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かわねこのブログ一覧

2024年05月18日 イイね!

連休は馬鹿走り -1-

連休は馬鹿走り -1- 幕営会が終わっても、かわねこの旅は終わりません。せっかくの連休なので帰投せずに、そのままあてのない旅に出ることにしたのです。

 もっとも、連休前半がドタバタしすぎて、本当に何も考える余裕がなかったので、文字通りまったくのノープラン。
 ちなみに昨年も幕営会以外の記憶がないなあ、と思ったら、あ~るくんの配備直後だったので、まっすぐ帰投して、ひたすらバラしと、かわねこ仕様化を進めていたからなのでした。(笑

 そして一昨年は、オホーツク海側へ抜けてから、海沿いを南下していました。海沿いは昨年夏にもぐるっと回ったので、漠然と今回は内陸部を走ろうと思っていたのです。
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 そんなわけで、さらに遠くへと、まずは北上。幌加内を抜け、朱鞠内湖へ寄ることにしました。
 ここへ来るのは、本当に何年ぶりでしょう。もう記憶にないくらい昔です。(笑
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 その広大さと自然環境から、自然湖のように見えますが、実はこの下流に「雨竜第一ダム」がある人造湖です。現在でも湛水面積としては日本一を誇りますが、竣工が昭和18年なので、実に81年前。自然湖のような風景になるわけです。
 道内の釣人のメッカでもあり、ここから見えるだけでも、釣人が点在しているのが確認できるほどの人気スポット。
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 ついでに北にある「雨竜第二ダム」と、それによる宇津内湖も見ようかと思ったら、残念ながら通行止めでした。
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 朱鞠内湖にもキャンプ場はあるのですが、食料などを何も買っていなかったこともあり、買い出しをするため美深町に向かい、道の駅の隣りにある「びふか温泉」へ行きます。
 町営なので、500円とリーズナブルなお値段。今回は焚き火を満喫したぶん、エスクの車内が薪臭くなるほど、燻されてしまっていたので。(笑

 温泉の横はキャンプ場なので、ここへ泊まっても良かったのですが、人気なだけに、思ったより場内が賑わっており、8割方サイトが埋まっていた印象だったので、もう一か所目をつけていた場所へ行ってみます。
 美深からもう少し北上すること約25㎞。音威子府町の「リバーサイドキャンプ場」です。ここは行ったことがなかったのがいちばんの理由ですが、シャレた名前だけど、オートキャンプ場と謳っていないぶん、昔ながらの簡素なサイトではないかと読んだのです。
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 で、行ってみると、ここ、天塩川温泉のすぐ裏なのですね。これならこっちで温泉に入っても良かった、と思ってももう遅い。(笑
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 しかし、肝心のサイトは、空いているどころか人っ子ひとりいません。
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 これは…と、トイレを確認すると、やっぱり。まだサイト開場前でした。
 予想通り、場内はシンプルなつくりで、予約はおろか受付不要の無料キャンプ場なだけに、おそらくは7~8月しか開いていないのでしょう。自治体管理のキャンプ場だと、最近のようなキャンプブーム以前は、夏前に開けたところでよほどのもの好きしか来ないので、夏しか開いていないのも珍しくはありません。
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 まあ別に車中泊でも良かったので、ここでそのまま寝ても良かったのですが、トイレが温泉にしかないため、夜は閉館してしまうのと、人の気配がないながらも横の建物前にクルマが停まっており、なにか言われても嫌だなというかんじだったこと、なによりかなりの強風が吹き荒れており、コンロを出しても使えそうにないので、やむなく移動。
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 さらに北上すると、駐車帯があったので、そこにエスクを停めました。
 道沿いでお世辞にもロケーションの良い場所とは言えませんが、実のところ温泉に入って以降、疲れたのか、かなりの眠気におそわれていたのです。
 駐車帯ゆえに、コンロを出してお湯を沸かしたりするのもはばかられ、それ以前にここでもかなりの強風だったので、火器は使えません。食材は買い入れてあるので、適当に食べるつもりでしたが、その前にクルマを停めた直後から意識が飛びそうになるので、まずはちょっと仮眠でもするか、と、シュラフにもぐり込んだのが18時過ぎ。

