
さてさて、本年の桜見物は「桜&撮り鉄」と称しまして、普段は電車に乗って旅をすることが趣味な私ですが、桜フェチな私といたしましては車窓から桜を見るばかりではなく、方向性を変えて、桜と電車を撮影してみることにいたしました。
(^^♪
3月31日から4月4日まで、「桜休暇」と称しまして、年次有給休暇と公休日を組み合わせて、連続して会社を休みました。(≧▽≦)
先ずは地元の駅からいつもの通勤電車でスタートです。。
地元の駅のホームからも、御覧の様な立派な桜を観ることが出来ます。(≧▽≦)
この日は先ず、桜にマルーンの車体がよく映えそうな阪急電鉄さんの神戸線を訪問しました。
ご覧の画像は神戸線の橋上駅・夙川駅です。
阪急電車は私が幼い頃に父親が肺結核で入院、母親が末期がんで入院と2案件が輻輳し、叔母の家に一時的に預けられているという悲惨な状況の時、今津線・門戸厄神駅近くの駅に入院していた父親をお見舞に行く際に頻繁に利用しました。
未だ7歳の小2の少年ながら、阪急電車の車体やホームの光沢、綺麗さや上品で流暢な車内放送に驚愕し、大変感動したもので、当時住んでいた沿線のオンボロ電車&下駄履き無帽乗務員の国鉄阪和線とは品格からして全く違うなと幼心にも痛感したものでした。。
阪急さんの場合は車両や駅のみならず、その沿線も熟成しており、格調高い住宅街が展開しています。
これは関西の他の鉄道さんには存在しない阪急さんだけのステイタスであると確信しています。
悔しいですが、私の在住する和歌山や大阪南部などはとても足元にも及ばない雰囲気を感じます。
そんな夙川も両サイドが桜で埋め尽くされていました。(≧▽≦)
当然、沿線にはお嬢様学校やお坊ちゃま学校も多く、桜の木の下のベンチで生徒さんが談話する風景も見受けられました。(≧▽≦)
桜デートするカップルもどことなくお上品に見えるのは気のせいでしょうか?
いやぁ、阪急沿線はいつ来ても他の沿線とは何かが違います。(^^♪
これで晴れて空が青空であれば文句なしでしたが、この日は生憎の雲り、時々小雨状態でした。 (/ω\)
でもその曇り空を打ちのめすかのように奇麗に咲く花々。。(^^♪
夙川の遥か遠方に、私が小学生の頃、よく遠足で登ったお椀の様な「甲山」が見えます。(^^♪
同じように桜を撮影していた上品そうな尾根遺産に頼んで、甲山を背景に記念撮影です。(^^♪
そして次は桜の枝にカメラをぶら下げて「自撮り・・・」
高級住宅街で異彩を放つ「変なオッサン」です。。
それにもめげず、この様な状況でこの場所で「撮り鉄」をするのは少々勇気というものが必要でした。
「撮り鉄」であることがバレない様に、控えめに撮った1枚。。。
なんで控えめに撮らなあかんねん!
