行を行えば罰が当たる」
村の宿場です。
これだけ次々に神社が現れれば、旅人もさぞ参拝に忙しかったことでしょう。。
そして丹生川を渡ると、再度、本格的な登り勾配が始まります。
大きな旅籠跡とおぼしき建物も点在しますが、無人・廃屋となっている家も多く見受けられます。
そして、日本最後の仇討の跡なんてところも存在します。
昔は親族が殺害されたら、その残された遺族が殺人犯を殺せると言う素敵な制度が有ったんですね。
理不尽な殺人事件の多い今、そんな制度をもう一度復活させて欲しいものですね。
仇討の跡とはイメージが正反対の美しい森の稜線を歩きます。
しばらく行くと、仇討された側の人達を祀るお墓が有りました。。
いや~ぁ、実に日本人らしいですね~。
そして、急に縁結びの神様が。。
女人高野参拝者が多かった昔は、この神社も振るわったことでしょう。(^^♪
宿場跡や・・
小学校跡
古い廃屋
森林鉄道跡・・
などを辿ると。。
極楽橋に出ました。
左側は南海電鉄さんの終着駅です。。
ここから高野山への最後の難関。。
本格的な登山道です。。
途中から「いろは坂」と呼ばれる旧道に入りますが、完全な山道です。。
雪池山が一層近くに見えます。。
清不動を過ぎると間もなくゴールの女人堂です。。
遠く京の都や浪速から歩いてきた人は、この女人堂を見て、感慨無量だったことでしょう。。
因みに、その名の通り、昔は女性の参拝はここまで。。
ここから先は男性しか入れませんでした。。
ここからがいよいよ高野山です。。
この日は千手院橋まで歩き、宿泊費を浮かせるためにバスと電車を乗り継ぎ、自宅へと帰りました。
いよいよ明日からは後戻りできない小辺路歩きが始まります。。
大阪・天満橋から和歌山県南部の熊野本宮まで古代人になりきった気持ちで歩き通すと言うおバカな企画の3日目・・・
2日目も見所が多く、三日市宿まで行くつもりが河内長野で切り上げてしまいましたので、この日は河内長野駅からのスタートです。。
・・・という訳で、3日連続、10時に仕事を終えてからの行動となり、この日は南海高野線で河内長野駅までやってきました。。
今日の目的地は橋本の紀ノ川船着き場跡(常夜灯)ですが、南海電車に乗れば約20分足らずで到着してしまいます。
今から歩けば6時間ほどかかる算段です。。。
河内長野界隈は高野街道で唯一の商店街アーケード内歩行も有りました。
その出口には御覧の様なモニュメントが・・・
モニュメントによると、大阪平野を西高野街道・中高野街道・東高野街道と3つに分かれて南下してきた高野山参拝のための街道が、この河内長野市で合流してひとつの「高野街道」となって紀見峠を越え、和歌山県の紀ノ川に至ることが判ります。
駅前から一歩街中に入ると、いきなり御覧の様な巨大な石碑と古い建物、巨大な楠木が街道らしさを醸し出してくれます。
街並みも、今までの他の場所よりいちばん保存されています。。
今尚現役の古豪酒蔵、「西條合資会社」さんです。
地元では銘酒「天野酒」としてその名を馳せています。
地酒を買って帰りたいのですが、荷物になってしまいますので今日は我慢です。
路地の様な道から大阪と和歌山を結ぶ国道を渡り、坂道へと進みます。
Big坂とな・・・・
坂を登りきると、住宅開発が行われた三日市宿周辺と、遠く金剛山を望むことができました。
そして歩みを進めると、烏帽子形八幡神社が有ります。
ここはあまり知られていませんが、古墳や城跡があり、その鎮守の神として、神社が建立されています。
神社は集落を見下ろせる山の中腹に有ります。
街道を歩いてきた古代人も、この鎮守の森の木陰で一休みしたことでしょう。
頂上の本殿では、老夫婦が仲良く参拝されていました。
傍らには「祝日には国旗を掲げましょう」のポスターが・・
そういえば私が幼少の頃は何処の家でも祝祭日には国旗を掲揚していました。
「神々に感謝し、地域・国家の安寧を想う」という今の日本人が忘れ去った古き良きものがそこに存在しました。
近くにはこの街道で唯一の金毘羅さんが有りました。
古代人は、次から次へと現れる神社をひとつひとつ丁寧に参拝して旅をつづけました。
