少なかったけれど痛かったクルマも報告したので、今年の詳報は今回で終了です。これまでおつきあいいただき、ありがとうございました。
ガラディナーが終わった次の日の朝のパルクフェルメ。と言ってももう”フェルメ”は終わってますが。
お疲れさまの240Z。
まずは缶に残っていたガソリンを給油です。残っている旅の準備です。
いつもなら私はここでチームと別れて単独行動だったのですが、今回は人員不足のこともあり、240Zをランスまで戻すお手伝いをすることにしたのです。
サービスカーと2台でランスまで北へ1,000km走らせます。我々のモンテはまだまだ終わりじゃないんです。
サービスカーは”なんとか”3人乗りなので、かなり窮屈。なのでご令嬢をお乗せするわけにはいかないのでコドライバー席へ。ウルサイのは我慢してもらいます。
オートルートをひた走り、エクス・アン・プロヴァンスで一旦降りてランチ。
そしてまたひた走り。
アヴィニョンを過ぎ、3泊したヴァランスを過ぎ、リヨンを過ぎ、サービスエリアで急いで夕食して、なんとかその日のうちにランス着。スタート前に泊まっていたホテルで1泊して翌朝郊外のユベールさんのガレージに。振り出しに戻りました。
ユベールさんが笑顔で出迎えてくれたのは言うまでもありません。手配してくれたワイパーモーターのお礼ももちろんです。 Marci beaucoup !
240Zはここに置かれ次に向けた整備を受ける予定です。
スタートした翌朝の地元紙をとっておいてくれました。
なんと我らが240Zがメインで載っていました。いいですねぇ。
プレベンさんとブルーノさんにも改めてお礼を言ってお別れ。彼らはデンマークまでさらに1,100kmも北上です。 Mange tak og farvel !
そして我々3名はご令嬢が住むパリへ。脚はレンタカーで借りたこれ Renault Kadjar。
カジャーに荷物満載でユベールさんに別れを告げ、パリへと向かいました。
パリで美味しいワインとともに今回フランス最後の夕食したのは言うまでもありません。
さてさて来年ですが、WRCモンテは行われる予定。1週間後のイストリークも開催が発表されています。スタート地点をモンテカルロ1か所にして、第1ステージは大幅短縮され徹夜無しに。その他は概ね従来通りでやるようです。
実は既に先週からエントリー受け付けが始まっています。締め切りは11月。でも、Covid-19の現状を考えると、日本からの出場は難しい気がするのは私だけではないと思います・・・
高齢の、じゃない、恒例の(?)痛かったクルマさんたちですが、今年は雪が全くなかったこともあり、ほんの少ない数しか目撃できませんでした。もっとも、ここまで帰って来れていない、もっと痛いのがあったことは想像できますが。
少ないですけどいきましょう。まずはこちら。
片目の911。911好きとしては心が痛みます。
こちらはどこかで真っすぐ行っちゃったんでしょうエスコート。たいしたケガではありません。
独眼MGB。走って帰るための応急手当中でしょうか。
イタタタタ・・・・ 見たくない姿です。グラスファイバーの修復要。
こんなのも転がってました。ゴッチ~ンとやりましたね。
我らが240Zは無事でよかったです。まだ旅がありますし。
当日パルクフェルメで目立っていたラリーカーたちをもう少々ご紹介です。
まずは地元フランス車から。
1975年の Renault 17 Gordini。当時のワークスカラーですね。
ご存知 Alpine A310。A110はもちろんいいですが、こちらも好きです。
Citroen CX 2400GTI。78年です。ラリー中も乗り心地良さそう。
お隣りのイタリア車。
まずは野蛮そうでカッコいい Fiat 124 Abarth。75年。
出場数が多い Lancia Fulvia の1.3。73年。
Lancia Beta Monte-Carlo。車名からしてぴったり。77年。
惜しくも総合2位だった Lancia Stratos。プライヴェイトで古いストラトスを速く長く走らせるのはかなり大変だと思いますが。
私がWRCモンテを走った年のうち76年、77年、79年にストラトスが勝ちました。
78年の Fiat Ritmo 60。当時はワークスカーが走ってましたが短命でしたね。
73年の Fiat 128 Coupe。イタ車群のなかでは渋いですね。
次はドイツ車。
79年の Audi 80。ワークスカラーですね。
78年の Opel Cadett GTE。RWDで小さくて軽くて走り易いみたいです。27みたいな存在?
ポルシェも多かったのですが、前にずいぶん写っていた思うのでここではパス。
最後に英車。
64年の Austin Healey 3000 Mk-III。ノルウェイからの参加。
66年の Lotus Elan。これでモンテの距離走るのもきつそう。
もちろんアールトネンさんのミニもいました。
おまけでスウェーデンの Saab 96V4。74年です。
こちらもノルウェイからの参加なのですが、ウィンドスクリーンに「FADUM IS BACK」とあるとおり、1955年のウィナーのコドライバーだったFadumさんのお孫さんふたりのチームなんだとか。
あと2回くらいで終わりにします。
夜にはガラディナーでの表彰式に列席です。レギュレーションでブラックタイに決められているので、毎回このために荷物が増えますが、これはしかたない。なんせ”モンテ”ですから。
遅いスタートなので、私はオテル・ド・パリのバーで一杯(いっぱい?)ひっかけてから出かけました。
さすがバーの壁にはフォーミュラカーのデコが。
ホテルまで迎えに来てくれるシャトルで会場へ。ランスのスタートまで応援に来てくれた池内ドライバー令嬢がこちらにも来てくれて”色”を差してくれました。我らがチームが一気に華やかに。
ちなみに、ドライバーとコドライバー(こちらでは「ピロト」と「コピロト」)2名分の参加料はエントリーフィーに含まれています。
まずはシャンパーニュを飲み続けます。
会がスタートして食事がサーブされ始まるのは21:00。ディナー中にはステージでエンターテインメントがあり、ディナーが終わったら表彰式。
ここで君が代を鳴らすひとは出現するのでしょうか・・・
表彰式が終わるとお決まりのディスコタイム、おっと古いか・・・クラブタイム?
24:00過ぎても終わらないのは知ってるので退散です。
エントランスにはウィナーカーのフォード・エスコートが置かれていました。
ホテルに帰ってからもまだバーが開いていたので、飲み続けたのは言うまでもありません。
さてラリーカー紹介をもう2~3回続けます。
タクマ君に国民栄誉賞を!!!
Hotel de Parisでの爆睡後、シャワーでさっぱりしてから快晴の坂を下り、港の Parc Ferme へ向かいました。11:00ころです。
キモチイイです。
パルクフェルメに着いて、まずはタワーに上がって全景を撮りました。
それから周りのラリーカーをちょっと見て回りました。#295は1965年の Ford Cortina Lotus Mk-I。そしてフィンランドからのチームの60年製 Porsche 356B。
3年前のウィナーチームの Opel Ascona 2000。
ポーランドからの Fiat 128 Coupe とギリシャからの 128 Rally。
我らが240Zもここに。隣りは昨年ウィナーの Renault 8。
こんなタイアを使っていたチームもけっこう多し。万がいち凍ってたら刺さりますね。
Lancia Beta Coupe。こちらもギリシャから。
エスコートの揃い踏み。#112は73年の RS 2000 Mk-I。隣りは77年の 2000 Mk-II。
そして夜はガラディナーです。
P.S. 琢磨に国民栄誉賞を!!
森川オサムHP ”Sur le sommet du Col de Turini” カテゴリ:その他(カテゴリ未設定) 2011/01/21 15:23:34 |
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