・・・なんて思いますが、これも最近基地外な「撮り鉄」が鉄橋内や線路内に侵入して列車を止める動画や、私有地に不法侵入して撮影のお邪魔になると木の枝を折る動画、ホームで駅員さんに注意されて逆切れする動画、挙句の果てにはホームから線路に転落などなど・・・・
世間から「撮り鉄」は害虫を見る目で見られるようになったからに他なりません。
まぁ、そんな自分は「害虫だ」という悲しみを背負いながら、大好きな桜と阪急電車が収まる画像を撮影し続けます。(/ω\)
阪急電車はいつもピカピカで他社とのクオリティの違いには驚くばかりです。
これが本日の一番お気に入りの画像です。(≧▽≦)
ピカピカの車体やホーム、柔らかい発車&接近メロディー・・・
駅や車掌放送の一部を聞いても「間もなく発車します」とは言わずに「只今発車いたします」に統一された洗練ぶり・・・
ホームを「1番線・2番線」とは言わずに「1号線・2号線」という独自ぶり等・・
枚挙にいとまがありませんが、その細かい部分のひとつひとつが積み重なり、「阪急=高級」というブランドイメージが完成したに他なりませんよね。。
・・・ということで、阪急マルーンと桜と高級住宅街という出来過ぎたシュチエーションを後に、次なる目的地に向かいます。。。
次にやってきたのはJR西日本さんの和田岬線・・・・
ここには日本で最後に残ったほぼ原形に近いスタイルで残る103系電車の6連が未だに残っています。。
しかしながら、生粋の通勤路線であるため、列車は朝の6時台~9時台と夕方の16時台~22時台にしか走らず、「乗り鉄」「撮り鉄」共に活動するには難しい線区となっています。。
極めつけの日曜日に至っては朝に7時29分発が1本、夕方に17時26分発が1本の計2本のみという惨状です。。( ゚Д゚)
取り敢えず最初の1本は気になっていた運河から狙います。。
今回のテーマである桜こそ無いですが、以前車窓から眺めた運河なのに砂浜が有る風景。。
そこにある小さな鉄橋を通る103系。。。
103系電車に乗りながら思い描いていた通りの画像になりました。。(≧▽≦)
そして次はいよいよ桜の有る和田岬駅での撮影。。
丁度、103系が入線してくる場面に遭遇しました。(≧▽≦)
生憎の雨模様での撮影となってしまいましたが、そこは水中カメラの本領を発揮します!
103系は通勤客で混雑する姿が良く似合いますね~(≧▽≦)
そんなラッシュの通勤客に混じって乗車してみました。。
終点で東海道本線との接続駅である兵庫駅での風景です。。
いやぁ、実に凛々しい。
この車両は1973年7月に偶然にも和田岬線沿線にある川崎重工で製造され、大阪環状線に配置、2001年に和田岬線用として網干区に転属してきたもので、私が幼少期、立花の叔母宅から鶴ケ丘の小学校に通学に使っていた頃に大阪環状線で乗車したことのある車両でした。(≧▽≦)
運転席は私が小学生だった当時と殆ど変わっていません。。
車内は戸袋窓が埋められたのと、黒サッシ化された点が大きく変わりましたが、原形の雰囲気はよくとどめています。。
小学生の頃は、預けられていた叔母の家・立花駅から東海道線12分→大阪環状線19分→阪和線8分→鶴ヶ丘駅と計39分間103系の爆音モーター車に乗って通学していました。。
そしていつも決まってこの車端部に座り、夏場などは連結部の窓と側窓を全開にしてモーターの爆音を聞いていました。。
そしていつもこの標記を「なんだろな」と思いながら見ていました。。(≧▽≦)
この日は、そんな103系に別れを惜しむべく、夜遅くまで和田岬に滞在しました。。
通勤客が103系に吸い込まれていきます。。
和田岬駅の桜とももう今シーズンでお別れでしょう。。。
103系は父が入院し、母も入院後末期がんで他界し、親戚の家に預けられていて、最も人生で辛かった時代の私を、通学電車という形で支えてくれました。
私が非行に走ったり、不登校になったりしなかったのは、この103系電車が有って、将来は絶対に103系の運転士になると言う夢と希望を持ち続けていたからに他なりません。
残念ながら国鉄民営化の渦中に巻き込まれ、103系の運転士にはなれませんでしたが、希望を持ち続けたお陰で他社の通勤電車の運転士を6年間することが出来、人生としては大成功だったと感じています。。
103系のヘッドライトは私にとって人生の一縷の光でもあった訳です。。
こちらが今回、2番目にお気に入りの画像です。(≧▽≦)
103系が今、まさに昭和、平成、令和と走り抜け、時空の彼方へ消えて行こうとしています。
幼かった頃からずっと夢を与え続けてくれたこの鉄の塊が、今、そっと私の前から消えて行こうとしています。
本当に今までありがとうね。
地味な裏方だったけど、どの電車よりもカッコ良かったね。