2018年05月29日
どうして世間はあれしきのことで大騒ぎするんでしょう?
スポーツの指導者が理不尽な指導をするのが許せない?
謝罪会見が思ったような内容でないのが許せない?
問題が発覚してその責任を学生に押しつけて頬被りしてるのが許せない?
でもその種のことは過去にもあったし恐らくこれからもあるでしょう。
それに何より「もし自分があの監督と同じ立場だったら?」という想像力が欠けている。
そりゃ誰だって巨大組織No. 2の地位は手放したくはないだろうし、自分を引っ張り上げてくれた親玉を守ろうとするでしょう?
それとも「自分は何があっても正直であることを通せる」なんて言える人がどれだけいるんだか。
出来たら誤魔化して言い逃れしてと思うのでは?
それを「正義は我にあり」とばかり集団ヒステリーみたいに大騒ぎして何だか「嫌な」感じ。
大体たかがスポーツのことじゃないですか。
Posted at 2018/05/29 21:29:00 | |
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2018年05月24日
「ポリティカル・コレクトネス」などという言葉があふれかえる世の中になりました。
何かの意味はあるのでしょうけどそれに反することを言えば魔女狩りみたいな現象が。
たとえば男が男を好きになるのを指して「うわー、変態や!」と言えば早速「LGBTへの理解がない」「差別だ」と騒がれる。
「何や、女のくせに」と言えば今度は「その男尊女卑意識が問題だ」と騒がれる。
「あんたがセクハラされた?そりゃないわ」と言っても同じ。
「女性専用車両にオバハンが乗って『安心できます』って笑うよな」もダメ。
「いい年したオバハンが集まって女子会って,(苦笑)」もダメ。
また別の意味で特定の民族国民を指して「やっぱり〇〇人というのはタチが悪い」と言えばやはり問題になる。
自分の感覚ではそんなことは過去家庭内で大っぴらに語られていたのに。
昭和一桁生まれの父親などは日頃から「露助(ロスケ)」「チャンコロ」なんて言ってました。
生まれも育ちも昭和な自分としては「難儀な世の中になったもんだ」と感じる今日この頃。
Posted at 2018/05/24 20:18:54 | |
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2018年05月22日
何だかマスコミ受けを狙ってやっているような気が。
だってヘリを飛ばすのにどれだけ経費がかかったいるんでしょう?
そこまで費用をかけて取り締まりしなければいけないことなんでしょうかね?
閑話休題。
相変わらず国会は「モリカケ」で大騒ぎ。
最近は流石にシラケてしまうのでその話題になるとサッサとチャンネルを変えます。
野党議員は確かに高学歴なのかも知れないけど愚かすぎます。
自分たちが国会で大騒ぎしても支持率は(超)低空飛行のまま。
一言で言えば大局観がない。安倍政治にぶつけるべき対立軸もない。
「自分たちなら北鮮にどう対処するのか」→実は何も出来ない
「シナや韓国の仕掛ける歴史戦にはどう対処するのか」→ひたすらご機嫌取りに終始した
「現行憲法は何が問題なのか」→各人バラバラで方針も何もない
「対米従属以外に日本のとるべき道はないのか」→独立独歩を打ち出す勇気も展望もない
「アベノミクスへの対抗策は何か」→イチャモンをつけるだけで無策
こんな疑問にも答えようとしない「政党」に存在価値はないと思うのですが。
事実「何をしでかすか分からないから」と思うからこその支持率なんです。
Posted at 2018/05/22 20:46:12 | |
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2018年05月12日
アメリカが北鮮に拘留されていた三名を取り戻し彼らは無事帰国しました。
ひるがえって我が国は、と見れば拉致被害者に何ら有効な手も打てないままひたすらアメリカ頼み。
のみならず直接脅威となる北鮮のミサイル配備に対してもやはりアメリカ頼み。
さらに言えば多くの国民が「尖閣で有事が起これば必ずアメリカが駆けつけてくれる」と信じている。
シナやロシアのような国が多くのミサイルを我が国に向けていることはすっかり忘れている。
これだって「アメリカが報復してくれる」から我が国は安全だと信じ切って。
そして日本各地にはアメリカ軍が駐留していて一種の治外法権状態。
こんな情けない現状を見るとやはりポツダム宣言受諾・降伏というのは「正しかった」のか?と思ってしまいます。
昭和天皇の御聖断があり枯渇しつつあった国力という状況があったとしても。
その結果が2週間ででっち上げられた「平和憲法」の強制であり「戦前真っ暗史観」による国民の洗脳。
「仮に民族が絶滅しても、国体護持に殉じた精神は世界史の頁を飾るであろう。日本国家の特質たる国体を失い、奴隷として残存することは民族として忍びないことだ」
これは終戦時にクーデターを企てた軍人の回想ですが全くの戯れ言だと言い切れるかどうか。
Posted at 2018/05/12 22:03:16 | |
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2018年05月08日
沢村慎太朗氏のメールマガジンの愛読者なのですが先日このような記事を読みました。
戦後の模倣一本槍から1980年代にようやく国産メーカーは欧州車のシッポを捕まえかけた。
それが湯水のように開発費があった―GTRやセルシオが出揃った―時代だった。
でも画一的学校教育で育った秀才たちがいくら残業を重ねてもそれ以上の新しいものは出なかった。
そこにリーマンショックがやって来て「まあこんな程度で」「開発コストがもったいない」「どうせ国内マーケットなんて」というのが今現在。
高価格車であるレクサスだって「安普請の」BMW・Audiの「後追い」でしかなく、少なくとも自動車の未来に結びつく独創的な技術はない。
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何だか絶望的な感じしかしないのですが事実はその通りじゃないかと。
シナや韓国の自動車産業を指して「パクリ」だと言い嗤うのは簡単ですが翻って我が国の自動車を見てみるとどうなのか?
大量に作って安く売ること以外に何か技術的アドバンスがあるのだろうか?
その意味で自分としてはHondaのエンジン技術―特に高回転高出力エンジン―に夢を見ていたしSubaruの水平対向エンジン+フルタイム四輪駆動に個性を感じた訳なんですが。
Hondaはとっくにその路線を捨て去りSubaruだっていつまでその看板を売りに出来るかは不透明。
そして日本を襲う少子高齢化と来ると...
未来は暗いのかも知れません。
Posted at 2018/05/08 19:57:43 | |
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