ランボルギーニ・デイのコンクール・デレガンスに並んでいたなかには、その他にも懐かしいモデルがいっぱいいました。
古いほうからいくと、350GT。
1964年にランボからの初めての市販車となったモデルですね。130台ほどが造られたようです。
続いてそれを改良した400GT。
350GTのアルミボディに対し、こちらはスチール。たぶんより多数の生産を考えてのことでしょう。でも200台ちょっと。
このあたりでミウラも造られてたことになります。。
その後継車が69年に出たIslero。左側の赤いクルマです。
ご存知のように、フェラーリの跳ね馬に対抗して、ランボのエンブレムは猛牛ですが、イスレロというのは有名だった闘牛士を殺しちゃった闘牛の名前なんだとか。おお怖! ちなみにミウラも闘牛に因んだ名前です。
このイスレロも200台ちょっと。
右の青いのが、その後継である72年のJarama。
でもハラマは闘牛名ではなく、スペインにあるサーキットの名前。
ここで350GTからのデザイン・テイストが変わったようですね。生産は300台プラス。
次はUrraco。
ウラッコは73年に発売で、800台。このあたりから少し台数が増えましたね。
で、それをタルガトップにしたのがSilhouette。
シルエットは僅か50台程度だったようです。
で、ウラッコ+シルエットの後継といえるのが、81年に出たJalpa。
でも台数がぐっと減ってしまって、ジャルパは180台ほど。でも、このあたりには例のクンタッシュも造られていて、そちらはヒット商品(?)で、2,000台ほど造られていましたから。
そして、もう1モデル。上の400GTの向こうに写ってる赤いやつ。
ランボの変わり種、LM002。
名前からして他のランボとは違ってますね。オフロード4駆で、86年から300台ほど造られたそうです。
昔、某百貨店の地下駐車場でよく見かけたのを思い出しました。
会場の隅には、ランボが始めた旧いモデルの公式レストア事業から持ってこられたキレイなミウラも飾ってあり、こちらがそのインテリア。
ため息ものでした。
オマケとして、コンクールにあったミウラのエンジンも。
先週金曜日、東京どまんなかの青山は絵画館前でLamborghini Dayがありました。
新車の発表会でもあったのですが、会場に着いてまず目にしたのは・・・
なんとMiuraの大群!
ミウラは全部で数100台しか造られていないのに、日本にこんなに生息していたとは! これで全部じゃないらしく、もっといるとのこと。そういえば、私の友人の弟さんも1台持ってるはず。
P400やP400Sに混ざって、1台だけいたSV。SVの眼って、例の上下まつ毛じゃなかったんですね。
いや壮観でした。
このエリアはコンクール・デレガンスの参加者で、他にもランボのほぼ全部のモデルが集結していました。
こちらはCountachの群れ。
スーパーカー・ブームの花形でしたね。当時は英語読みで「カウンタック」と言ってましたが、いまは原語っぽく「クンタッシ」って言うヒトも多いようです。
でも、美しいミウラからなんでこうなっちゃったんでしょう? 同じマルチェロ・ガンディーニのデザインだと言われているのに、66年のミウラから5年でこんなに違うのは驚きです。ミウラの時はベルトーネに所属したばかりだったので、あまりホントの自分を出せなかった?
こちらはぐっと新しくなって90年に発売になったDiabloたち。
ディアブロって悪魔の意味だそう。所有するのいろんな意味で怖そう・・・
ランボデイは続きます。
森川オサムHP ”Sur le sommet du Col de Turini” カテゴリ:その他(カテゴリ未設定) 2011/01/21 15:23:34 |
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