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惰眠のブログ一覧

2008年09月01日 イイね!

随分と軽いポストになったものだ

随分と軽いポストになったものだ夜9時半手前、ふとテレビをつけて驚いた。総理辞任会見?なんじゃ、そりゃ。辞任するほど追い詰められてたっけ??

しっかし「手詰まりになって打開策が見出せません」って程度のことでほっぽり出せるくらい、日本国の内閣総理大臣ポストって軽ぅ~いものになっちゃったんだな。国政を投げ出した前の総理、その後もなにやら自分じゃ政治力を行使できるつもりになってるようで、また周辺もそれを(お家の事情が優先してるせいか)黙認してる感があるが、そういうケジメのないことするから、2代続けてこんな不始末になるんじゃないのかねえ。

 ほんの十数年前なんか、プライベートでの不倫が原因で政治家としての将来を棒に振った船田元なんて逸材もいたってのに、永田町はいつの間にやら政権を投げ出しても不問に付すようなところになっていたようだ。

 そういや安倍晋三も福田康夫も、アヤシゲな党内手続きで総裁・総理に「なっちゃった」森喜朗と同じ清和政策研究会だったっけ。清和会はもう解散相当なんじゃないかなあ?というか、この一連を見ていると清和会が最大派閥になっちゃってるいまの自由民主党は最早、政権政党たるの資格を失っているとしか思えない。一度、経世会本流の尻尾である小沢一郎に(あくまで「小沢に」であって「民主党に」ではない)任せたほうがいいんじゃなかろうか。
Posted at 2008/09/05 15:16:06 | コメント(2) | トラックバック(0) | 事件・事故 | 日記
2008年06月27日 イイね!

所得は隠すわ、下請には減額払いするわ……

所得は隠すわ、下請には減額払いするわ……昨晩だったか一昨日の晩だったか、帰宅してニュースを見ていたら「マツダが所得隠し」なんてことを言っている。これでも宮仕えの身で、会社の租税公課に関わるような仕事の末端程度のことはやっているので、会社としちゃ誤りなき税務処理をやっているつもりでいたのに、課税当局からすると「所得隠しだ、収益の付け替えだ、経費の水増しだ、交際費隠しだ」となってしまうケースも一応は知っている。

 だから、まぁこの所得隠し……ニュースでチラッと聞いた範囲だと、系列の販売店だったか何だったかへの支援金の税務上の位置づけを巡ってやられたことには、ああ気の毒になぁ、でも税務当局はそう来るんだよなぁと、ある意味「同病相哀れむ」の心境でいた。

 ところが、今日のニュースはあきまへん。マツダは、相手企業と合意の上での単価変更だから法に抵触しないなどと言っていたようだが、発注時点よりも減額した支払しかしないことは、極めて典型的な「絶対にやっちゃいけない事」「やったら則アウト!」の下請法違反事例だ。こればっかりは同情のしようもない。マツダの法務担当者はどこまでアホなんじゃ、てなもんである。

 実例は流石に問題があるので書かないが、90年代の始め頃、僕が最初に就職したメーカーでは、これよりもっと露骨で一方的に、減額だとか納品拒否だとか支払遅延を当たり前にやっていた。もしかしたら今でも手口を巧妙化させてやっているかも知れない。

 もちろん当時から、それは「やっちゃいけない事」だったけれども、実際問題として、メーカーは「やってる」のだ。過去形で語るべきなのかもしれないが、少なくとも当時はサプライヤーとの関係、それも力関係に大きな差のあるサプライヤーとの取引においては、それは「そういうもの」だった。ここで泣いてもらう代わりに別のところで穴埋めするから頼むよ、と。

 製造業の世界でその空気が変わり始めたのは、90年代の半ばくらいだったろうか。監督官庁のプレッシャーが目に見えてキツくなり始め、それまで「まぁバレたらマズいけど、他社もやってることだし会社のためだから(と言うか自分の業績のためなんだけど)仕方ないよね」的な意識だったのが「ヤバイ。バレたらマジヤバイ。会社のカンバンに泥塗るくらいヤバイ。俺の経歴もヤバくなる」風になり……まあ多分それでもなくなったわけじゃなくて、今回マツダが挙げられたように形を変えて潜行して行ったのだろう。無論、性根を入れ替えて一切ヤバ事から手を引いた会社もあるとは思うけども。

