• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

惰眠のブログ一覧

2006年11月13日 イイね!

ところ変われば……

ところ変われば……僕の父もそうなのだが、会社の先輩にも40歳を過ぎてから運転免許を取得した男性がいる。経済的に一定の余裕がある人の場合、車の免許を取るとやはりどうしても自分の車が欲しくなるようで――車を運転したいから結構な年齢になってからでも時間を割いて免許を取りにいくのかもしれないが――職場にもクルマ好きが知られてしまっている僕の所に(さほど親しいわけでもないのだが)来て、何かオススメの車はないかと相談された。まあ、もう十何年以上もむかしの話だが。

 似たような相談を持ちかけられた人は少なくないと思うけれども、真面目に(後から恨まれないように……)考えると、これは結構困ってしまう。漠然と「何かオススメ」と言われても、趣味ベースなのか実用ベースなのか、それとも見得やハッタリを求めているのか等々、なんとも答えようがないのである。ある程度、自動車所有の経験のある人ならばともかく、期待値と実像の落差ってモノもあるだろうから、どうしても無難なことしか言えないし、となれば何も別に僕などに相談しなくてもいい。と言うか、趣味のクルマの馬鹿話ならば幾らでも興が乗るけれども、ちょっと前ならホイチョイプロあたりが好んでやったに違いない『見栄を張れる車』とか月刊自家用車あたりがやるかもしれない真面目なファミリーカー比較みたいなのは、僕は苦手なのだ。

 その先輩の希望は「オシャレな外車で予算がこれくらい」という、雲を掴むようなものだったので日本でも認知度が急速に上がってきたプジョーとかアウディなんかいいんじゃないかとお答えした。
 すると彼は「プジョーとアウディはダメだ」と直ちに却下なさる。余り車に詳しくないはずの彼が、何故そこまではっきり断言するのか不思議だったので聞いてみると『ところ変われば……』な理由を話してくれた。

 察しのいい人にはそれだけで多分分かってもらえると思うのだが、彼は東京勤務になる直前、かなり長いこと北京の駐在事務所でボスをやっていたのだった。中国では、業務提携を結んだ現地工場がアウディやVW、プジョーを生産している。
 駐在期間中、それら現地生産車のリアルな品質を身を持って経験している彼にとっては、僕が試しに挙げたブランド名からは極めてネガティブな印象しか浮かんでこないと言うのだ。そういえば彼の前々任者は確か本体価格の200%とかっていう莫大な関税を払って、日本からクラウンを持ち込んだとか聞いたことがある。
 そうか、現地生産の品質はそんなにスゴイのか……と、十何年前の僕は一つ賢くなったような気がしたものだ。今どうなのかは知らないけど。

 結局うやむやになってしまった彼の車選びへのアドバイスだが、後日彼の選んだ車を聞いて「え?!」と顔に出かけた。確か、彼は「オシャレな外車」がお望みだったはずだ。少なくとも僕には、1990年代中ごろのシボレー・カマロが世間一般で言うところの「オシャレな外車」に該当するとは思えなかったからだ。

 本人は極めて満足しているようだったし、これでも他人のクルマ選びにアレコレ言うほど野暮ではないので「自分が満足できるクルマが一番ですよ!」と言うにとどめたが、あのクルマに冠するには「オシャレ」以外に相応しい言葉があるんじゃないかと言う気もする。ただ考えてみれば「オシャレ」の概念も(文化圏ごとに一定の限界値はあるにしても)相当主観に寄りかかったものなので、まあ彼がオシャレだと思うんならそれでいいのかなと。

 ただ、相談を受けたときも居合わせた同僚は、僕とその先輩のやり取りを聞いてひとこと「……やっぱりあの人、ちょっと変わってるわ」と誰に言うともなく呟いたのだった。
Posted at 2006/11/13 21:55:24 | コメント(1) | トラックバック(1) | ふと思ったこと | 日記
2006年11月08日 イイね!

「そのネタでは書かないでください」

「そのネタでは書かないでください」以前、休刊した自動車雑誌「Auto Express」の思い出話で、オトナの世界には言っちゃいけない、記事にしちゃいけないことがあるんだよなぁというようなことを書いた。

 別にそれは驚くようなことでもなければ憤慨するようなことでもない。世の中から、そういう『配慮』や『心遣い』がなくなるほうが余程ギスギスして不都合だろうと思ったりもする。
 ただ、残念なのは得てしてそういう気遣い(や、商売上・お付き合い上の損得勘定)によって表沙汰にされないような事柄の中によく面白い話が転がっているということ。まあ、当事者にとっては笑い話じゃ済まないことだったりするから、色んな事情で伏せられてしまうことになるのだろうが、無責任な第三者にとっては「人の振り見て大いに笑え」だったりするのである。これは、そういう話。

