1週間以上開いてしまいましたが、
76年の初モンテの記憶話の続きです。記憶からとは言いましたが、手元にある分厚いアルバム&資料を見ながらですから、記憶間違いは少しは訂正されています。
第1ステージ Parcours de Concentration を暗くなったロンドンからスタートして、ドーヴァーからカレーまでフェリーで渡りフランス入りしました。
ロンドンをスタートする前にサポート役の林君とは別れ、彼にはひと足先にカレーまで行ってもらい、そこでフランスのレンタカーを借りて待機してもらっていました。理由はカンタン。UKでレンタカーを借りて大陸で返却すると酷く高かったからです。
準備が終わってカレーを出発し、パリ方向へ100kmちょっと走った Arras の町に最初のパッセージ・コントロールCP(Controle de Passage)がありました。
通過確認のスタンプをもらうだけ。ショートカット防止ですね。サニーはまだキレイです。
ここアラスでパリのコンコルド広場からスタートしてきたパリ・スタート組と合流だったので、目の前にワークス・アルピーヌA310などが現れてまずは感激したのを覚えています。
最初のタイムコントロールCH(Controle de Heure)はこのCPから南東へ180kmほど走った夜明けのReims の街に置かれていました。ランスは私がこののち1997年にスタート地に選び、更にはイストリークで2009年、19年、20年とスタートすることになります。
改めてこの時の写真(ところで銀塩のころは”写真”でデジタルになったら”画像”と呼ぶようになったような?)を見てみてもランスの街のどこなのかがわかりませんが、たぶん市庁舎前広場でCH前に時間調整していたと思われます。後ろには女性チームのアセプトジル・カラーのアウトビアンキが見えます。ここでは市庁舎で朝食がふるまわれて、ワインとシャンパーニュ付きだったとアルバムに書いてあります。例によってランスはシャンパーニュ地方の中心ですからね。だいいちこの時代はフランスではまだ飲酒運転禁止ではありませんでしたし。
そして下は広大な畑でたぶんトイレストップした時に撮ったもの。
通り過ぎるのは2台のワークス・アルピーヌA310。前がジャン=ピエール・ニコラで後ろがジャン=リュック・テリエです。
アラス~ランス間でドライバーから疲れて眠くなったと言われ、運転を交代したのを思い出しました。初めての海外で初めての運転でナビは無し。暗いなかひとりでミシュランの地図を片手に運転し、前のラリー車についていこうと思ってバカッ速いアルピーヌに必死で連なったりしましたっけ。
Posted at 2021/02/22 13:30:42 | |
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