 …どれくらい時間が経ったのか、肩の辺りが寒くて目が覚めました。途中、駐車帯に出入りするクルマの音や人の話し声はなんとなく聴こえていたのですが、思ったより爆睡していたようです。

 1~2時間くらい寝たのかな、と、時計を見ると、なんと深夜0時を回っています。しかもまだ頭がぼーっとしており、朝からの爆食が効いていたのか、お腹も空いていないので、毛布とカイロを引っ張り出して、再度寝ることにしました。

 こんな早くに寝たら、夜中に目が覚めるのでは、と、思いつつ寝たのですが、明るさに気づくと明け方5時過ぎ。しかも、なおも目が覚めず、これもしかして、風邪が悪化して、体調がやばいのではなかろうかと、ちょっと頭の片隅で思いつつ、こうなったら寝られるだけ寝たほうがいいなと二度寝して、目が覚めたのは7時半でした。

 起きてみると、別に身体に痛いところやだるさ、片頭痛などもまったくなかったので、単に眠かっただけらしい。おかしいなあ。キャンプ場でもあれだけ爆睡したのに。昨夜もカイロを3つ入れて寝たら、夜中に少し暑かった記憶もあるくらいなので、暖かさもあって爆睡したっぽい。どうも前日の幕営会ではしゃぎすぎただけのようです。(笑

 いまだお腹も空いた感じがあまりしないので、菓子パンとヨーグルトで軽く朝食。ただひとつ残念だったのは、前日夕食用に買い出したちいさめの弁当を、クーラーボックスに入れ忘れて寝てしまったこと。買った時はすぐ食べるつもりだったので、見切り品だったこともあり、消費期限を9時間ほど過ぎています。
 これが基地でなら、少し口にしてみて違和感がなければ食べてしまいますが、この遠方で下手にお腹を壊すと帰投できなくなるので、泣く泣く諦めました。
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 そしてエスクの方も燃料残量が心もとなくなっています。これまでだと、十勝で満タンにしてから出発するので、余裕で稚内まで行けるのですが、今回はどうせ途中で給油するからと、少し減ったまま出発したのです。
 調べると、幌延にセルフスタンドがあることがわかったので、向かうことにしました。いよいよとなれば別ですが、基本的にはセルフで給油したい方なので。

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Posted at 2024/05/18 21:18:14 | コメント(0) | トラックバック(0) | ESCUDO | クルマ
2024年05月16日 イイね!

春の幕営シーズン到来

春の幕営シーズン到来 連休前半は、ひたすらにガレージ整理とクルマの整備に明け暮れていたのですが、それもこれも、後半の日程をのんびり過ごすため。

 しかし、この時期特有の日中と日暮れ時の気温差にやられて、体調を崩してしまいました。
 幸い熱はないので、ただの風邪のもよう。少し大人しめにして回復を図ったので、出発までに小康状態までなりましたが、そのため前夜までなにも準備しておらず、ドタバタと積み込みをするハメになったのでした。
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 5月3日当日は、空も晴れ渡り、気分良く出発。いつもの牧場でオヤツを仕入れて、北上します。
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 糠平を抜けた先、幌加除雪センターで、トイレ休憩を兼ね、夏タイヤに換えた折なので、ホイールナットの増し締めをします。
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 しかしこのあたりから、空はどんにょりし始め、ついにはぽつりぽつりと、落ちてくるものが。
 北の空は明るめなので、通り雨なんだろうなと思いつつも、一ケタ台まで下がった気温に、これがオートバイだったら停まってカッパを着るか、そのままやり過ごすか、悩ましいところでしょう。で、停まるのがめんどうで走り続け、いいかげん濡れたあたりで諦めてカッパを着ると、雨が上がるところまでセットです。(笑
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 そして大雪ダムのあたりでは、雨どころか、霙になってしまいました。今季の温かな気温では、さすがに白いモノは降るまいと思っていたので、けっこうビックリですが。
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 とは言え、上川まで降りると、幸いなことに霙もあがりました。
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 今宵はいつもの飽食野営になるのが必至なので、お昼はあまりガッチリ食べるつもりはなく、セイコーマートのミニパスタで昼食。このサイズ感が良いのです。
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 思ったより交通の流れも良いので、比布までは高規格道路にも乗らず、幹線国道をひたすらのんびり走って、それでも時間が余りそうだったので、比布からは北部を大回りする農道を走ったのですが、どうもこれ、予期せず最短ルートを走ったようで、ホームには14時半に到着してしまいました。
 当然いちばん乗りだったので、ギア類を降ろしていると、意外にもみんなすぐに集合となりました。

