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惰眠のブログ一覧

2006年10月10日 イイね!

天国と地獄、そして赤い星の神秘~COSMOSディスク3枚目~

天国と地獄、そして赤い星の神秘~COSMOSディスク3枚目~いつでも見られると思うと意外なほど鑑賞から遠のくのがテレビ番組やDVD。折角大枚はたいて買ったコスモスだけれど、このところ帰宅が夜遅くなることとも相まって一休み状態になってしまっている。このままだと(本じゃあないのだけど)本格的に『積ん読』状態に陥りかねないと一念発起、ちょいと夜更かししてディスク3を見た。

 ディスク3に収録されているのは主に金星を扱った『天国と地獄』と、主に火星を扱った『赤い星の神秘』の2編。COSMOSが放送されたのは既述の通り1980年だが、この時点でカール・セーガン博士は温室効果による地球温暖化の危険性を強く訴えている。驚くべき先見だ。いや、科学者としては当然の見識なのか。

 DVD化に際して加えられた『COSMOS-UPDATE』で博士は、問題が一層深刻化していること、将来加速度的に悪化する可能性のあることを指摘した上で、3つの提言をしている。
 第1の提言は燃費に優れた自動車を開発し普及させること。2006年のいま、まさに直面している問題である。第2の提言はいま思い出せないが、第3の提言は所謂第3世界の貧困問題を解決することだった。そのいずれもが、政治のイニシアチブによって対策可能な事柄である。

 先進工業国に生まれて豊かさにどっぷり首まで使った僕が言うのもおかしな話かもしれないが、正直なところ何もここまで便利じゃなくてもいいんじゃないか、もう少しくらい貧しくてもいいんじゃないかと言う気もするのだった。
Posted at 2006/10/11 13:33:46 | コメント(1) | トラックバック(0) | 芸能・文化 | 日記
2006年10月01日 イイね!

エセ科学は許さない~COSMOS第3夜「宇宙の調和」~

エセ科学は許さない~COSMOS第3夜「宇宙の調和」~「調和」といってもアコードじゃなくてハーモニーのほうなのだけれど、この回のセーガン博士はのっけから攻撃的である。槍玉に挙げられたのは占星術。
 まあ天文学は元々、占星術にルーツを持つものだから科学者が力を込めて「非・科学」からの訣別を力説するのも分かる話ではあるが、セーガン博士が後年エセ科学の危険性を読本を上梓したことを知っている目で見ると、ちょっと微笑ましかったりもする。

 それは兎も角として、今回語られるのは、科学としての「天文学の誕生」だ。主人公はヨハネス・ケプラー。最初の回でセーガン博士は「ヨーロッパにおける天文学は、それより2000年も前のアレキサンドリアで知られていた知見の『再発見』に過ぎない」と話したが、どうしてどうして。

 大いなる主の作りたもうたこの世界の真理は、幾何学的に最も簡潔で美しいはずであるというのが当時の常識だ。その「常識」ゆえに惑星の軌道を真円であるとして算出した理論値と、ティコ・ブラーヘから得た観測値との間に存在するわずか8分角(60分の8度)ズレがあるのを観測誤差であると切り捨てられなかった彼は、ついに天文学と数学、物理学を結びつけた。現代の天文学(天文物理学)は、すべてここに端を発する。

 現代の目から見れば明らかに誤りである仮説を証明するために全身全霊を傾け、いかなる弾みによるものか、ついに正しい解に辿り着くさまは爽快であり、また痛ましくもある。

 ケプラーは、いつの日にか人類が月の地に降り立つことを夢想し、その空想を書物に著した。1600年代の前半のことだ。月旅行者の目に映る、月の地平線から昇る地球の姿が描かれているという。ケプラーの「空想科学小説」から300有余年、人類はその後継を現実のものとする。思うに、科学者と言うのは本質的にロマンチストなのだろう。
Posted at 2006/10/02 16:23:57 | コメント(0) | トラックバック(0) | 芸能・文化 | 日記
2006年09月28日 イイね!

COSMOS第2夜「宇宙の音楽」

COSMOS第2夜「宇宙の音楽」昨晩から、帰宅後の楽しみになったCOSMOS視聴の2夜目。Private Voyageと言うタイトルの後にOne Voice in the Cosmic Fugueと、さらにサブタイトルがつく。邦題は『宇宙の音楽』だった。

 子供の頃に見たときには、確かちょっと拍子抜けしたような覚えがある。それと言うのも、この回は生命の誕生と生物の進化について語っているからだ。天文学のつもりで講座に出たら、いきなり生物学の講義が始まったようなものだろう。

 もちろん、この番組は生物学を扱ったものではない。セーガン博士は前夜、「人類は、150億年もの時をかけて、宇宙(COSMOS)が生み出したものだ」と語った。第2夜は、その続きなのだ。やっぱり面白い。