 ――その夫婦が乗っていたのは、国産の中型ハッチバック車だった。この車を巡っては、夫婦喧嘩が絶えなかったと夫は証言する。車にカセットテープを持ち込むと、頻繁に紛失するのだ。夫は、妻が車内を整理整頓しないからだとなじり、妻はそんなわけあるかーッ!と反発する。それでしょっちゅう喧嘩になったのだそうだ。
 もちろんそういうことは、クルマだから起こるわけではない筈だ。常日頃から夫は妻の片づけがなってないと腹に不満をためており、妻はちゃんとやってるのにあンたは無闇に細けェんじゃーッ!と感じていたりするから、実際にモノがなくなる事実を前にしたとき、口をついて出てくるのだろう。自分の両親がそういう感じなので、その辺は大体想像がつく。

 ある日、この夫婦が愛車でドライブしていると、突然車内が焦げ臭くなり白煙が立ちこめた。大慌てで道端に車を停め車からまろび出て消火したのでボヤで済んだが、車両火災を起こしてしまったのだ。
 夫は直ちに販社に電話をかけ「お前のとこで買った車が火ィ噴いたぞコラァ!」と怒鳴りつけ、工場に運ばせ修理はもう無理だから原因調べろと迫ったらしい。

 で、後日その報告を聞いたところセンター・コンソールの物入れの裏側に幾つもカセットテープが転落していて、それが排熱を受ける場所だったもので溶けて焦げて燃え始めた、と言うのだ。
 それを聞いた妻が「ほら見たことか、私の整理整頓が悪いからなくなってた訳じゃないだろ」と夫に向かって言い放ったかどうかまでは僕は知らない。夫が「あらぬ疑いをかけて申し訳なかった」とひれ伏して謝罪したかどうかも、やはり僕は知らない。

 ところで何故そんなところにカセットテープが転落していたかと言うと、センターコンソールの物入れの裏側に隙間があって袋状になっておらず、小物だと落っこちてしまう設計だったというわけだ。しかも落ちた先には高温の排気系統が待ち受けているという、これで車両火災が起きないほうがどうかしてるという素晴らしい仕様。
 パソコンのソフトならば「仕様です!」で押し切るのもアリかもしれないが、下手すりゃ搭乗者が生きたまま丸焼けにされるかもしれないような設計は「仕様です」では済まないよなぁ……。

 後年、この夫妻の一方が、その体験談を雑誌のコラムでネタにしようとしたら(そういう職業の人なのだ、この夫婦の片方は)、編集長が「そのネタでは書かないでください」と伏してお願いしたのだとか。
 広告収入や、取材や広報車両の貸し出しなどの便宜供与で自動車メーカーに対してはおんぶに抱っこ状態の雑誌社としては、いかに「実話」といっても――いや、実話だからこそ書いてもらっちゃあ困るのだろう。話ネタとしては実に面白いのだが。
Posted at 2006/11/08 14:29:18 | コメント(0) | トラックバック(0) | ふと思ったこと | 日記
2006年08月16日 イイね!

ドライブ・レコーダーの思わぬ効用(?)

ドライブ・レコーダーの思わぬ効用(?)夏休みともなれば、テレビのニュース番組などでも盛んに交通事故ネタの特集企画を流す。特に近年は『ウィットネス』というスキップ・バック録画機能のある車載レコーダーを営業車に装備したタクシー会社が珍しくなくなったことで、事故発生の瞬間を捉えた映像素材も豊富となり、その結果(言葉は悪いが)題材として大変にテレビ映えするものになったことも大きいだろう。
 大破した車両の映像も確かに衝撃的ではあるが、いままさに事故が発生する瞬間の『迫力』のほうがはるかにインパクトがあることは間違いない。

 民生用とするにはまだまだ値段が高いようだが、これが導入された当初のタクシー会社の話で、僕は一つ吹き出してしまったことがある。ウィットネス導入後、顕著に事故が減ったというのだ。今丁度やってるワイドショーに拠ると、導入すると『必ず』約20%も事故件数が減るという。

 それって要するに、動画で記録されちゃう以上、もうゴマカシや言い訳は効かない、だったら大人しくマトモな安全運転を致しますってことじゃないか。プロフェッショナルの運転者が、『監視』を受けないと安全な運転をしないってのは情けない限りの話だが、やりゃあ出来るんじゃん、である。と言うか、今まで証拠が残らぬのをいいことに、どれだけ出鱈目で危なっかしい運転をしていたんだコノヤロー、である。

 尤も、都内のさるタクシー会社のウェブ・コンテンツには、実際の事故の発生様態を乗務員全員が共有できることが教育効果を生み、ケース・スタディができることで安全意識が向上したことが大きいような優等生的リポートが掲載されている。それも事実ではあるんだろうけど、車載カメラを導入しただけで事故が2割も減るとすれば、教育効果云々なんて建前論だわなぁと思わずにいられない。

(添付画像はイメージ映像。本文とは関係ありません)
Posted at 2006/08/16 12:16:45 | コメント(0) | トラックバック(0) | ふと思ったこと | 日記
2006年08月14日 イイね!