 ただ、この日は風が強めで、テントを張るのも難しいほど。しかし夕方には止む予報だったので、まずはテーブルと椅子を出し、さっそくオヤツタイムとなるのでした。
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 予報通り日が傾き始めた頃には風も収まったので、さっそく展張を開始。
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 しっかり薪も積んできたので、焚き火もスタート。これですこれ。
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 夕食はこれまたいつものジンギスカン。食べるものも、話す内容もいつもおなじようなコトやってますが、これが楽しいのだから仕方ありません。
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 今回、デザートに牧場のロールケーキを調達してきました。これ、3月にプリンとパウンドケーキを買いに行った際「ロールケーキは要予約」との案内を見て、ずっと気になっていたのです。今回あらかじめ予約を入れて仕入れてきましたが、このロールケーキ、実に絶品でした。切るのが難しいほどふわふわで、生地と生クリームの味わいが深いのにくどくなく、これは作り置きできないのも納得です。
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 風が止むと星もきらめき始め、夜が更けるとぐっと冷え込みますが、焚き火の暖かさが心地よく、日付が変わる頃まで楽しんだのでした。

 翌朝、テントの中が明るく、暑いので目が覚めたのですが、時計を見るとまだ5時台。寒いと思って全閉していたベンチレーターを開けるだけにとどまらず、入口もメッシュにしてちょうど良いくらい。シュラフの上に毛布をかけ、カイロを4つほど放り込んでいたのですが、これならカイロは1~2個でも良かったかも。
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 そんなこんなで当然二度寝に入り、起きたのは8時半。テント内の明るさと暑さから、てっきり日が差しているのだろうと思っていたら、意外や曇で風も冷たい。
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 なので、朝から焚き火第二弾。
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 今回の朝食メニューは、れいぽんさん謹製のカレーライス。カレーももちろんですが、炭火で焼いたソーセージに、サラダまで付く豪華版。
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 意地汚くおかわりまでして、さらにデザートもいただいたので、すっかりお腹いっぱいになってしまいました。いつもながら、本当にごちそうさまです。

 昼前ころになるとぽつぽつと、3組ほどの、おそらくはデイキャンプのグループが見えましたが、それまで貸し切り状態でした。ほんと、どんだけ穴場なんだここ。
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 でも今年も、桜に間に合ったのは良かったなあ。
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 そんなこんなで、今回の幕営会も無事楽しく終了したのでした。






Posted at 2024/05/16 22:02:33 | コメント(1) | トラックバック(0) | ESCUDO | クルマ
2024年04月30日 イイね!