 ところでこのディスクには、第2夜の直後に「Cosmos Update」なるコーナーが挿入されている。後年明らかになった知見を、セーガン博士が画面に出てきて付け加えているのだ。
 今回の追加事項は、恐竜の「謎の」大絶滅についての仮説と、彗星由来の有機物(アミノ酸)の話。そうだったなぁ、彗星との衝突が原因で地球が寒冷化して恐竜が絶滅したのではないかと言う仮設は、1980年当時にはまだなかったんだなぁ、なんて感慨にふけってしまった。「核の冬」なんて言葉が生まれたのも、たしかその恐竜大絶滅の学説とのリンクだったかもしれない。よく覚えていないけど。

 それにしてもカール・セーガンと言う学者は、まったくもって視界の広い人物だと感心させられる。ロマンチストだったのだろう。
 そのロマンチストがこの回の最後に、ギクリとさせられることを語っている。生命の設計図であるDNAを自在に制御して望むままの器質を備えた人間を作り出す技術は幸いにしてまだ存在していない。しかし、いずれそのような改造された生命を作り出す技術が開発されるだろう。恐るべきことである、と。

 1980年のカール・セーガンが語ったその技術を、2006年の人類は現実のものにしようとしている。
Posted at 2006/09/29 19:19:11 | コメント(0) | トラックバック(0) | 芸能・文化 | 日記
2006年09月27日 イイね!

26年目のCOSMOS~第1夜「宇宙の浜辺で」~

26年目のCOSMOS~第1夜「宇宙の浜辺で」~1980年の11月3日から13日間にわたり、朝日放送系のテレビ局で「COSMOS」は放送された。日本惑星協会サイトのカール・セーガンの項にその番組企画から放送に至るまでの経緯が詳しい(なにしろ放送に関わった当事者が書いている)が、そこに記されているような『大人の計算』がどうであれ、折りしもヴォイジャー1号の土星最接近のタイミングと噛みあったこともあって、そりゃもう大興奮の13日間だった。

 そのCOSMOSのDVDが発売されていると言う話は、数年前から知っていた。ただ、12歳の僕が見たカール・セーガンが横内正の声で喋ったのに対してDVDでの彼は英語で話しているとか、せっかく日本語字幕がついているのに幾許かの(かなり重大な)誤訳・省略があるとかで、ちょっと手を出せずにいたのだ。米国の業者に注文しなければならない(らしい)ことも、面倒くさがりな僕には結構なハードルだった。

 先日ちょっと調べ物のついでに改めて見てみると、どうやら問題部分が(完全ではないまでも)改稿されているらしいとのレポートを見つけた。渡りに船と言うわけではないがアマゾンドットコムで検索すると、あるじゃないですか
 税込み15,879円は決して安価ではないけれども、これを買わない手はない。早速注文し、それが今夜(27日)配達された。

 およそ2週間かけて放送された長編番組なので、流石に一気呵成に見ることはできないし、するつもりもない。だって、そんなことしたら勿体ないではないか。

 今夜は、第1夜「宇宙の浜辺で」を見た。セーガン博士の実際の声を聞いて、ああなるほどと横内正に吹き替えを依頼したのが納得言った。声質が似ているのだ。
 また、DVD化した時点での最新の知見にアップ・デートしたと思われる部分があることに気づいた。具体的には、宇宙の「泡構造」が映像に取り入れられている。既に購入した人の感想などを読んでみると、そのほかにもハッブル宇宙望遠鏡で撮影した写真に差し替えられている部分もあるのだとか。うーむ、科学的に誠実な姿勢だ。

 画像の品質は、まぁ26年も前の番組(恐らくフィルム撮影)なので当たり前ではあるのだけれども、民生用が普及し始めたばかりの頃のVHSビデオで標準録画した程度で決してクリアではない。
 マイナス点をさらに挙げると、日本語字幕にやはり間違いや省略、誤訳とまでは言わないがニュアンスに疑問のつく表現が用いられていることなどが少し気になる。そういうことが気になるくらい、セーガン博士の言い回しや表現は吟味されているのだ。
 僕は決して英語に堪能と言うほどではないが、博士の発音はとても聞き取りやすく丁寧で、しかも平易なので大変理解しやすい。多少なりとも英語が理解できてよかったなぁとつくづく思う。ところで「COSMOS」って「コスモス」じゃなくて「コズモス」って発音するんだ。普段使う単語じゃないから、この年まで知らなかったよ。

 ともあれ内容は、26年も前の作品であるにも拘らず、すぐれて今日的だ。
セーガン博士は説く。紀元前300年くらいの時期、人類という種はアレキサンドリアの地に極めて高度な知性の集積を実現した。アレキサンドリア図書館だ。ここでの研究により、人類は地球は球体であることやその直径を論理的に導き出し、さらに地球が太陽の周りを公転することを解き明かしていた。
 しかしそのその成果のほとんど全ては、前47年のカエサル侵攻の際に破壊され焼き尽くされてしまう。人類が失われた知の成果を再び取り戻すには、16世紀まで待たなければならない。
 無意味な仮定だが、仮にもしカエサルの軍勢がアレキサンドリア図書館を打ち壊すことなく、その後も引き続き研究を篤く守っていたならば、あるいは人類の知見は、いまよりも1500年分進んでいたかもしれない。眩暈がするほどの損失だ。