それでも彼は行くだろうから

それでも彼は行くだろうからヘルマン・ゲーリングはニュルンベルク裁判において、次のような言葉を口にした。

「もちろん、国民は戦争を望みませんよ。運がよくてもせいぜい無傷で帰ってくるぐらいしかない戦争に、貧しい農民が命を賭けようなんて思うはずがありません。一般国民は戦争を望みません。ソ連でも、イギリスでも、アメリカでも、そしてその点ではドイツでも同じことです。政策を決めるのはその国の指導者です。……そして国民はつねに指導者のいいなりになるように仕向けられます。国民にむかって、われわれは攻撃されかかっているのだと煽り、平和主義者に対しては、愛国心が欠けていると非難すればよいのです。このやりかたはどんな国でも有効ですよ。」(wikipedia日本版より)

 一般国民は戦争を望まない。だから、戦争で人生を台無しにされた国民を慰謝する、と言うことはあっていい。否、なくてはならない。お前の(或いはお前の家族の)死は無意味だったのだと言われては、あまりにも救いがない。
 だが、人生を台無しにされた人々への哀悼を述べることと、彼らの人生を台無しにする政策決定をした為政者を免責することとは、全然別の話である。

 全ての宗教施設がそうであるのと同様に、靖国神社というものは政治的装置である。大日本帝国という国家が設置した、故人への追悼の念という、ひと一人の『心の裡の問題』を『お国』の次元に糾合するための装置である。
 そしてわが国の歴史において、『お国』の次元に吸い上げた民心を、為政者はどのように用いたか。『護国の鬼』は、もはや「故人」ではなく「個人」でもない。それは、政治システムの一部である。

 そうした過去を振り返ることなしに「参拝は個人の心の問題」と言い逃げする人物を、僕は信用できない。個人の感情と言う、反駁の難しい聖域を楯に政治的振舞いをカムフラージュする為政者を、僕は受け容れられない。そも、個人の心の問題であるのならば、何も世間に向けて「パフォーマンス」を披瀝する必要など微塵もないのである。

 頭書したゲーリングの言葉の後段。なんだかここ数年、しきりと政府与党関係者の口からでるのを耳にしている気がしてならない。これに類する言葉を発する人々は、一体この国をどうしようと考えているのだろうか。そういう政治の先行きに、どんな『明るい未来』が展望できるというのだろうか。
 故人を偲ぶという人として自然な心の動きを、「クニ」の枠組みの内に絡め取っていこうとする思惑が色濃く感じられて、僕はひどく不愉快に感じている。

 それにしても、鬼畜米英との戦争で命を落とした祀神に対して、今この国の政を司るお歴々は、どの面下げてお参りするのだろう。何を祈るというのだろう。
Posted at 2006/08/14 18:00:50 | コメント(2) | トラックバック(0) | ふと思ったこと | 日記
2006年08月01日 イイね!

それはきっと同族嫌悪

それはきっと同族嫌悪多分4年くらい前の話だ。
サッカーの日韓大会の折だったと思うけれど、北朝鮮のいわゆる「美女軍団」が訪問先の韓国で、歓迎の意図から街頭に掲示されていた金正日総書記の写真をバスから見つけ、血相変えてこれを外した話がワイドショーか何かで報じられていた。

 彼女ら、よほど腹に据えかねたのか怒りにこわばった表情で口々に「なんと失礼なことを」みたいなことを喋っていたようで、コメンテーターなどは「やっぱり北朝鮮はオカシイわ」的なことを言っていたことを思い出す。

 このとき僕が思ったのは「あぁ、これは北朝鮮版の『御真影』なのか」と言うことだ。もし65年くらい前に、国民学校の校長とか役場のお偉いさんとか隣組の責任者みたいな立場の人が集団で海外に出かけた折、街灯や街路樹に昭和天皇の肖像写真が雨ざらしで括りつけられているのを目にしたとしたら、きっと似たような反応をしたんだろうなぁと思った。

 この一件で僕が殆んど確信したことは、万事につけ『領導者さまのお陰です』の教育とは、すなわち六十何年か前までわが国で敷かれていた『天皇の赤子』教育の発展系だと言うことだ。DPRKのありようはつまり、より親政的傾向を強化した天皇制のバリエーションである。「人民」の生活水準は兎も角として、アレは不滅なる神州の後継者なのである。

