2019年08月29日
朝日毎日などマスコミの一部は日韓の関係がこじれてからずっと「相手のことも考えろ」だの「安倍内閣は態度を改めよ」とかの言説を垂れ流してきました。
それが世論調査の結果がかの国に厳しいと知ると今度は「どっちもどっち」論に切り替えている模様。
あの国が「徴用工」問題でor「慰安婦」問題で国際法に沿った対応を見せていないのにどうして「着地点」があると言うのでしょう。
日本がまだ金融制裁に踏み切らないことを感謝すべきなのに。
今回の一連の状況はすべてムン政権の異常な対日姿勢が生み出したものなのにそこはきれいにスルー。
でもあの国の異様なことが日本人にも分かったというのは良いこと。
政府発表は平気で都合の良いようにねじ曲げる。(「アメリカは理解した」→「それはウソだ」「ホワイトリストからの除外について抗議した→「そんな話は出ていない」)
痛いところを突かれると逆ギレor論点ずらし。
出来もしないこと――国産化or南北統一で日本に追いつく――を平然と言う。
関係のない多国間協議の場にしゃしゃり出てきて大声で日本を非難する。
最近はついにアメリカにまで逆ギレして「竹島のことは言うな」「失望したと言うな」。
それで北鮮から褒められると思いきや「犬」とかなんとか罵られる始末。
まさに四面楚歌で自殺コースまっしぐらと言うしかない。
Posted at 2019/08/29 16:15:34 | |
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2019年08月25日
昨日また以前勤めていた高校のクラス同窓会に招待してもらいました。
帰りが遅くなりそうだったので堺駅前駐車場に車を置いて空港線で岸和田まで行き駅前商店街のお店。
出席は20人ほどでしたが最近の女性は50歳といっても若いですねえ。昔は50といえば立派な?お婆さんだったのに。
考えてみれば彼らが高校一年生の時自分もまだ20代後半だったんですね。
彼らは覚えてましたよ。「先生はCR-Xに乗ってましたね」「今でもあの系の車ですか?」
そして彼らのお子さんが二十歳前後だと聞いて隔世の感。
最初の学校にはヤンチャもいて――授業中シンナーを吸引するとか――しんどかったこともあって最初彼らを見たときには「世の中にはこんなまともな学生もおったんや」と感動した?覚えがあります。
そしてやはり立派な社会人となっているのを見てとても嬉しかったというのが正直な感想です。
Posted at 2019/08/25 15:47:30 | |
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2019年08月19日
香港ではデモが盛り上がってますね。早速支那政府は軍隊だの武装警察だのを近くに集めて威嚇してますが。
そりゃ天安門で自国民を踏み潰す、チベットやウイグルでは民族浄化をする。そんな政府とは関わりを持ちたくないのは当然でしょう。
そのデモを見ていて市民が掲げているプラカードはそれぞれ人によって違う。つまり本当に自分で作ったもの。
でも朝鮮半島で行われている「反日デモ」の方は不気味なほど一斉に同じプラカード。
横断幕にしてもあんな立派なものを「一市民」が金をかけて作成するのは不自然。
つまり誰かが裏で糸を引いているのがバレバレなんですねえ。まあそれに乗ってしまう国民の程度もお粗末ですけど。
あの国の中枢はかなりの程度まで北鮮の工作に汚染されているんでしょうからそっちを疑ってしまいます。
それで口にすることは常に同じ。「もっと謝れ」「もっと金寄こせ」なんだからタチが悪い。
Posted at 2019/08/19 19:48:43 | |
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2019年08月18日
デジタル大辞泉によると「あおる」=「前を走る車の後ろにぴったり付いて走る」の意味しかなく「前に割り込んで走行を妨害する」とか「幅寄せして威嚇する」とかの意味はないようです。
これはroad rage=「運転手が自動車の運転中に割り込みや追い越しなどに腹を立てて、過激な報復行動を取ること」の方が正確でしょう。
それはさておき日本の報道で欠けているのは「どうしてある車はroad rageの対象となりある車はそうならないか」ということ。
そりゃ追い越し車線を漫然と走っていたら後ろからかっ飛んできた車から見ると「邪魔!」となる。
そこで切れて「あおる」人とそうでない人がいるのは当然なんですが...
問題は「どうしてその状況になるまでボンヤリ何もしなかったか?」ということ。
ドライバーが常に――特に高速では――後ろの状況を見ていることはイロハのイなはず。
白黒の車が追尾してくるかも知れず妙な車線変更で追いかけてくる覆面対策上も。
それなら後ろから(時には急激な車線変更をしつつ)急接近してくる車を見たら急いで左によってやり過ごすのが賢明かつ普通の行動では?
何もroad rageに及ぶ人間を擁護するのではありません。
ただそれすら出来ない人が「あおられた!」と動画をアップして騒いだりマスコミが取り上げて大げさに非難してみせるのはちょっと違うのでは?と感じる次第。
Posted at 2019/08/18 11:13:27 | |
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2019年08月15日
ポツダム宣言を受諾するに当たり「果たして国体は護持されるのか」ということが最大の問題点となりました。
今の日本を見ると果たして国体は護持されたのか?と疑問に思うことが多々あります。
この日になると「戦争は二度とやってはいけない」という声――そして8月6日の「原水爆廃絶を」も基本は同じ――が充満するようですが...
それは結局「暴支膺懲」「鬼畜米英」というスローガンを叫んで見通しもなく長期戦にズルズルと入っていったことと同じような気がします。
共通するのは「それではどうすれば良いのか」という具体策なしにただお題目を唱えてその場限りの作戦が続いた。
日華事変は上海で止まれず南京まで攻め込みそれでも支那は屈しなかった。
大東亜戦争でもトラックを確保するためラバウルまで進出し、それを守るためガダルカナルまで出て行って結局補給が続かず泥沼。
他にもレイテ決戦だと言いつつ護衛なしで多数の船団を送りその多くがバーシー海峡の藻屑と消えました。
具体策なしにその場限りの作戦を繰り返しそれで統帥部が良しとしたのは我が国マスコミが何の見通しもなく策もなく「反戦」「核廃絶」と書き散らすだけで偉そうに紙面を埋めるのと同じです。
Posted at 2019/08/15 11:27:03 | |
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