2020年10月号。
門司港往復の友として最後のご奉仕。
良い記事見つけたが、例によって2年前にUPしてるよねと思ったらしてない!!
何でだろう。
良くできてると思うので、突っ込みなし書き起こします。
3)西川淳の1000km試乗記 V37スカイライン400R
R30~V36まで乗り継いだ。
ずっとクーペだったが、V36で初めて4ドアセダンを買った。
V37は最初にアメリカでQ50として乗った。
グローバルカーであることを1800mmを超えた全幅とともに思い知り、スカイラインではないことを付きつけられた。
400Rに乗っているとおじさまから声がかかる。
「これを待ってた」
「スカイラインらしいのが出たね」
「乗ってみたいと思っていた」
でも、目を輝かせているおじさまに、
「残念ながら、もう貴方たちがおもっているスカイラインではありませんよ」と答えるほか無かった。
感情論になるが、スカイラインが終わるとともに、スカイライン好きもまた終わっているとの結論に至った。
論じる前にスカイラインとはなにかを整理しておこう。
敢えてまとめるなら、「日本のモータリゼーションの進化とともに性能を磨きつつ車好きをも育てた立役者」だ。
GTと名乗った時からグランツーリスモとしての究極を追求し続け、その姿勢に多くのファンが共鳴した。
ある時は「名ばかりのGT」と揶揄され、またある時には、年ごとの高性能化を批判されたこともあった。
DR30の鉄仮面騒動の事ですな。
いずれも、日本を代表するモデルだったから故の有名税であった。
最も売れたのは第四世代のケンメリ。
4年間で64万台もうれた。
半世紀も前の話なので、社会も環境も何もかもが違った。
日本人のマインドだって異なっていた。
異国の話みたいなものだから、今更そのコンセプトを振り返っても詮無しだ。
けれどもそのケンメリを頂点にして暫くスカイラインは日本の車好きの中心であり続けた。
筆者が免許を取った80年代、5代目ジャパンから6代目R30へと進化したときも様々な物議を醸しだした。
7代目R31には、最新モデルにも通じる、どこか「過去からの脱却」のような背伸びをしたコンセプトがあった。
それ故、クルマ好きからの批判も一層高まった。
日産も反撃する。R32の登場だ。
GT-Rの復活というビッグニュースに隠れてしまいがちだが、スカイライン史において、R32スタンダードモデルの存在は間違いなく画期的だったと思う。
そして、スカイラインはそのR32で終わった。
それがボクのスカイライン考察で至った結論だ。
時代の要請で、車の大型化は避けられない。
大型化に対する批判が容認を上回ることはほとんどない。
連続して進化するクルマが小さくなることは奇跡的なことだ。
R32はその稀有な例だった。
メーカーが一大決心をするほど熱心なスカイラインファンの声が大きかった査証と言うべきであろう。
実を言うと大きくなった都市工学の7代目はハコスカと同じくらい(約30万台)売れたのだが。
結果的に8代目R32のセールスは悪くなかったけれど、時代の流れに逆らうダウンサイジングは、一部のファンを熱狂させて一方で、アレルギー反応も出した。
その反省が大きくなった9代目のR33となるわけだが、この当たるから日本で最も名のしれれた車の迷走が始まったのだ。
R34では強いボディーをまとい基本性能を磨き上げた上でハコスカを起草させる力強いカタチをまとったが、スタンダードモデルの存在はGT-Rの陰にすっかり隠れてしまった。
V35の登場で、事実上スカイラインは終わった。そもそもスカイラインでは無かったのだ。
その原因を探ればR32になると思う。
勿論R32がR31のキープコンセプトで登場していたとすれば、もっと早くスカイラインが終わっていた可能性も高いのだが……。
第二世代GT-Rという名シリーズを残した代わりに、スカイラインGTはあの時すでに死んでいた。
V35以降のスカイラインは、それこそ日本市場における浪花節だった。
今400Rという強いスカイラインを試乗して思うことは、何と味も香りもないクルマになってしまたことか、の1点に尽きる。
色気が無い、速いが薄い。
これが日産車なのだ負いう主張をクルマから感じることができなかった。
良い意味では、グローバルカーである証となるが。
「スカイラインの名前が残っただけを喜んでおけ」と言われているようで、ファンとしてはいっそう、悲しくなってしまった。
Posted at 2022/05/22 15:52:46 | |
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