 下請法ができて半世紀少々、僕がメーカーにいた「支払減額当たり前」の時代からでも15年以上。21世紀にもなったというのに、そんな旧世紀に幅を利かせた違法行為を、まぁ~だやってたんかと流石にあきれ返ってしまうニュースだった。蛇足ながら言うと、今の僕の勤め先は、こうした法令遵守にはかなり厳格だ。

 それは兎も角、記者会見に臨んだマツダの担当者、どこのセクションの人か知らないが、ちょっと危機意識なさ過ぎに見えた。企業の立場や見解ってものがあるのも分かるけど、マツダがやってたのは所詮、法律条文の「勝手読み」だ。
 実際の意味づけや運用と違うことを自分勝手に解釈して、禁じられた行為をしていたというのに「穏便に収めるために減額分と指摘された金額を払いました」的なことを言っちゃダメだ。せめて言うなら「勘違いしてました、ご免なさい。指摘を受けた分は払いました、今後はもうしません」だろう。ま、会見の全部をニュースにしてたわけじゃないから、本当はちゃんと、そう言っていたのかも知れないけど。

 でも、会社の内部ではこっからが正念場だ。公取の勧告では(勧告レベルに留まったのは、温情かもしれない)再発防止策の構築が要求されているようだから、役所の指定した締め切りまでに社内のシステムを全部洗いなおして、実効性のある防止策を作って役所にご報告申し上げなければならない。これ、辛いぞ、本当に……。
Posted at 2008/06/27 20:53:57 | コメント(3) | トラックバック(0) | 事件・事故 | 日記
2008年04月22日 イイね!

予想通りの判決

予想通りの判決民放の報道姿勢に対してBPOから極めて厳しい意見書が突きつけられたりした、山口県光市の母子殺害事件の裁判だが、予想通り……というか、予定通り被告人を死刑に処するとの差戻し高裁判決が出た。前にも書いたけども、弁護側がああいう弁論を行ったおかげで、裁判官も心置きなく極刑を申し渡す判決文を書くことができたのではなかろうか。

 尤も、本件裁判で弁護側は事件を傷害致死だったと位置づけているわけだから、それを一蹴した高裁判決を受け入れる余地はなく、したがって近日中に(もしかしたら今日中にでも)最高裁に今一度上告することになるだろう。……とか書いてたら、早速上告したとの報。そりゃまそーだろな。
 まあ、仮に裁判所が無期懲役判決を維持したり、弁護側主張を容れて有期刑判決に転じていれば検察官が上告するのも必至で、つまりはどの道、高裁で終わる裁判ではないのだけれども。いずれにせよ高裁判決を確定判決とするには、あとは被告人本人が上告を取り下げるくらいしかないわけだが、まぁそれは無理だろう。

 僕は裁判所の判断は基本的に妥当だと思うのだけれども、新聞報道で見る限り、一点、これだけはちょっと容認できないな、と感じる裁判所の判断があった。それは、これまで6年半の裁判の過程で旧弁護団と数百回の接見を重ねていたにも拘らず、その間においては一度たりとも殺意の否定など、現弁護団が行っている主張につながる話をしていない、だから被告人の主張の変遷は不自然不合理だと認定していること。

 富山で起こった強姦冤罪事件を念頭に置くならば、被告人が弁護人との間に信頼関係を築けず、どうせ何を言っても無駄なんだという心理状態にはまり込んでしまう実例もあるわけで、接見回数と弁護を任せていた期間の長さを以って主張内容の変遷を不自然不合理と決め付けるのは、僕は無理があると思う。(
あるいは、新聞報道が端折りすぎているだけで、実際の判決文ではもうちょっと筋の通ったことを言っているのかもしれないが)
<4/23追記:産経のオンライン版で判決要旨の全文を読んで見たら、ちゃんと筋の通ったことを言って、被告人側の言い分を却下してました。なので、上記部分は撤回。新聞記事の要約って、ホント時々危なっかしいわ。と、ちょっと八つ当たり。>

