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惰眠のブログ一覧

2005年10月21日 イイね!

ちょっと気になる改正原案

ちょっと気になる改正原案今月初旬の話をいまさら書くのもどうかと少し迷ったのだけれども、この期に及んでもまだちょっと気になっているくらいだから、備忘録のつもりで残しておくことにした。

 6日に法制審議会に諮問された刑法改正案のことだ。
今回の改正案の目玉とされているのは、窃盗罪と公務執行妨害罪に罰金刑を設けることとされている。
 改正の理由として前者は、万引き等の小額の窃盗事案に対して現行法では過重な罰を与えるか、さもなくば起訴猶予などの形で「見逃す」しかなかった現状を是正するためと説明されている。
 また後者については、やはり同様に適正な罰状がないために、起訴事実を暴行罪などに切り替えていた実情を是正するためとしている。

 僕はラジオのニュースでこれを知ったのだけれども、そのとき真っ先に、小賢しい「抱き合わせ」をしやがるな、と感じた。公妨の改正だけを諮れば、直ちに異論・反論に晒されて実現が危うかろうからだ。
 僕がひっかかったのは、こういうことだ。前者については国民一般の感情に逆らうことはあるまい。後者に関しても、さらっと聞いている分には結構なことのように聞こえてくる。
 だけれども、「立件する(事件化する)」事態というのは、実態面に即してみれば、余程の科罰的違法性が存在する状況である。

 今現在の警察活動の中で、通常、公務執行妨害を問うのはどのような局面か。単に警察官の指示に(著しく)従わないような微罪にさえ問うことが難しいような「軽微な」違反ではないのだろうか。
 とりあえずその現場から、不審者もしくは被疑者を取り除き、警察施設に引っ張ってゆくのに極めて都合のいい「現行犯罪」として使われているのではないのだろうか。

 現行法規のままであるならば、そうした類の公務執行妨害行為は、罪状に対して罰則が重すぎることが一つの制約となって、科罰的違法性があるとまで認められることはなく、従って起訴セズの結論に至っていたものである。これは、実質的に処罰可能となる裾野を広げることによる「警察官に逆らうものは許すまじ」といった、いびつな厳罰化ではないのか。

 もちろん、一概にそれがいけないとは言わない。
ただ、このような改正をするのならば、公務の執行が適正であることを厳格に担保しなければならない。
 たとえば往来で不審者を警察官が取り囲み、立ち去ろうとして体が当たったのを「公務執行妨害」にするようなケースは含めてはならないし、それを行った官憲がいれば、逆にそれを罪に問い返すようでなければバランスが危うい。

 この改正案のままでは、罰則を「適正化」することによって、所謂「転び公妨」のような形での検挙・処罰に「正当な法的根拠」を与えかねない。いや、たぶんそれが一番の狙いなのだろうと僕は思って、ちょっと危惧している。
Posted at 2005/10/21 17:34:32 | コメント(1) | トラックバック(0) | ふと思ったこと | 日記
2005年09月21日 イイね!

第163特別国会召集

第163特別国会召集自由民主党が歴史的大勝利を挙げた先の総選挙の結果を受けて、今日から特別国会が始まった。
僕が毎週閲覧している「滴水亭」では11日以降、これまでにもまして哄笑的というか、些かやけっぱち気味の記事が続いている。

 僕は「滴水亭」の筆者氏ほど辛辣で冷笑的ではないつもりだけれども、先日の選挙で旗印にしていた郵政事業民営化の計画は早々に実施時期を後ろ倒した一方で租税減免の特別措置撤廃方針はいち早く決めてくださるなど、抱き合わせ販売で手に入れた「白紙委任状」の強みを早速生かしておいでになる。想定の範囲内のことではあるけれども、ここまで露骨だといっそ天晴れである。

 郵政事業の民営化だとか行財政の抜本改革だとか、言ってしまえば地に足をつけた生活者にとって縁遠い事柄について一種の理想像を(実態はともかくとして)描いて見せ熱狂を得る一方で、実生活のリアリティにかかわる税金や年金などの部分――つまり、本来有権者国民にとって一番深刻な分野の事柄については秕政、苛斂誅求と言っていいほど粗雑な政治を、小泉内閣は行っているということだ。
 新規雇用を創出するとか、失業対策のセーフティネットを確立するとかかつて色々見目良い公約をしてきたが、それらは結局実ったのかどうか。国債の発行上限がどうとか約束しておきながら「そんな程度のこと」とアッサリ反故にするようなトップの何を信用していいのか。

