遅くなりましたが、
続きです。
楽しかった職員旅行も最終日、7/28(日)。
2泊目の宿、びわこ緑水亭も高級旅館でした。料理も美味しいし、造りも豪華。
起床と共に部屋付きの露天風呂で足湯😅
本日の予定は、
大原・比叡山観光です。
大原というと、
三千院。
古い人は「きょうと〜おおはらさんぜんいん♪こい〜につかれたおんながひとり♪」という歌が浮かぶでしょう😅ワカモノハ シラナカッタ
三千院ミニ知識:
三千院は天台宗の寺院。三千院門跡とも称する。本尊は薬師如来、開基は最澄である。8世紀、最澄の時代に比叡山に建立された円融房に起源をもち、のちに比叡山東麓の坂本に移され、たび重なる移転の後、1871年(明治4年)に現在地に移った。境内には往生極楽院、宸殿、客殿などの建物がある。このうち、往生極楽院は12世紀に建てられた阿弥陀堂で、内部には国宝の阿弥陀如来及両脇侍像(阿弥陀三尊像)を安置している。
ここの見所は庭園。苔むした庭は散策するだけで癒されます。台風の余波で霞かかった空気で雰囲気も上々。
秋の紅葉もきれいでしょうね〜。
第18代天台座主、良源大師(元三大師)が
おみくじの元祖ということで、三千院でも元三大師みくじが引けます。¥100とリーズナブル。
ちなみに延暦寺横川の元三大師堂では¥1000だとか(占って欲しいことを紙に書いて、僧侶に引いていただくというご祈祷のようなもの)。
私も記念におみくじを引いて、財布に入れときました😄
帰宅してから開けました😊
次は比叡山、
延暦寺。
延暦寺ミニ知識:
延暦4年(785)、伝教大師
最澄は比叡山に入り小さな草庵を結び、その三年後には一乗止観院を創建し、鎮護国家の根本道場と定めた。これが今日の根本中堂である。最澄の遷化後、年号を称した延暦寺の名を許された。
比叡山は日本仏教の母山とも称され、法然上人、親鸞聖人、良忍上人、一遍上人、真盛上人、栄西禅師、道元禅師、日蓮聖人など日本仏教の各宗の祖師がここで学んだ。
延暦寺は三塔十六谷と称する150ほどの堂塔の総称であり、最盛期は三千を越える寺社で構成されていたと記録されている。
僧兵を抱え強大な武力と財力を有し、時の権力者と度々紛争を起こした。最大のものが織田信長による比叡山焼き討ちである。
江戸時代以降は江戸幕府に保護され多くの僧坊が再建されている。
わが浄土真宗も原点は延暦寺にあります。
山全体が寺院の集合体となっており、とうてい数時間で見て回れる規模ではありません。
記念に
叡山に鐘の音を響かせました😄
¥50でゴ〜〜ン
比叡山からはケーブルカーで麓の坂本までおります。一気に蒸し暑くなりました😫
坂本というと、明智光秀の本拠ですね。坂本城は比叡山焼き討ちの後、監視のために信長が光秀に命じて作らせました。
昼食のあとは
日吉大社を見学です。
日吉大社ミニ知識:
日吉大社(ひよしたいしゃ)は、滋賀県大津市坂本にある神社。全国に約3.800社ある日吉・日枝・山王神社の総本社である。通称として山王権現とも呼ばれる。猿を神の使いとする。西本宮と東本宮を中心とする400,000m2の境内は国の史跡に指定される。
日枝の山(ひえのやま)とは背後の比叡山のことである。日吉大社は、崇神天皇7年に日枝山の山頂から現在の地に移されたという。
崇神天皇とは、神話の時代からようやく歴史と言える時期の第10代天皇。つまり、日吉大社もほぼ神話のころから存在するわけです。東西の本宮は16世紀の建立で国宝。
神様の日吉大社と、仏様の延暦寺。まさに神仏習合した比叡山です。
しかし、麓は暑い。汗だくになりながら見学しました😅💦
楽しかった職員旅行も終了です。京都駅に移動し、広島へ帰りました。
天候はもうひとつでしたが、なんとか
乗鞍の頂上は極めたし、神様仏様の起源ともいえる場所も訪れることが出来たし、楽しい旅行でした。
ご覧頂き、有り難うございました (人´ω`*)
詳細は
フォトアルバムへ
・・・しかし、
後日譚があります😅
Posted at 2019/08/12 16:58:02 | |
トラックバック(0) |
旅行 | 日記