2017年03月21日
「リーダーズ」、良いドラマだね。
1941年、利三郎は会長に退き第2代社長には創業者の喜一郎が就任した。日中戦争および太平洋戦争中は主に帝国陸軍向けのトラックと、少数ではあるがAA型乗用車および派生型であるAB・AC型などを生産。大戦末期、愛知の工場はアメリカ軍による爆撃が予定されていたが、その前に終戦となる。戦後の1950年、ドッジラインに伴うデフレにより経営危機に陥り豊田喜一郎社長は辞任。朝鮮戦争勃発で軍用トラック特需があり倒産を回避、同時に技術者の中村健也の監督のもと、国産自家用車の開発を開始。
なお1945年には本田宗一郎が経営するピストンリング製造会社「東海精機」の株式を全て取得しているが、本田はこの売却益を元手に本田技研工業の母体となるホンダ技術研究所(旧)を設立し、原動機付自転車や自動二輪車の研究開発を開始するなど、現代ではライバルとなったホンダの誕生と関係がある。
経営危機時の深刻な資金難に際し同社初のリストラを決断、日銀の仲介により、都銀・地銀含めトヨタと取引のあった銀行24行による協調融資団が結成される中、定位国銀行(三井銀行と改称、現・三井住友銀行)を中心とする銀行団の緊急融資の条件として、販売強化のためにトヨタ自動車販売株式会社(「自販」と略された)が設立された。この時に、融資に協力した帝国銀行と東海銀行がメインバンクとなる。逆に貸付金の回収をした千代田銀行(三菱銀行と改称、現・三菱東京UFJ銀行)と大阪銀行(住友銀行と改称、現・三井住友銀行)は、のちに三菱が東京銀行と、住友が三井銀行の後身であるさくら銀行と合併するまで50年間も口座の開設・取引をされることはなかった。
昨日、「リーダーズ」というドラマをやっていた。「リーダーズ2」の前振りで再放送だが、今は世界展開で中規模国家並みの財政規模を持つトヨタも倒産の瀬戸際まで追い込まれた時期があったんだなあ。ドラマだから次から次へと危機が押し寄せるが、実際にそうだったんだろう。終戦後の混乱期、日本中が食うことで精いっぱいだった時に「自動車産業はすそ野が広い。将来必ず国を支える産業になる」とひたむきに乗用車の開発に邁進しながら会社を支えるために金策に奔走する。あの時代、どこもそうだったんだろうけど実際筆舌に尽くしがたい苦労があったんだろうなと思う。車にしても12時間連続80キロ走行、40馬力など今から見れば「すいすいくるくるミゼットⅡ」でもできてしまう(ミゼットⅡは31馬力か)おもちゃのような車だが、それでもその車を作るのに大変な苦労があったんだろう。大変だったんだろうなと思う反面、あの頃はある意味夢もあったんだろう。なかなか良いドラマではある。今は今でトランプ対策など大きくなればなったで苦労は絶えないだろう。僕はずっと「トヨタ党」でトヨタの株式も保有している(吹けば飛ぶような額だが、・・)が、バイクに乗るようになって「ホンダ党」にもなってホンダの株式も所有している。日本の自動車産業はトヨタ派とルノー日産系、そしてホンダが孤高の存在だが、最近はGMと提携したようだ。どうせならトヨタとホンダが手を組まんかねえ。いいコンビだと思うんだが、・・。会社の思考とし好がちょっと違うか。それはともかく見ごたえのあるいいドラマだね。あ、三菱UFJはトヨタに融資しなかった西国銀行か、とんでもないなあ。株式売り払ってやるか。
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Posted at
2017/03/21 15:33:01
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