迷宮の如き

迷宮の如き 2月に取り付けた、エスクのオーディオ、DEH-P01。豊かな表現力で非常に気に入っていますが、ちょっと気になっていることもありました。
 それはオーディオ本体ではなく、不要になったアダプター類の撤去と、あまりにもごちゃごちゃしすぎているハーネス類の整理です。
 実はどうも定位が微妙にズレている感じがしていて、調整しても合わせ切れないのです。しかし、ソースがCDだと大丈夫、とか、ファイルの関係なのかiPodのデータでも竹内まりやはOKだけど、南佳孝だと少しズレている、みたいな感じで、なにが原因なのか今ひとつ掴みきれないでいました。

 最初は、どうも右スピーカーの出力がわずかに弱いのでは、と、ドア内張りを外してスピーカーを点検もしてみました。
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 数年前にもバラしてみたところ、端子が緑青を吹いていて磨き直したことがあったので、それかと思っていたのですが、ちゃんと導通グリスもわずかに残っています。
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 ついでなので、バッフルのビスを増し締めし、端子に導通グリスを塗布して組み直しました。ということで、スピーカーはシロ。

 どちらにせよ、アダプター撤去に際して見直すつもりだったので、意を決して全バラしました。
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 ハーネス類は、リレー付きのバッ直線に、アンプの電源/信号線、サブウーファ線と、オーディオ系統だけでも多いのに、それにDefiの追加メーター配線と、Pivotのスロコン配線も加わっているので、もう何が何やら。迂闊に触ると、奥から魔物か何かが出てきそうです。(笑

 というわけで、魔物退治ならぬハーネス整理を開始。
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 まずは不要になった、iPodとUSBのアダプターふたつを撤去します。以前使っていたDEH-P910は、USB系の直付けができなかったので、アダプターを並列で接続していました。アダプター本体は小さいので、助手席足元にベルクロテープで設置していましたが、もう不要なので配線ごと撤去。

 HU取付の際には、絡んでいたハーネスを少しほぐした程度だったので、今回は徹底的にハーネスを分離し、どれがなんのハーネスなのか、マステでタグを付けていきます。追加メーター系統、オーディオ系統と分け、追加メーターのハーネスは、詰めるのが困難なのでそのままにしましたが、オーディオのハーネスは、これまで繋げ直すのが面倒で、長いまま押し込んでいたものを、可能なものはばっさりカットして、端子を付け替えることにしました。

 前回見た時は、バッ直系のハーネスがかなりごちゃごちゃしている印象でしたが、調べてみるとアダプター2台の電源を取っていたのがその要因だったので、それを外すとかなりスッキリし、長さもそう余っている印象ではなかったので、これはそのまま。
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 アンプからの電源ハーネスは、とぐろを巻いていたので長さを合わせて、不要部分をカットしました。さらに大きかったのは、サブウーファの配線で、もともとトランクルームなどにも付られる前提でかなり長めの配線でした。これまではリセールを考えて、ではもちろんなく、単に加工が面倒だったので配線をカットしないままでいましたが、アンプにせよサブウーファにせよ、エスクが稼働している限り、外すことはないので、潔くカット。
 最後にUSBケーブルも、これまではアダプターから来ていたので、助手席側から走っていたのを、HUからに取り回しを変えてまとめました。
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 外したハーネス類はこんなにありました。けっこうなダイエットかと。(笑

 それでもバッ直線やアンプのRCAケーブルなどで、まだ配線はゴチャ付いている印象ですが、以前よりはだいぶマシです。

 そして。

 バッテリーを繋ぎ、HUに電源を入れてみると。………あれ?音が出ない!一瞬ぞわっとしましたが、全く音が出ないのは、出力線の大元が繋がっていないはず、と調べると、HUのコネクターが外れているだけでした。これ、思ったよりしっかり押し込まないとロックしない構造だったようです。

 これで無事音も出、セッティングのために大音量で鳴らすので、ふだんなら郊外の人気のないところへ行って合わせ、走りながら少し様子を見るのですが、この日は1日じゅう大風で、文字通りごうごうと吹き荒れていました。まだ夕方だし、この風の音なら、少しくらい音を出しても近所迷惑になるまい、と、基地敷地でセッティングしてみます。

 いや驚きました。
 音響設定そのものは、バッテリーを外してもHU本体に保存されているので、ちょっとタイムアライメントを調整しただけで、これまでは前述のように、定位を合わせ切れていない印象だったのが、こんどはバッチリ定位が合い、本当に目の前で演奏されているかのようです。
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 しかも、CDであろうが、USBメモリであろうが、どのソースでも、さらにiPodにはテスト用に様々なジャンルや歌手のファイルを入れましたが、どの曲でもそれは変わらず、気のせいかこれまでより表現力すら全体的に上がった感じです。