 ところで、きょうの判決公判を伝えるテレビ番組を職場でザーッと俯瞰していた感じでは、先のBPOの意見書(お前らテレビ局は刑事裁判についての前提的知識すら欠いているんじゃねーの?って指弾)の効果もあってか、かなりスタンダードな裁判(判決)報道をやっていたように思えた。
 そも、否認事件の裁判ともなれば、被告人の主張が「被害者遺族を傷つける」ような内容になるのは程度問題とは言え必至であるし、被告人が幼稚でどうしようもないバカッタレであれば、その弁解の内容も「このガキ、ふざけんじゃねー」になるのも必然である。そういう表層的な文言をいちいち論(あげつら)ったところで、そんなもんは裁判「報道」じゃない。

 テレビ局に報道機関たるの矜持があるのであれば、そんな上っ面のキャッチーな言葉に飛びついてキーキーとヒステリックに騒ぎ散らすのではなく、被告人・弁護人がどういう「戦術」「戦略」で法廷に臨むのかを分析・検討し、その主張が裁判において説得力を持ちうるのか、検察側主張に対抗しうるものなのか、他の証拠関係に照らして破綻がないものなのか、そういうことを報じるべきだった。

 現弁護団に交代してからの被告側主張は、ビビッドな反応を招きやすい幾つかの「修飾語」に惑わされなければ、それ自体はシンプルで合理的だった。つまり被告人は取り調べの初期段階で、殺意を否認している。後の裁判では一顧だにされていない(というのは、実は大問題である)が、殺意がなかったとすると、検察側の起訴事実は根底から覆る。差し戻し二審は、そういう裁判だった。

 問題は、殺意がなかったとした場合、その他の被告人の行動を、傷害致死に伴う一連の行動と言う図式の中に破綻なく組み入れた、説得力のあるストーリーを構築しなければ、そもそも「殺意なし」の立論ができないこと。そこで弁護側が寄りかかったのが、被告人は精神発達の度合いが著しく遅滞した、幼稚で、空想と現実の弁別もろくにできないようなダメ人間とした鑑定書だ。
 幼稚なガキの空想的な世界なら、ドラえもんや死者蘇生といった本人に都合のいい「おとぎ話」も無理なく組み込める……そういう考え方だ。そして、そういうストーリーの構築そのものは、不可能ではない。

 ただ、そういう拙いストーリーが組み立て不可能ではないことと、そのストーリーが検察側立証に合理的疑いを差し挟ませるだけの論理的説得力を持ち合わせているかは全く別の話だ。第一、取調べの初期段階で否認供述をしていたとしても、それが必ずしも真であるとは限らない。
 それに、自白事件裁判としてここまで進んできたものを否認に転じた場合など、裁判所がそのストーリーを受け入れなければ「自己の正当化を図るのみの、自己中心的で身勝手な言い訳」として、より厳しく断罪される材料を自ら進んで提供することにもなる。最初に「弁護側がああいう弁論を行ったおかげで、裁判官も心置きなく極刑を申し渡す判決文を書くことができたのではなかろうか」と書いたのは、そういう意味だ。

 というか、テレビ各社とも専属の司法記者は抱えている筈で、となれば、ここに書いたようなことは、いまさら僕なんかが言うまでもないようなアッタリマエの常識だと思うんだが……。

 今後、最高裁が弁護側の上告をどう扱うか、またはそれ以前に被告人本人が弁護団の上告手続きをそのままに任せるかはまだ分からないが、一点、この長きに渡る裁判で、僕が抱いた偽らざる感想がある。
 ようやく、被告人を極刑に処するに値する程度に「罪の認識」ができるだけの精神面の成長をはかる時間を与えたと言う点で、この長期にわたった裁判には意味があったと感じる。人をかみ殺した犬コロを殺処分するのと択ぶところがないようでは「極刑」自体が虚しいのだから。
 





なかのひと

Posted at 2008/04/22 14:37:27 | コメント(0) | トラックバック(1) | 事件・事故 | 日記
2008年04月16日 イイね!

そこまで言うか!