 今度の選挙で、20代有権者層の自民党支持率が際立って高かったのは――十把一絡げ的な乱暴な言い方であることは重々承知だが――若年層ほど「時代の閉塞感」に喘いでおり、同時に若年層には生活者としてのリアリティが薄く、理想論的なアジテーションに容易く乗ってしまう素地があったと言うことなのではないかと考えている。
 ただこれは「今の若い連中は…」というような繰言ではなくて、もともと若い世代とは、そういうものなのだ、と言うこと。今となっては噴飯もの(だと僕は思う)の、学園紛争当時のスローガンの一つ「学生よ労働者と連帯せよ」と基本的に同根で、手前で働いてゼニ稼いで自分と家族を養っているわけでもない若造が、頭でっかちのリクツ(当時で言えばマル経、今回ならコイズミ改革)振りかざして「世直し」を夢見た図式が反復しているだけのことだ。

 まあ、敢えて言えば学生運動は「下からのムーブメント」だったのに対して今の時代に起きているのは「誰かに笛を吹かれて踊った」ところに違いがある、と見ることはできる。
 そして後者は「上手に笛を吹く者は、より大勢を躍らせることができる」可能性を胚胎していて、そのことを不安視しなければならないだろうとも指摘できる。

 まあしかし。カイカクとか閉塞状況の打破とか、まあそんなものを漠然とであれ期待して有権者が大勝利を与えた小泉さんの政権は、たぶんきっと生活のリアリティの目で見れば従来よりも一層閉塞した状況を作り出していくんだろうと、僕は皮肉っぽく感じている。
 まあ、また言うんだろう。後世の歴史家の評価にゆだねるとか何とか。「いま・ここ」に生きている我々の、身の丈の生活がどうなろうとも、その時代のリアルを生きていない歴史家の評価を大事にする小泉さんのことだから。
Posted at 2005/09/21 13:08:05 | コメント(1) | トラックバック(0) | ふと思ったこと | 日記
2005年09月16日 イイね!

新しいロードスターのカタチ

新しいロードスターのカタチ承前。
kahan氏とNC型ロードスターのスタイルについてやり取りしている中で、一つ「これは困ったな…」と言うフレーズがあった。それは、「初代のデザインってスポーツカーじゃないんですよね。」のくだりだ。
 僕は初代のロードスターのデザインを「スポーツカーじゃない」と認識したことはなかったので、これには虚を突かれた。それと同時に「これはお互いの『スポーツ・カー』の概念範囲をすり合わせないと、絶対に話が噛み合わなくなるな」とも思った。
 それに、スポーツ・カーとは何かの定義合戦は、二人の車好きにつかみ合いの喧嘩をさせるのに最も手っ取り早い話題の一つと言って過言ではないだろう。だから、困ったな、なのだ。

 僕のスタンスは、こうだ。2座2ドアの小さいオープン・カー ――とだけ言うとサイノス・コンバーチブルやマーチ・カブリオレも含まれちゃうので「最初からオープンボディで作られた車」と少し範囲を絞る―― は、イタリア語で言うバルケッタ(もともとは「小船」の意)に相当する。
 バルケッタといえば、初期のフェラーリ初め、スポーツカーの形の定番だ。時代遅れの定番かもしれないけど、その定番を踏襲したユーノス・ロードスターのデザインを僕は、懐古趣味の傾向は否定できないにしても「スポーツカーじゃない」とは思っていない。

 まぁ、スポーツ・カーのデザインの定番には他にも「ロング・ノーズ&ショート・デッキ」だとか「運転席の位置は後車軸の直前」なんてのもあったりする。MGやヒーリーやACみたいな昔の英国製スポーツ・カーは墨守していたこの2つを、そのどちらもがスポーツ・カーとしての特性に関わる要素であるにも関わらずユーノス・ロードスターは、必ずしも踏襲していないのだけれど。