 そうかこれが、DEH-P01の本当の実力だったのだな、と、感心することしきりで、半日以上の時間と労力をかけたかいはありました。

 おそらくは、車両側のハーネス類も、端子が緩んでいたものがあったので、カシメ直して接点グリスを塗布したのですが、それが効いているのではと。かわねこ、オーディオの専門家ではないので、まったくの推測ですが。

 これでもともと楽しみだった、連休後半のドライブが、さらに楽しみになりました。なんとかこの中3日の仕事を乗り切れそうです。(笑




Posted at 2024/04/30 21:31:35 | コメント(1) | トラックバック(0) | ESCUDO | クルマ
2024年03月28日 イイね!

週末はリベンジドライブ -釧路編-

週末はリベンジドライブ -釧路編- 白糠を出た辺りで昼を過ぎ、お腹も空いてきました。
 釧路市内に入ったので、前回も行った竹老園も考えたのですが、昼を回ったこの時間だとかなり混んでいることが予想されるので、展示館を目指しつつどこかで適当にと思っていたら、道路脇に蕎麦屋さんを見つけました。

 昼時とあって、駐車場は満杯かと思ったら、ちょうど空いていたので、エスクを滑り込ませます。
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 しかし店内に入ると、入り口付近のウエイティング席はぎっしり埋まっていて、かなりの混みよう。これにはびびりましたが、意外にも、5~10分程度で案内できると言われたので、呼び出しベルを渡されてクルマで待つこと5分ほどで、入店。

 休日なので、ちょっと豪勢に天ぷらそばでも、と思っていたのですが、前日脂っこい夕食だったためか、若干胃もたれ気味。なので、かしわそばをオーダー。
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 これが、出汁がよく効いていてなかなかに美味でした。ちなみに、以前竹老園で「かしわ抜き」という、かしわそばから蕎麦を抜いたスープが美味しかったのですが、この店にもあったことから、あれは竹老園だけではなく、釧路の蕎麦屋の文化なのだと気づきました。
 もりやざるなど、冷たい蕎麦と組み合わせるのがおすすめだそうで、実際向かい席の常連さんは「ざると抜きね」と、粋なオーダーをしていたり。こんどはこんなオーダーをしてみたい。(笑

 さて、お腹も落ち着いたので、いよいよ本命の展示館へ向かいます。
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 さっそく入館、と入口に行くと、張り紙がしてあり、館内が無人のため体育館で受付してほしいとのこと。実は反対側に体育館があり、そこで受付をするのです。入館料は300円。受付のおねいさんに「展示館の鍵は開いていますので、ご自由に見学してください」と言われました。えらいフリーダムな資料館だ。(笑
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 ここは炭鉱を運営していた、旧太平洋炭礦が設立したもの。体育館も炭鉱の福利厚生で建てられたようで、その昔は市内に遊園地まであったとか。
 体育館は、この時なにか大会でも開かれていたらしく、子どもと保護者でかなり賑わっていたのですが、入口に、今月末で閉館する旨の張り紙があって、ちょっと驚きました。見渡すと、確かにかなり古い建物のようです。
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 展示館へ行ってみると、入口には、国内最大級の石炭の塊が鎮座していて圧倒されます。6tもあるそうですが、どうやって地上まで持ってきたのだろう、これ。
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 入館してすぐ左手には、受付がそのまま残っていました。おそらくは、元炭鉱従事者の受け皿でもあったのだと思われますが、高齢化などで難しくなったのかもしれません。
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 展示スペースは意外とそう広くはなく、中央に機具類が展示されていますが、数はさほど多くありません。ほかは模型が主な展示なのがちょっと残念。
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 もっとも、この炭鉱全体を表した模型は、規模といい、出来栄えといい、かなりのものです。
 これを見ると、海底を水平方向に掘り進める、トンネル工事のような独特の工法がわかります。
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 石炭を掘り出す様子の模型。ボタンを押すと、実際に動く、凝ったもの。
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 変わったところでは、通信に使われていた、光ファイバーケーブルの展示がありました。昭和50年代に、光通信がもう実用化していたのかと、ちょっと驚き。採炭が最先端の技術で行われていたことの証です。

