その4からちょっと間が空いてしまいましたが、続きです。
モンテがまだ昔のスタイルだった当時の第1ステージであるコンサントラシオン”集合”ステージは、各スタート地点から集まって来るステージでした。
このステージはいわば”緩い”ステージで、ルート途中の村では大歓迎をしてくれるところもありました。例えば、ある村に入ったらルート上が大群衆で先に進めず、横の広場に入れと。入って行くとテーブルが設えられていて停車させられました。窓から差し入れられたのはなんとワイングラス! 「おらが村のワインさ飲まねば行かさねぇ」(ってたぶん田舎訛りのフランス語で言ってたと思います)って勢い。ドライバーとふたりでグイッと飲み干し「セ・ボン、メルシ!」で返すと「オォー」と歓声が上がり道を開けてくれる、ということもありました。今では考えられないですよね。フランスでも飲酒運転が罰せられるようになりましたから。もちろん日本とは規制の量が違いますが。
そんなこともありで深夜を過ぎて暫くして、この年のコンサントラシオンのフィニッシュである集合タウンの Gap の町のタイムコントロールCHに到着しました。
ローマからスタートして来たランチアやフィアットのワークスチームともご対面。
前年のウィナーの印である1番をつけた Sandro Munari の Lancia Stratos。
こちらはランチアの親会社であるフィアット・ワークスの Marc Alen の Fiat 131 Abarth。
ここで日本からの我らがサービス隊とも落ち合うことができ、彼等が町に着いてから確保しておいてくれたホテルの一室で3時間ほど仮眠をとることができました。
明るくなって次の第2ステージである Parcours de Classment へスタートです。
この頃のモンテは今では信じられないくらいドライバーとコ・ドライバー(それとサービス隊にも)にとって体力的にキツいラリーだったことがおわかりいただけるかと思います。
現在のWRCが原則金土日の3日間の昼間だけになったのは、もちろんTVのオンエアの都合もあるのですが、疲労を考えた”安全性”も重視せざるを得なくなった結果だと聞いています。
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モンテ | クルマ
Posted at
2021/05/29 11:08:48