 第1夜の終わりには、セーガン博士の『宇宙カレンダー』が登場する。およそ150億年の宇宙の歴史を、地球の1年に圧縮して喩えたものだ。それによると地球上に最初の人類が発生したのは、12月31日の夜10時45分。初めての文明が生まれたのにいたっては、深夜11時59分51秒。人の世の喜びや悲しみや怒りや楽しみの歴史は、たったそれだけのものに過ぎない。そのさらに最後の、ナノ秒にも満たない時間の内で、150億年もの時をかけて宇宙が作り出した『知性』が、宇宙自身の姿を知ろうとしている。生命はあまりにも矮小で、しかしあまりにも貴い。

 セーガン博士の言わんとすることは明快だ。人類は、己の存在そのものが己の生存を脅かすような種になってしまった。150億年の時の果てにようやくたどり着いたこの果実を、むざむざ台無しにしてしまうのかい?そんなもったいないことはないんじゃない?と。
 番組が制作・放送された1980年頃、世界は東西冷戦の真っ只中だった。人類が「自らの手によって滅ぶ」未来絵図が、容易に描きえた危機の時代だ。21世紀の今は違う?どうだかな。
 確かに冷戦を作り上げた片方の極はいまや零落し見る影もない。確かに時代背景は変わっただろう。けれども世界は一向に平和になんかなっていない。 その点からもカール・セーガンのCOSMOSは、今日的なのだ。きっとそれは、悲しむべきことなのだけれども。
Posted at 2006/09/28 20:12:16 | コメント(1) | トラックバック(0) | 芸能・文化 | 日記
2006年08月24日 イイね!

丸くってもダメでした

丸くってもダメでしたこの記事を記している今(8月28日)時点では速報的なニュース性としては既に時機を逸しているのだけれど、先に一度触れている以上着地の部分まで記しておかないと座りが悪いので、タイミング外れは承知の上で書いておこうと思う。プラハで開かれていた国際天文学連合の総会での結論の話だ。

 これまで必ずしも科学的に明確ではなかった「惑星とは何か」の定義を決するのに伴い、従来の9つに加えて新たに3つの天体を惑星のカテゴリに含めようとしたのが当初の提案。
 それに対して、従来どおり9つでいいじゃんと言う意見だとか、科学的な正確性からこの際冥王星は外して8つに減らしちゃおうぜなんて案が出されて紛糾したのが、その後の展開。3増案提案者に挑みかかるかのように1減案が出されたと聞いたときには、やっぱりそう来たかと笑ってしまった。

 テレビのニュースなどではこのカウンター・パンチを、驚愕の提案がなされたかのように報じていたけれども、ちょっと天文方面にマニアックな興味を持っている人にとっては、まあ想定の範囲内……というか3増案よりも妥当性が高いと感じられたのではないだろうか。
 古くは「元々海王星か天王星の衛星だったものが、別の天体とのニアミスで衛星軌道から放り出されて太陽の公転軌道に収まったものではないか」だとか「組成や公転軌道から考えると彗星に近いよね」などとまで言われていたのだから。

 24日の日本時間22時半頃に採決が行われるというのでテレビをつけていたら、生放送の報道ステーションではその時間、CMだったか特集企画だったかで速報が入らず、チャンネルを回していたらNHKが字幕速報を打ってきた。1減案が通って、以後冥王星は惑星として取り扱わないとのこと。やっぱり、丸けりゃイイってものではないのだった。

 文学的情緒論を振りかざせば、これまでどおり9つでいいのにと感じなくもないが、彼らは科学者。科学的な正しさを守ろうとすれば、こういう結論になるのは必然だったわけだ。
 可笑しかったのは翌日の報道にコメントを求められていた松本零士氏。子供の頃からの宇宙への夢(ロマン)を根こそぎ粉砕されたかのようなことを言って憤慨していたが、そんな台詞はSF畑で名を成した人間なら口が裂けても言うべきじゃない。
 古い知見では甲だと信じられていたことが、新たなる観測によって乙や丙であるとひっくり返される。その驚き、そのセンス・オブ・ワンダー自体が宇宙に触れるときのロマンなんだから。

 それはさて置き、僕は「冥王星が惑星ではなくなったこと」自体に意味があるんじゃないかな、と思う。
 いわゆる海王星以遠天体でエッジワース・カイパー・ベルトなんて言われたって横丁のご隠居さんにゃ「そんなガイジンさんは知らんねぇ」と冷たくあしらわれてしまう。
 でも「いやいや、ガイジンと仰いますが、実はあの冥王星さんの親戚でして」と切り出せば「あー、冥王星さんね。ご近所づきあいはないけど、冥王星さんなら存じ上げているよっ」と話が弾むではないか。
 冥王星は今度の「降格」で、これまで広く一般に知られている太陽系の星々と、新たに見つかり専門家やマニアの間のみで知られている太陽系の仲間との橋渡しをするのに、格好の存在になったと考えちゃいけないだろうか。
Posted at 2006/08/28 12:14:25 | コメント(0) | トラックバック(0) | 芸能・文化 | 日記

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何シテル?   07/24 21:51
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