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 展示品数があまりないので、意外とあっさりしているな、とちょっと物足りなく思ったその時、下へ降りる階段があることに気づきました。
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 あ、まだ展示室があるのかと降りてみると、いきなり坑道用の軌道車とトロッコが目に入ります。
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ふと横へ目を向けると、坑道内で使われていた、コンベアの実物も置いてありました。半地下室に坑道を模した展示がされていたのです。これはすごい。
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 圧巻はこれ。水平方向に掘り進める独特の工法のため、天盤を支えて崩落を防ぐ巨大なジャッキの実物。油圧シリンダーのゴツさが、マニア的にはたまりません。(笑
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 奥には主力だった、コンテニアスマイナーという、自走式の掘削機が展示されています。全体のヤレっぷりと、タイヤの摩耗ぶりが、過酷な作業をうかがわせます。
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 この掘削機はアメリカ製で、その他にも設備がドイツ製だったりと、この時代は技術的にと言うより、国産化しても採算が合わなかったのでしょう。大規模鉱山技術が進んでいる、欧米から輸入するほうが割安だったとみえますが、それでも相当に高額だったことは、想像に難くありません。
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 かわねこは、炭鉱について語れるほどの知識は持ち合わせていませんが、それにしても、採炭事業というものは、明治の開鉱以来、巨額の費用と最先端技術による大規模な工事、夥しい数の人員投入をしながらも、そのほとんどが昭和40年代半ばまでの、70年ほどで役割を終えたことになるので、エネルギー事業の見通しとは難しいものだなと感じます。

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 帰りに気づいたのは配電盤があったことから、係員がいた時代は、どうやらドラムカッターを、実際に動かす展示がされていたらしいこと。
 手紙なども飾られていたので、釧路市内の小学校が伝統的に課外授業で来て、歴史が伝え続けられているようです。

 展示館を出て当初の予定では、ここからさらに東進することも考えていましたが、資料館をゆっくり見ていたので、すでに午後2時。できれば日が落ちる前に帰投したいので、帰路へつくことにしました。

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 とは言え、まっすぐ帰るのもなんなので、ちょっと遠回りをして、白糠から北に本別へ抜ける国道392号線を走ります。昨今、道東道ができて以来、あまり通ることがなくなったので、ひさびさに走ってみました。

 その途上の茶路や北進などの地域も、かつては石炭輸送を目的に鉄路が開通したものの、直後に炭鉱閉山による不採算のため、わずか20年弱で廃止されたとか。
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 その遺構がところどころに残っており、以前は国道を跨いで上空に鉄橋が通っていたはずですが、老朽化による崩落を防ぐためでしょう。いつの間にか撤去されていました。

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 てなことで、少し日が長くなったとは言え、なんだかんだと遊んでいたら、もう日暮れどき。
 海沿いを走ったので塩落としの洗車をして、帰投した頃には暗くなり始めていましたが、見たかった資料が見られたので、満足な休日だったのです。
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おわり


Posted at 2024/03/28 22:02:15 | コメント(2) | トラックバック(0) | ESCUDO | クルマ
2024年03月27日 イイね!