1日に数回、神々に日々無事で、自然の恵みで生きながらえる事への感謝の意を伝え、家族や地域、国家の安全を祈願する、その行為こそが今の真面目で勤勉で温厚な日本人の気質形成に大いに寄与しました。
坂道を下ると、宿場町・三日市宿です。。
先ほどの国道を歩道橋で越えます。。
歩道橋の上からは、古い家々が密集する三日市宿の街並みが俯瞰出来ます。
実際、街中に脚を踏み入れると、御覧の様な旧街道らしい風情ある街並みを見ることが出来ます。
こちらは南海高野線三日市町駅前のロータリーです。
楠木正成公が大江時親公に学んだと言うモニュメントが有りました。。
大江公は三日市宿のご出身なのでしょうか。。
ここから旧街道は国道と密接に絡みながら南進します。
美加の台の手前では国道から左に反れて、坂道を上がります。
旧街道には昔ながらの風情があり、情緒豊かな光景が残ります。
遠方に見えるのは私が週に一度は登る岩湧山です。
頂上の薄の草原を仰ぎ見ることが出来ます。
坂道が続き、石垣を基礎とするお屋敷が多くなってきました。
石垣の坂を下ると、またまた国道と合流です。
ここから先の国道は時折歩道が無くなり、車道を歩く恐怖と対峙しなければなりません。
前方に天見富士(旗尾山)が見えてきました。
大阪と和歌山の県境・紀見峠越えはもうすぐです。
また国道から反れて、小川(天見川)に沿って歩きます。
村道との分岐点には小さなお寺と、道標が・・・
右の道を行けと・・・
「日本昔話し」に出てきそうな村の風景です。
茅葺の屋根が改修されて普通の屋根になっているのが残念です。
集落以外は森の中を歩きます。。
段々と街道歩きから登山の様相を呈してきました。
そしてまた暫く危険な国道歩きです。
そして、いつも岩湧山に行く時に右折する交差点に到着。。
ここにあるたこ焼き屋さんがいつも気になっていたのですが立ち寄る機会がありませんでしたので、今日こそはと思い、初訪問です。。
是非ビールでたこ焼きをと思いましたが、コロナ対策でお酒の提供は停止中だそうです。
最近は気候変動で大雨が多く、この様な土砂災害が至る所で見受けられます。
南海電鉄さんの古風な変電所跡を過ぎると、いよいよ紀見峠越えです。。
真っすぐ進むと国道のトンネルに入ってしまいますので、サイクリングのグループが降りてきたルートに進みます。
ここは紀見トンネルが完成するまでは、国道でしたが、かなりの隘路です。。
そして、標高最高点では、金剛生駒紀泉国定公園を縦断する登山道・ダイヤモンドトレイルと交差します。
いつも私が岩湧山や金剛山登山で利用するコースです。
街道は旧国道よりもさらに上部を通ります。
ここには「高野山女人堂へ6里」の石碑が。。
そして峠からは遂に高野山と橋本市の街並みが俯瞰できました。
ここも昔は宿場だったらしく、それらしい風情が漂います。
和歌山県側に向けて九十九折の道を下ります。
スッカリ住宅地と化した、城山周辺の様子も俯瞰出来ます。。
そして大阪府側よりもよく整備された国道に出て・・・・
またまた旧道に入ります。。
用水路に田植えのための水が流れています。
遠景の双耳峰の辺りが標高1,000mの高野山です。。(弁天岳と摩尼山)
古代人も高野山を目前に気持ちが高ぶったことでしょう。。
林間田園都市の高層マンション群と、いにしえの道沿いの水田。。
まさに今、大阪のベッドタウンとなった橋本市を象徴する風景です。
そしてまた国道と合流し・・・
分岐します。。
そして遂に私の在住する橋本市の県立体育館・運動公園が見えました!
バブル末期に完成した周囲の風景とはかなり浮いた感じの近代的な建物です。。
そして今度は国道を左に分岐し・・・・
橋本川に沿って南下。。。。
いよいよゴール付近です。。
細い街道の終点に見える山の麓に。。
有りました!
紀ノ川渡し船の乗船場が有った位置に残る常夜灯!
大阪の天満橋から50km弱ですが、3日間かけてようやく到着しました。
ちょうど17時の「夕焼け小焼け」のチャイムが街に鳴り響いていました。。
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