そこまで言うか!BPO(放送倫理・番組向上機構)が15日付で「光市母子殺害事件の差戻控訴審に関する放送についての意見」を組織決定し公表した。

表紙を含めるて40ページと結構分量のある読み物で、新聞各紙もそれなりに報じているが、ものスゲーことを(あくまで「意見」と言う形ではあるが)書いている

 新聞報道では(見た限り東京新聞を除いて)なぜだか触れていないのだが、意見書はテレビ各局の一連の番組を制作した担当者について「刑事裁判の前提的知識が不足している」と、バッサリ斬り捨てた。
 番組制作者は、法曹三者(裁判官・検察官・弁護人)の役割分担も理解しているのか疑わしく、まるで「真実はすでに決まっている、と高をくくった傲慢さ、あるいは軽率さ」や「被告や弁護団の主張・立証など、裁判所が認めるはずがない、という先入観」に基づいて、「新聞の見出しを見ただけで、誰でも口にできるようなことしかやって」おらず、単に「悪いヤツが悪いことをした。被害者遺族は可哀相だ」ということだけ繰り返しただけに過ぎない、と。

 そこまで言うか……第三者機関とは言え、広義には「身内」であろうに。意見書の内容は、一連のテレビ報道の姿勢を、全否定しているに等しい。

 まとめの一文も強烈だ。「刑事裁判という法律の世界の出来事を、普通の人間の実感レベルだけで捉え、反応している」、「刑事裁判の仕組みなどそっちのけで弁護団に反発したり、文脈や証拠価値のちがいも区別しないまま、被告の法廷での供述と、精神鑑定の際の言葉をいっしょくたに非難したり、など」として、我々世間一般の人間ならばまぁ仕方がないとしても、報道機関がやらなきゃならないこと/やっちゃいけないことを安易にやってる、お前らは報道機関の名に値しないと、まぁそういうことを書いているわけだ。

 かつての「サッチー騒動」を思い出す。いちプロ野球チームの監督夫人の素行を、これでもかと言うくらい細々あげつらって、随分と長いこと週刊誌や月刊誌、ワイドショーが「バッシング」を続けた。
 あるとき偶然、そういうワイドショーを制作する仕事に携わる知人と会ったので「あれ、いつまで続けるの?」と聞いたところ「ホントはもう俺たちも飽きてるんだけどさ、あれやると、数字(毎分視聴率)がポンッと上がるんだよ。この上がり方が鈍ってくれば見切りつけられるんだけどね……」との答えが返ってきた。
 BPOの意見書で言うところの「実感」、要するに世情に阿(おもね)れば阿っただけ、番組の人気に反映するというわけだ。けど、それって「報道」の名に値するのか知らん。

 僕はこのBPOの意見書は、至極正当なことを書いていると思う。「身内」にここまでのことを言うかとの驚きはあるが、それほど一連の報道が「刑事司法の仕組みを判ってない奴が作ってるんじゃないか、普通に暮らしてる人に甚だしい誤解を与えるような作り方になってるんじゃないか」と思わずにいられないようなものだったのも事実だからだ。(と言うか、実際に被告人弁護団に対して、論拠薄弱な懲戒請求が殺到する事態を招いてさえいる)

 ただ、一点、テレビ局側の弁解に手を貸してやりたいと思う事情もある。
日本の刑事裁判制度の構造では、裁判の当事者になるのは「訴訟の進行指揮を行い、最後に結論を下す裁判所」と、「被告人の法的逸脱行為を指弾・糾弾し、これに法的処分を与えるべしと主張する検察」ならびに「当局が法的逸脱行為をしたとみなしているところの(実際にそうなのかは裁判が決着するまで未定)被告人&圧倒的組織力+法的知識+実体的処罰能力を持った当局とのバランスを取るために付けられた弁護人」の三者だけ。

 事件の被害者本人も、被害者関係者も、まったく蚊帳の外でとり行われるものだった。ここに、特にこの問題の裁判の頃から、被害者側も(部分的に)関わりを持たせようと言う風に制度変更があった。
 この制度変更を報道の中に組み込んでみた嚆矢が今回の裁判報道と言うことになる。報道の「台本」の中に被害者側をどう位置づけるかについて、参考にすべき前例がないのだ。それで、今回BPOに全否定を食らわされたようなフレームワークを、まずは採用してみた。とにかく、やってみないことには始まらなかった、そんな印象を僕は持っている。