週末はリベンジドライブ -白糠編-

週末はリベンジドライブ -白糠編- 気づけば3月ももう後半。それはまああまり関係ないのですが。(←ないのかよ
 先週末のこと、翌週から、またガソリンの値上がり情報が伝わってきました。今回はかなり大きく、7円/㍑も上がるとか。ならば、今のうちに走ってしまえ。(←言い訳
 しかも天気が良さそうだったので、これは当然お出かけせずにおれません。

 と言うことで、今回は東の方へ走ることにしました。
 先月、東の端っこまで走ったので、違う方向へとも思ったものの、リベンジしたい場所がありまして。

 昨年の夏に、釧路へ炭鉱展示館を訪ねたのですが、あいにく休館日だったので、今回リベンジを考えました。もう少し暖かくなるのを待ち、オートバイでのツーリングを兼ねてとも一瞬思いましたが、オートバイだと、あっちへふらふら、こっちへふらふらと、走ることが主体になって、まともに目的地に着かないことが高確率で予想されるので、資料館を目指すなら今時期クルマでの訪問のほうが確実と、再訪することにしたのです。

 そんなわけで、エスクをお供に引っ張り出し、東へ向かいます。晴天で、気温も春らしく高めなのも幸い。
 この日はちょうど無風とあって、十勝川温泉では、観光用熱気球の係留飛行も行われています。
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 写真はちょうど降りてきたところなので、高度が低いですが、実際にはかなり高度を上げていました。着陸したので写っていませんが、もう一機飛んでおり、遠方の日高山脈は少し霞んではいるものの、十勝平野を見渡せるので、良い飛行日和だったことでしょう。


 さて、釧路に行く前に、実はもう一か所寄りたい場所がありました。
 これも昨年夏の帰りに、白糠の資料館を訪ねたところ、西庶路にも炭鉱資料館があると聞いたのですが、この時は釧路の帰りで、西庶路は既に通過していたため寄らなかったのです。

 なのでここもリベンジすべく、あらかじめ休館日ではないことを確認して向かいます。
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 しかし白糠に入ったとたん、あんなに晴れ渡っていたのに、急に霧に覆われてきました。白糠とか釧路あるあるですが。
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 ここは西庶路のコミュニティセンターと体育館を兼ねた施設ですが、国道から奥まった住宅街にあるので、地元の方以外は、あまり訪れる人も少なさそう。
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 入場は無料ですが、入口で受付をする必要があります。資料館を見たいと告げると、管理人の親切なおじいさんが2階に案内してくれ、明かりも点けてくれました。
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 昨年の、白糠の職員さんの話では、この資料館は炭鉱に特化しているので、資料は少ししかない、と聞いていたのですが、入ってみるとどうしてなかなかの充実ぶり。訪れた時は、老人会らしきカラオケ大会が開かれていて、響き渡る演歌をBGMに見学します。(笑
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 それにしても炭鉱は釧路が有名ですが、白糠町でもこんな盛んに採掘されていたとは。さすがかつての最重要エネルギー源。
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 広く海側に面した地域だけに入植しやすかったらしく、江戸時代から既に役人が配置されていたようですが、なんと北海道の炭鉱発祥の地は、白糠だそう。

 資料を見ると、海底を掘り進んだ釧路と違い、一般的な炭鉱同様、内陸の山を掘っていたのがわかります。一か所の埋蔵量が多かったわけではなかったらしく、あちこち近隣の山で採掘が行われ、昭和の採掘終盤時代にはかなり山奥の、隣の本別町との境付近まで採掘されていたのは、驚きでした。
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 これらの炭鉱は、いずれも昭和40年代半ばに閉山していますが、資料館に展示されているのは、かつて実際の炭鉱で使用された機具等で、大きな博物館ではあまり見たことのない、貴重な資料が何気にあったりするのが、地方の資料館の面白いところ。
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 いかにも炭鉱の装備を象徴する、坑内を照らすカーバイドランプ。これは携行用の小型タイプのもので、広く流通していただけに、現在でもアンティーク扱いでオクなどでも出ており、愛用しているキャンパーもいるとか。
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 しかしこんな大型のものは、19世紀が舞台の小説や映画には出てきますが、実物にはなかなかお目にかかれません。