 昔マツダは、日野皓正の「El Camino」に、ただ一言「私は、スポーツカーに乗っています」というコメントだけを添えたサバンナRX-7のTVCMを流していた。
 ほぼ同じころ日産は、真っ暗な室内で唯一スポットライトの当った、真っ赤なフェアレディZがスピン・ターンするスロー映像に「スポーツカーに乗ろうと思う」とだけコメントを付したTVCMを流していた。
 両方のCMに頷く人はいるだろう。サバンナはスポーツカーだがフェアレディは違うという人もいるだろう。その逆も然り。そして、両車ともスポーツカーを名乗るなんておこがましいと考える人だっているかもしれない。
 僕の『スポーツ・カー』の定義は結構ユルいと思うけれども、それでも自分なりに「こんなんスポーツ・カーちゃうわ!」と決めるローカル・ルールは存在する。だけど、FCとZ32のCMを見たどの人に僕が該当するかは一応ヒミツだ。スポーツ・カーのMy定義を明かすことは、時として折伏好きの道場破りを自ら招き入れることになるから。
Posted at 2005/09/17 00:10:23 | コメント(0) | トラックバック(0) | ふと思ったこと | 日記
2005年09月16日 イイね!

定番商品「ロードスター」

定番商品「ロードスター」先日新型ロードスターを一緒に見に行った友人のKahan氏は、今度のロードスターのスタイルに手厳しい評価をしている。諒解できる部分もあれば、僕の見方とかなり違う部分もあって実に興味深い。

 正直なところ、今度のロードスターを僕は相当気に入っているけれども、ではあのスタイルをどう思うかと問われれば、いいデザインだと答えることは流石に出来ない。
 その一番の理由は、やはりホイール・アーチ部分のフレアが、あまりにも自己主張しすぎていること。まあ、そういうスタイルを選んだ理由を推測することはできる。

 思うにアレは、マッチョな形を好む北米市場的要求と、シンプル&クリーンのスリークな形=ロードスターのアイデンティティという縛りの狭間で、それを両立する苦肉の策だったのではないだろうか。
 それと同時に、対歩行者衝突時の受傷リスク低減のためにボンネットの蓋とエンジン本体の間に何十ミリかのクリアランスを作らなければいけない決まりごとをクリアするのに、既存マツダ車のようにパネル上に段差をつけたくなかったのだろう。
 しかし段差をつけなければ、側面のフェンダーの高さをあまり低くは抑えられない筈。となれば、横から見ると随分と腰高かつホイールアーチ上部が間延びしてしまうだろう。それを感じさせないために、ああいう造形物を設えたのではなかろうか、と。そういう推測を僕はしている。

 それが当たっているにせよいないにせよ、NC型はやはり「ユーノス」から続く『マツダのロードスター』の形をして――ユーザーがイメージするロードスター像に合致して――いると思う。

 つまりロードスターはいまや、定番商品なのだと思う。ジャズで言えばスタンダード・ナンバー、服飾で言えばトラッド・スタイル。舞台演芸ならば十八番(おはこ)って奴だ。
 助さん格さんの役者が代われば口調や言い回し、身のこなしなどは変化しても「控え居ろう!」は不変であるように、その時代時代のテイストに合わせて演出的技巧は変化したとしても、根幹の骨組みがぶれることはないような、そういう商品。
 丁度、ほぼ絶滅状態にあるスペシャルティー・カーが、時代の流行に合わせて代々変転を重ね、常に最新のモードに身を包もうとしてきたのとは反対のありようだ。(やや皮肉に言えば、スペシャルティー・カーは時代の流行に従うあまり、今の時代はついにクーペの車体形状をも捨て去りSUV形態にトランスフォームしたと見ることもできる)

 そして僕は、初代で大成功して2代目3代目と歴史を重ねてきたマツダのロードスターは、そういう古典的な「定番」として見るのが妥当なんじゃないかなーと思っている。新しい価値観を提示する商品ではなく、温故知新を体現した商品でいいのではないかと。
 確か雑誌の取材に答えた開発幹部も、3代目ロードスターは革新ではなく保守を目指したと答えていた。狙った通りのものにはなっていると思う。
Posted at 2005/09/16 14:26:50 | コメント(0) | トラックバック(0) | ふと思ったこと | 日記
2005年08月31日 イイね!

