ラリー・モンテカルロの備忘録を始めて1976年、77年と終わったところで2か月が経ってしまって、ようやく79年を始めた、と思ったら、2回を終えただけでまた2か月近く開いてしまいました。のろのろの再開です。
その1回目の最後に「スポンサーに恵まれた」と書きましたが、ほんとこの当時は日本でラリーに付いてくれるスポンサーなんてパーツ関係くらいしかなかったんです。それが友人関係の協力で意外な展開になってくれました。
松本在住のラリーの先輩と懇意にしてもらっていたのですが、そのひとの地元の友人で著名な公認会計士のかたを紹介してもらいました。クルマ好きで、これまた市内で有名な老舗お菓子屋さんを営んでいる弟さんと一緒に当時アルピーヌA110やケイターハム7を所有していました。公認会計士として都内にも事務所を持っていて、クライアント企業の”どこにどんなお金が遊んでいる”かをご存知!(笑) そこで言われた条件は・・・「カネはなんとか出してもらえるようにしてあげるから、オレ達も一緒に連れてって。」
決まり! これによって、千葉にあったイノセ・コンペティションで作業が終わったRX-7はFISCO(今はFSWって呼ぶんですね。)前のレース村に移送され、そのスポンサーさんの広報部が決めてくれたカラーリングが施されました。
これが与えられたスケッチでした。
そうです。メイン・スポンサーさんはカーオーディオ・メーカーのクラリオン。
オリジナルのウグイス色メタリックからカナリア・イエローにブラック・ストライプに変身となりました。
また、クラリオン広報部がPRのメインメディアとして当時小学館が出していた雑誌GOROと組んだため、赤い大きな「GORO」のロゴがルーフ先端とリアフェンダーに。これで見た目はぐっとラリーカーらしくなりましたね。
ダッシュボードにはクラリオンのオーディオが取り付けられたのはもちろんです。カセット付き!
実は猪瀬さんを紹介してくれたのもその公認会計士のかた。ご自身のA110や7のメンテを依頼していたのが猪瀬さんだったんです。それで弟さんともども同行が決まった時点で「チーム監督」なるポジションをお願いすることになりました。そのチーム監督の交渉でなんと猪瀬良一さんも”メカニック”として同行してくれることに! ちょうどノバ・エンジニアリング立ち上げが決まっていて、帰りにその準備のために英国に寄ることもあったらしいですが、今から思えば凄いことですよね。
Posted at 2021/12/05 13:48:04 | |
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