 余談ですが、カーバイドランプはその照度の高さと使用時間が長いことから、高照度のディスチャージランプが普及する昭和後期まで、コンサート会場の照明や、LEDが普及するまではイカ釣り漁の集魚灯などで、意外と近年まで使用されていたようです。
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 ガスマスクや風速計などは、材質こそ違え、基本原理は現在のものと変わらないですね。
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 現在のキャンプ用ヘッドライトの元祖。バッテリーは展示してありませんでしたが、充電式ではなく、おそらく乾電池でしょう。
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 ヘルメットは金属製。生々しい凹みと、マジックで書かれた「庶路」の文字で迫力が伝わります。

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 クルマネタ的に、おおっ、と思った資料がこれ。
 他にも昭和30年代のトラックで、鉱石や資材を積み出している写真はありましたが、中でもこれは昭和12年と説明にあるので、トヨタが最初に量産化した自動車「トヨタGA型トラック」ではないでしょうか。
 GA型トラックは、前年の昭和11年から量産化されており、同年にトヨタ自動車が、販売網を整備して全国展開をはじめたそうなので、戦前の写真がそれほど一般的ではなかった時代に、GA型トラックが北海道まで販売されていた記録としても、貴重なものと思います。自動車そのものが珍しかった当時、納車記念に撮ったものかもしれません。
 
 なかなかに貴重な資料を見られて、これは幸先がいい。資料館を出て、そのまま国道に戻っても良かったのですが、炭鉱跡はもうないにせよ、市街地のすぐ裏手にある山を眺めに北側へ向かいました。

 ちなみにそのまま進むと、道東道の庶路インターがありますが、地図を確認する限りでは、この道はどこかへ通じているわけではなく、上庶路の山中、庶路ダムの先で途絶えており、国道からも10㎞以上も遠いので、ここを利用するクルマは多くないというか、ほとんど見たことがありません。なんのために造られたのか謎なインターです。ひょっとすると、事故や災害などで通行止めになった際の、エスケープルートの役割かも。
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 しかし、途中から東へ向かうと、山を大きく迂回して釧路市の手前に繋がっている道があると確認できたので、進んでみます。
 除雪されてなくて、冬期通行止めかもと思いつつも行ってみると、ちゃんと通じていました。
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 そして高台に上がると、意外なほど開けた牧草地帯で、雌阿寒岳も見えるではありませんか。
 こんないい景色だとは驚きで、こういう出会いがあるので、脇道探索はやめられないのです。
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 ちょっと残念だったのは、霧がまだ上がりきっておらず、遠景が少し霞んでいたこと。晴れ渡っていれば、もっときれいだったことでしょう。時期を変えて再訪するのもいいかも知れません。
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 看板には道立広域公園予定地入口とあり、調べると、これまで釧路地区には広域公園がなかったため、今後大規模な公園が建設される計画らしい。
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 さらに進むと、山中に赤い巨大な建造物が建っています。この特徴的な構造は、釧路空港の進入灯橋梁ではないですか。橋梁の高さは、ビルの14階にも相当するそうで、位置的に、この道路は空港のすぐ脇に隣接していたようです。

 山を降りても、そのまま国道に戻らず、せっかくなので少し内陸に並走する工業団地内の町道を走ってみると、ふだんと見える景色が違い、さまざまな工場が林立していることがわかったので、これも面白い。
 こうしてみると白糠町は、失礼ながら国道沿いにあまりにぎわいがないのですが、炭鉱閉山後、工場誘致で栄えてきたことがうかがわれます。

 町道の終わりで釧路市に入り、さらに釧路駅方向へ進むのでした。


つづく


Posted at 2024/03/27 22:01:27 | コメント(1) | トラックバック(0) | ESCUDO | クルマ

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「で、これだけで買い替えるのも癪(なのとビンボー)なので、修理。100均のカラビナがジャストサイズで、不意に開かないよう、タイラップで固定。これで続投。(←ケチ」
何シテル?   06/15 11:19
オートバイとクルマと、野遊びが大好きな「おやぢ」です。(^^ゞ 北海道のど田舎に住んでいます。どれくらい田舎かと言うと、地域で乗っている車種を言えば、...
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