レクサスと言う名のソフトを売る

レクサスと言う名のソフトを売るきのう8月30日はレクサス店の開店日、テレビのニュースなんかでも随分と手厚く報じられていた。たしかに日本初の国産高級ブランド専売店で従来例を見ない接客方針を持つなど一般ニュースで扱うだけのバリューはあったと思う。

 ただ一方で、民間放送の事情として営業からの要請なんてものがあって、しかもレクサスの宣伝戦略はきっと電通の仕切りのはずだから、いわゆる「是非もの」で大扱いしないわけにはいかなかったのだろうなんて想像している。ま、報道担当としちゃあニュースをPR番組扱いするような企画は扱いたくないのだろうけれども。

 それはそれとしてニュースを見ていて溜息をついてしまったのは、客に名刺を渡すときに一々ひざまずけと言う方針を見たときのこと。これはもう「接客」じゃなくて「接待」だ。
 たかだかクルマを買う程度のことで、販売担当にそこまでして貰いたいものなのだろうか。…いや、恐らくそういうのを望むお客様もいらっしゃるには違いないのだろう。でも僕は真っ平ごめんである。そんなご接待をして貰うよりも、フランクに車のお話をしたほうがずっと気分がいい。だって、僕はクルマ好きだから。

 こういう言い方をすると語弊があるのだろうが、レクサスの系列と言うのはつまり、クルマに興味があってクルマ好きな人たちに向けたお店ではないのだ。
 クルマが欲しい。それも、高級なクルマが欲しい。でもクルマに特に思い入れがあるわけではない。そういう人のうち、さらに「おもてなし」を受けることを殊更に好むような、小金を持った人々の需要を満たすには、レクサスというソフトウェアは魅力的なのではないだろうか。

 レクサスと言うのはGSやSC、これからラインナップされるLSやISなど自動車と言うハードウェアを販売する店ではないのだろう。レクサス流接待と言うソフトを顧客に提供し、そのソフトウェアからの期待値にたがわぬハードウェア販売する。そういうビジネスなんじゃないかと言う気がしている。

 もう10年位前になるだろうか。「礼を尽くす車」とかいうキャッチ・コピーを携え、鳴り物入りで日本に上陸した外国ブランドがあった。ビジネス的には惨敗したが、その理由の一つはハードウェアがキャッチフレーズ(ソフトウェア)に比べ大きく見劣りしたことにもあると思う。トヨタのレクサスならば、少なくともサターンのようにハードの信頼性が足りないなんてことは、そしてアフター・サービスが不安だなんてことはない。

 果たして、GSと名前を変えて先代モデル「トヨタ・アリスト」の影を消し去ろうとした車や、セルシオのLS、アルテッツァのISが、昔の名前に比べて売れるか売れないか預言者ならぬ僕には分からない。
 でも一つ思うのは、日本でのレクサスは、梁瀬次郎以来の「高級車商売」の手法とは全然違った、まったく新しいビジネスをしようとしているのではないかと言うこと。
 だから、高級ブランドは一朝一夕には根付かないだとか、「中身は結局セルシオやアリストやソアラじゃないか」との見方をしていたのでは、見通しを誤るような気がする。レクサスが伸びるとすれば、そのソフトウェアが顧客の心をつかんだからであり、こけるとすれば、市場はレクサス式接待など欲していなかったから、なのではないだろうか。

 それにしてもレクサス、本当に敷居が高い。きょう仕事に立ち寄った六本木ヒルズで見かけたポスターには「レクサス特別展示中」と出ているから見に行こうと思った。そうしたら、展示してあるのはビル52階の展望台だと書いてある。
 地上から百メートル以上の高さもさることながら、展望台に入るには、たしか2000円の入場料が必要なのである。いくら物見高い僕でも、さすがにそこまでして見に行く気にはなれなかった。
Posted at 2005/08/31 20:51:25 | コメント(2) | トラックバック(0) | ふと思ったこと | 日記

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「フェアレデーって本当に呼ばれてたの? http://cvw.jp/b/9433/47108671/
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