
気づけば3月ももう後半。それはまああまり関係ないのですが。(←ないのかよ
先週末のこと、翌週から、またガソリンの値上がり情報が伝わってきました。今回はかなり大きく、7円/㍑も上がるとか。ならば、今のうちに走ってしまえ。(←言い訳
しかも天気が良さそうだったので、これは当然お出かけせずにおれません。
と言うことで、今回は東の方へ走ることにしました。
先月、東の端っこまで走ったので、違う方向へとも思ったものの、リベンジしたい場所がありまして。
昨年の夏に、釧路へ炭鉱展示館を訪ねたのですが、あいにく休館日だったので、今回リベンジを考えました。もう少し暖かくなるのを待ち、オートバイでのツーリングを兼ねてとも一瞬思いましたが、オートバイだと、あっちへふらふら、こっちへふらふらと、走ることが主体になって、まともに目的地に着かないことが高確率で予想されるので、資料館を目指すなら今時期クルマでの訪問のほうが確実と、再訪することにしたのです。
そんなわけで、エスクをお供に引っ張り出し、東へ向かいます。晴天で、気温も春らしく高めなのも幸い。
この日はちょうど無風とあって、十勝川温泉では、観光用熱気球の係留飛行も行われています。
写真はちょうど降りてきたところなので、高度が低いですが、実際にはかなり高度を上げていました。着陸したので写っていませんが、もう一機飛んでおり、遠方の日高山脈は少し霞んではいるものの、十勝平野を見渡せるので、良い飛行日和だったことでしょう。
さて、釧路に行く前に、実はもう一か所寄りたい場所がありました。
これも昨年夏の帰りに、白糠の資料館を訪ねたところ、西庶路にも炭鉱資料館があると聞いたのですが、この時は釧路の帰りで、西庶路は既に通過していたため寄らなかったのです。
なのでここもリベンジすべく、あらかじめ休館日ではないことを確認して向かいます。
しかし白糠に入ったとたん、あんなに晴れ渡っていたのに、急に霧に覆われてきました。白糠とか釧路あるあるですが。
ここは西庶路のコミュニティセンターと体育館を兼ねた施設ですが、国道から奥まった住宅街にあるので、地元の方以外は、あまり訪れる人も少なさそう。
入場は無料ですが、入口で受付をする必要があります。資料館を見たいと告げると、管理人の親切なおじいさんが2階に案内してくれ、明かりも点けてくれました。
昨年の、白糠の職員さんの話では、この資料館は炭鉱に特化しているので、資料は少ししかない、と聞いていたのですが、入ってみるとどうしてなかなかの充実ぶり。訪れた時は、老人会らしきカラオケ大会が開かれていて、響き渡る演歌をBGMに見学します。(笑
それにしても炭鉱は釧路が有名ですが、白糠町でもこんな盛んに採掘されていたとは。さすがかつての最重要エネルギー源。
広く海側に面した地域だけに入植しやすかったらしく、江戸時代から既に役人が配置されていたようですが、なんと北海道の炭鉱発祥の地は、白糠だそう。
資料を見ると、海底を掘り進んだ釧路と違い、一般的な炭鉱同様、内陸の山を掘っていたのがわかります。一か所の埋蔵量が多かったわけではなかったらしく、あちこち近隣の山で採掘が行われ、昭和の採掘終盤時代にはかなり山奥の、隣の本別町との境付近まで採掘されていたのは、驚きでした。
これらの炭鉱は、いずれも昭和40年代半ばに閉山していますが、資料館に展示されているのは、かつて実際の炭鉱で使用された機具等で、大きな博物館ではあまり見たことのない、貴重な資料が何気にあったりするのが、地方の資料館の面白いところ。
いかにも炭鉱の装備を象徴する、坑内を照らすカーバイドランプ。これは携行用の小型タイプのもので、広く流通していただけに、現在でもアンティーク扱いでオクなどでも出ており、愛用しているキャンパーもいるとか。
しかしこんな大型のものは、19世紀が舞台の小説や映画には出てきますが、実物にはなかなかお目にかかれません。
余談ですが、カーバイドランプはその照度の高さと使用時間が長いことから、高照度のディスチャージランプが普及する昭和後期まで、コンサート会場の照明や、LEDが普及するまではイカ釣り漁の集魚灯などで、意外と近年まで使用されていたようです。
ガスマスクや風速計などは、材質こそ違え、基本原理は現在のものと変わらないですね。
現在のキャンプ用ヘッドライトの元祖。バッテリーは展示してありませんでしたが、充電式ではなく、おそらく乾電池でしょう。
ヘルメットは金属製。生々しい凹みと、マジックで書かれた「庶路」の文字で迫力が伝わります。
クルマネタ的に、おおっ、と思った資料がこれ。
他にも昭和30年代のトラックで、鉱石や資材を積み出している写真はありましたが、中でもこれは昭和12年と説明にあるので、トヨタが最初に量産化した自動車「トヨタGA型トラック」ではないでしょうか。
GA型トラックは、前年の昭和11年から量産化されており、同年にトヨタ自動車が、販売網を整備して全国展開をはじめたそうなので、戦前の写真がそれほど一般的ではなかった時代に、GA型トラックが北海道まで販売されていた記録としても、貴重なものと思います。自動車そのものが珍しかった当時、納車記念に撮ったものかもしれません。
なかなかに貴重な資料を見られて、これは幸先がいい。資料館を出て、そのまま国道に戻っても良かったのですが、炭鉱跡はもうないにせよ、市街地のすぐ裏手にある山を眺めに北側へ向かいました。
ちなみにそのまま進むと、道東道の庶路インターがありますが、地図を確認する限りでは、この道はどこかへ通じているわけではなく、上庶路の山中、庶路ダムの先で途絶えており、国道からも10㎞以上も遠いので、ここを利用するクルマは多くないというか、ほとんど見たことがありません。なんのために造られたのか謎なインターです。ひょっとすると、事故や災害などで通行止めになった際の、エスケープルートの役割かも。
しかし、途中から東へ向かうと、山を大きく迂回して釧路市の手前に繋がっている道があると確認できたので、進んでみます。
除雪されてなくて、冬期通行止めかもと思いつつも行ってみると、ちゃんと通じていました。
そして高台に上がると、意外なほど開けた牧草地帯で、雌阿寒岳も見えるではありませんか。
こんないい景色だとは驚きで、こういう出会いがあるので、脇道探索はやめられないのです。
ちょっと残念だったのは、霧がまだ上がりきっておらず、遠景が少し霞んでいたこと。晴れ渡っていれば、もっときれいだったことでしょう。時期を変えて再訪するのもいいかも知れません。
看板には道立広域公園予定地入口とあり、調べると、これまで釧路地区には広域公園がなかったため、今後大規模な公園が建設される計画らしい。
さらに進むと、山中に赤い巨大な建造物が建っています。この特徴的な構造は、釧路空港の進入灯橋梁ではないですか。橋梁の高さは、ビルの14階にも相当するそうで、位置的に、この道路は空港のすぐ脇に隣接していたようです。
山を降りても、そのまま国道に戻らず、せっかくなので少し内陸に並走する工業団地内の町道を走ってみると、ふだんと見える景色が違い、さまざまな工場が林立していることがわかったので、これも面白い。
こうしてみると白糠町は、失礼ながら国道沿いにあまりにぎわいがないのですが、炭鉱閉山後、工場誘致で栄えてきたことがうかがわれます。
町道の終わりで釧路市に入り、さらに釧路駅方向へ進むのでした。
つづく