今からおよそ40年以上も昔のこと。
少年は、国道沿いに立って、走りゆくクルマを嬉々として眺めていました。
場所は、神奈川県伊勢原市。燐の秦野市にほど近い、国道246号線は、幹線路とあって交通量が多く、クルマ少年の好奇心を満たすには、絶好の場所。
あれはクラウン、あれはスカイライン、と、なぜか車種の判別ができるのが早かった少年は、ただ走りゆくクルマを眺めているだけで楽しかったのでした。
と、1台のクルマが東京方面から向かってきました。
その白い、ちいさなクーペが「ファミリア・プレスト」であることを、少年は知っていました。
現代のように、エアロパーツが一般的ではなく、スポーツグレードとそうではないグレードの、外観上の差異があまりなかった時代。
しかしそのファミリアの、砲弾型のフェンダーミラーや当時一般的だった、メッキのホイールキャップを装備していなかった佇まいから、「ロータリークーペ」であろうことは、想像が付きました。
が、珍しいことにそのロータリークーペは、トレーラーを引いていたのです。
そして少年の目は、そのトレーラーの上に釘付けになりました。
そこに載っていたのは、同じロータリークーペでしたが、その容姿は少年がそれまで見たこともないものでした。
異様に低く構えた車高、見たこともない太いタイヤと、黒いホイール、カラーリングされたボディにゼッケンとステッカー。
それは、少年が生まれて初めて見た、実車の「レーシングカー」でした。
それまでミニカーでしか見たことのなかった、レーシングカーの姿は、強烈に心に焼き付いたのです。
なんでこんな話を思い出したのかと言うと、先日、みん友「
紺ちゃん」のブログに、
ロータリークーペの話題が載っていたので。
懐かしくなって、ちょっと検索をかけてみると、さすがネット時代。今でも大切にされ、かつ元気いっぱい走っている個体のことなど、いろいろな情報がありましたが、中でもエブロから、スパ仕様のミニカーが出ていたのは、驚きでした。
1970年、ベルギーのスパ・フランコルシャン24時間レースに参戦した、ロータリークーペ・レーシングのことは、そういう仕様があった、くらいの知識しかなかったのですが、このモデルを見た瞬間、冒頭のシーンが頭に蘇ったのです。
中でもこのゼッケン33のカラーリング。
スパ仕様には、3種類のカラーがあり、白ベースに、ゼッケン31が赤、32が青、そして33がこの緑。
この緑色には記憶がありました。ボンネット上のスクリーンも付いていたような記憶もあります。
記録を調べると、ロータリークーペ・レーシングの国内デビューは、1969年。
わたしが目撃したのは、恐らくは1970年頃ではないかと思います。
目撃場所からして、富士スピードウェイへ向かっていたのは間違いないでしょう。
スパ仕様そのものが、富士を走っていたのかは定かではありませんし、プライベーターがスパ仕様に似せた可能性もありますが、テストや練習のために走行していたとも考えられます。
トレーラーで運んでいたことから、プライベートだった可能性も高いのですが、トレーラーを引いていたのも、ロータリークーペだったことから、紺ちゃんのコメントにあるように、都内のマツダオート東京から、富士へ向かっていた、ということも十分にあり得ると思うのです。
遠い遠い日の記憶です。
幼い日の記憶違いもあるかも知れません。
でも、あの日見た、ロータリークーペ・レーシングはこれだったのだ、と、信じていてもいいんじゃないでしょうか。^^;
この記事は、
夢見る、瞳。 憧れの、向こう側。 ~きつね、ロータリーを想う~について書いています。
Posted at 2013/04/25 22:50:16 | |
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