 ただそれでも、意見書の次のフレーズは、番組制作にかかわった人たちには深く噛み締めてもらいたいと思った。
犯罪が正常なるものからの逸脱行為であってみれば、合理的に理解できるものからかけ離れているのは当たり前のことである。被告に理性や合理的思考が備わっていたら、そもそも母子殺害に及ぶこともなかっただろう。被告の内面で起きた荒唐無稽、奇異で異様なこと、その要因を探ることのなかに、取材や番組制作のもうひとつの意味と醍醐味もあったはずである。
(中略)
 しかし、残念ながら、本件放送には、そのような意欲や取り組みは見受けられなかった。多くの番組は、被害者遺族に同情し、共感するところで止まってしまい、被告・弁護団の主張・立証を最初から、荒唐無稽で奇異なものとして全面的に退けてしまっている。


番組制作者が差戻控訴審に関する番組を企画するに当たって、事件発生から今日までの流れ、事件・犯罪・裁判報道の基本的役割、少年事件における量刑基準のあり方についての議論、被告の内面や人間像を洞察することの重要性、刑事裁判の当事者主義や弁護士の誠実義務、真実義務等々にもう少し自覚的であれば、本件放送の内容はちがったものになったであろう。
  そうした全体的な視野を志向する意識の希薄さ、あるいは欠落が、本件放送をいびつに偏ったものとした。


 もしかしたら、現場の司法記者には言わずもがなのことなのかもしれない。でも、その取材の成果を公表する場である番組が曲がっていたとしたら、結局曲がった情報しか外へは出て行かないのだ。








なかのひと

Posted at 2008/04/17 13:04:24 | コメント(2) | トラックバック(0) | 事件・事故 | 日記
2008年04月12日 イイね!

交通安全週間

交通安全週間気がつけば春の全国交通安全運動が始まっていていた。調べてみたら、今年(平成20年)は今月6日の日曜日から15日火曜日までの由。

 警視庁のHPを見ると、ことしの重点取り組み項目は、先ごろ法改正された全席シートベルト着用義務の啓蒙普及活動(チャイルドシートの適正使用も含む)と自転車の正しい乗り方(車道のはじっこを走れとか言うやつ)、酒を飲んで車を運転するバカチンの取り締まり等々、昨今ニュース・バリューの高くなっている……と言うか、報道機関の協力「も」仰いで積極的に交通取り締まり当局が頑張っている事項だった。

 そういう集中的な取組期間に先立って先月22日に早速速度違反の取締りを受けた僕は、買い物と給油をしに第3京浜を下る道すがら、これまでに増して自車の速度と、なにより近くに覆面パトがいないかに気をつけていたところ、僕が先月覆面クラウンに捕捉されたのと殆んど違わぬあたりで、白いメルセデス・ベンツのCクラスが、リア・ウインドウに電光掲示を出した銀色クラウンのあとをトボトボついて走っているところに出くわした。

 ああ、やっちゃったのねと、同病相哀れむような何とも複雑にむず痒いような気持ちで脇を通り抜け、港北ニュータウンで買い物を済ませてガソリンを給油した。燃料系の針の具合から、まあ30リッターくらい入るかな?と思っていたが実際の給油量は37リッター少々。それで御代は5000円札1枚でおつりが来る額だった。リッターあたり単価は134円だが、行きつけのこのGSだと、追加サービスで時々もうちょっと値引きがつく。今回は結果的にリッター133円になった。うん、なるほど確かにガソリンは安くなったぞ。本体価格は変わってないけど。

 往路でいやな場面(笑)を見てしまったので、復路は普段に輪をかけて慎重な運転にさらにもう一つ輪をかけて慎重に周囲の車に気をつけながら、80キロ規制のかかった第3京浜を玉川に向けて運転することにした。スピード?それは言わぬが花でしょう。なにしろ交通安全運動期間中だもんな~。
Posted at 2008/04/17 14:20:03 | コメント(0) | トラックバック(0) | 事件・事故 | 日記

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「フェアレデーって本当に呼ばれてたの? http://cvw.jp/b/9433/47108671/
何シテル?   07/24 21:51
曲面の綺麗な旧い車が好き、エレガンスのある車が好き。そんなこんなでユーノス500に乗りつづけ、もう……何年だ?  気がつけば屋根のない車まで併有。いつまで乗り...
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