 そういえば、ご丁寧に『国つくり神話』も用意されている。即ち抗日パルチザンの金日成が一子、白頭山にて生まれる云々。国つくり神話の根幹に抗日戦線がある以上、平和的なお付き合いをするのは、中々に困難であることは間違いない。ま、それはそれとして。

 アレを『天皇制』――『小国民教育』としたほうが相応しいかも――の変種だ看做すと、奇矯に見えることがらの幾つもが腑に落ちるようになる。誰しも、醜く戯画化された自画像を見せ付けられることは耐え難いものであるから。たかだか70年前までは、日本も『そういう国』だったことを、DPRKの『今』の姿は鮮やかに思い出させるから。

 しかし安倍晋三代議士にしろ誰にしろ、先の戦争を「自衛自存の止むを得ざる選択だった」とする面々は、果たしてどれだけ自覚的でいるのだろうか。
 その言説は同時に、彼らが非難して止まぬ『北朝鮮の暴挙』に正当性を与えていることに。北朝鮮の身勝手を非難する言葉はそのまま、彼らが拒絶して止まぬ『東京裁判史観』なるものの妥当性を認めることになっていることに。

 つまりこういうことである。
暴戻なる欧米列強は、わが国民族自決の権利を踏みにじり経済制裁によってわが国の発展と将来を闇に閉ざそうとしている。と。
 なれば、わが国は実力行使を持って彼らの暴虐に鉄槌を下し、非道なる振る舞いを改めせしめるものである、と。
 ゆえに、戦争が起きるとすればその責めを負うべきはわが国を経済封鎖し存亡の際に立たせんとした鬼畜米英と、その傀儡どもである。欲しがりません勝つまでは。パーマネントはやめませう。進め一億火の玉じゃ、肝っ玉目ン玉じゃ……。
 「わが国」の部分を65年前の日本ではなく2006年現在の北朝鮮と置き換えても、そのまま成立するキャンペーンなのである。

 だからきっと、同族嫌悪なのだ。上にかいたようなリクツを持ち出して「俺らはナーンモ悪いことしてないもんね~」と主張したい向きにとっては、まるっきり同じリクツを使ってミサイルぶっ放したり核兵器開発したり種々の援助をむしりとったりの傍若無人な振る舞いを正当化する連中は、さぞかし目障りだろうから。

 しかし、どこぞの少年漫画じゃあるまいし「じっちゃんの名誉にかけて!」みたいな按配で既に国際的には『罪』として決着済みのことを今更になって「あれは悪いことじゃなかったんだ」などとグチグチ未練たらしく言うよりも、潔く叩頭するほうがよほど立派で尊敬に値する態度だと僕は思うんだなあ。サムライの価値観においても、未練者と言うのはサイテーの存在であることだし。

 じっちゃんのことは兎も角としても、韓国・北朝鮮や中国のマターになるとムキーッとなって『とりあえず溜飲を下げたい』式の発想しか出来ないような者に、国の舵取りを任せるのは良くないよなぁとシミジミ思うのであった。
Posted at 2006/08/01 18:04:00 | コメント(1) | トラックバック(0) | ふと思ったこと | 日記

プロフィール

「フェアレデーって本当に呼ばれてたの? http://cvw.jp/b/9433/47108671/
何シテル?   07/24 21:51
曲面の綺麗な旧い車が好き、エレガンスのある車が好き。そんなこんなでユーノス500に乗りつづけ、もう……何年だ?  気がつけば屋根のない車まで併有。いつまで乗り...
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2025/7 >>

  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031  

リンク・クリップ

Automotive Design 
カテゴリ:新しい車関連
2003/08/09 00:21:12
 
All The Web 
カテゴリ:便利
2002/12/27 14:03:26
 
Hubble Space Telescope Public Pictures 
カテゴリ:科学・文化・芸術
2002/11/08 15:59:43
 

愛車一覧

マツダ ロードスター マツダ ロードスター
2005年10月、発作的に衝動買いしてしまいました。 いい車だなぁと思ってはいたものの所 ...
マツダ ユーノス500 マツダ ユーノス500
気が付けばデビューはもう19年前。 最新の車とは比べるべくもありません。 ガタガタゴトゴ ...
マツダ アテンザセダン マツダ アテンザセダン
例によって例のごとく、借り物の車での「パートタイム・オーナー」です。レンタルしたのは10 ...
マツダ ランティス マツダ ランティス
俄かオーナー経験は僅か3週間で終わりましたが、とてもいい車です。 代車だったので、コンデ ...
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation