前ブログからの続きです。
城跡巡りの旅を続ける社長と合流し行動を共にします。
続いての高瀬城跡は前方に見える高瀬山(標高314m)の登山となります。
なお、自身にとって高瀬城跡は3回目。(
前回は2020年)
高瀬城は標高314mの高瀬山に築城され、山頂の大高瀬に甲の丸、一段下の小高瀬に二の丸、山腹に鉄砲立の三の丸という大まかに三段からなる山城でした。
また、高瀬城は尼子十旗の一つでありました。 尼子十旗(あまごじっき)とは、戦国時代に出雲国を支配した尼子氏の本城である月山富田城を防衛するため配置された主要な10の支城です。
登山口前のスペースに車を停めます。
ちょうどお昼時で社長が前日にスーパーで買ったという食材を分けてくださいました。
城跡巡りの綿密なスケジュールをこなす社長にとって外食に掛かる時間ロスを無くすための工夫。
軽食を摂って、それでは登山を開始します。 山頂までは1.4kmの道のり。
三の丸(鉄砲立)との案内看板が立つ場所。
細長くただの通路に見えるが両側に谷を見下ろす防衛陣地に最適の場所との説明があった。
つづら折りながら急勾配の道が続く難所の七曲がり。
七曲がりを登り切ると駄置場という武器や兵糧などを馬で運び上げ貯蔵して置いてた場所。
ここを左に行くと山頂大高瀬の甲の丸、右に行くと小高瀬の二の丸という分岐点。
二の丸に続く道は以前は熊笹に覆われ険しかったのが、今では綺麗な道に変わっていました。
それで二の丸に来ています。 樹木が伐採され郭の形や広さが見やすくなってます。
また、二の丸の周辺にも見下ろす場所に郭跡を確認できました。
4月中旬に設置予定だという案内看板の機材が置かれていた。
なお、同様の機材は駄置場や甲の丸にも置かれてました。 設置予定まで間も無く。
二の丸の中央にはこんもり盛り上がった箇所があってそこに登ってみたりする。
郭としては狭いのでここは櫓台跡ではないかと社長談。
二の丸から駄置場を経由して今度は山頂の甲の丸に向かいます。 ここは途中にある広い郭跡。
ここにも設置予定の案内看板機材が置かれていた。 何と名付けられる場所になるのだろうか?
登山道の途中に岩があってピンク色のテープに何か書かれてたのを見るとハート岩となっていた。
急な登りの場所には真新しい鉄階段が設けられていた。
以前は鉄板が朽ちて穴が開いた危なっかしい鉄階段だったのが新しく入れ替わってある。
山頂が近くなると幾段もの郭跡が続きます。 人工的に山が削られ段階状の平坦地が続く。
登り始めから約1時間で山頂の甲の丸に到着しました。(二の丸経由で時間掛かってます)
遠くから見ると尖った山に見える高瀬山の山頂(標高319.4m)は狭いです。
高瀬山、高瀬城跡の太陽に反射するから撮影角度が難しい説明看板。
足元には4月中旬に標柱が建立する予定だという機材が埋まれた穴があった。
高瀬山山頂の標柱でしょうか。 それとも高瀬城跡主郭の標柱か。
山頂からの眺望は目前に出雲平野が広がり宍道湖も見えてます。
高瀬城跡の前に森の中をさまよって訪れた宇屋谷城跡が白丸で囲った辺り。
約2時間の活動を終えて下山してきました。 下山途中には1匹のヘビと遭遇してまたも驚く。
滅多にヘビと遭わない社長にこるまろさんと一緒だとよくヘビに遭うからヘビ男だと言われる。
続いての城跡巡りは城平山城跡です。 登山口からは1kmくらい離れた登山用駐車場に停める。
自分にとって城平山城跡は
昨年5月に訪れてるので2回目です。
駐車場のお隣は阿吾神社。 その前を通過して登山口を目指して歩く。
遠くから見る城平山(標高316m)は山頂部が広く平坦な台形をしています。
登山口近くに立つ城平山(じょうひらさん)の案内図には城平山城跡についても説明あり。
山頂部は平らで東と西に展望所がある。 案内図には登山ルートは1本で山頂まで徒歩約1時間。
実は山上部に光明寺という寺があって車で行けるようですが登山者に対する拒絶反応が凄いです。
出会った地元民に話を伺うと、登山者が挨拶しないとか?マナーが悪いのでという理由らしい。
登山道の序盤にある三菱ミニキャブ軽トラの草ヒロ。
森の中の登山道を登る。
草むらになってるけど広い平坦な箇所があり、そこは郭跡なのか古そうな石垣もありました。
山上部まで登って光明寺との境界線。 登山者の立ち入りは絶対拒絶。
地元民によるとこの登山者のマナーが悪いというのは挨拶しないとかという理由だったが。
さらに登るとまた光明寺との境界線。 立入禁止で侵入は警察に通報しますとある。
光明寺が通れないため高瀬山(高瀬山城跡)⇔城平山(城平山城跡)間の縦走は出来なくなってる。
光明寺から城平山にも行けない。 これには高齢の社長もご立腹でした。 確かに仏の心が無い。
山頂手前の大堀切です。 堀切はお城の防御のため削り掘られたトラップです。
ロープ伝いに急坂を登ると土塁もある。
約1時間の登山で山頂(標高316m)に着いて東の展望所です。
東の展望所からの眺望。 山々と斐伊川が見える。
土塁の上に三角点があるので捕獲しました。
山頂部の茂みの中に主郭跡。 (案内看板はありません)
井戸の跡の案内看板が立つ。 ちょっとした窪みがあります。
他にはここが城跡だと窺わせる案内看板はありません。
広々とした西の展望所です。
西の展望所からは少し前までいた高瀬山(高瀬城跡)が見えました。
西の展望所から降りれる登山道を発見。 阿吾神社横の駐車場に着くという。
こっちから帰るのが早そうだということでこちらの登山道を歩いて下山してみます。
かなりの急坂で補助ロープ伝いに慎重に降りてく場面が多かったです。
下山だからまだ良いけど逆にここを登ってくるのは大変そうな難所だ。
30分ほどで下山して阿吾神社の横に出ました。 境内を通って駐車場に向かう。
約2時間の活動を終えて戻ってきました。 城跡巡りは登山の繰り返しで大変です。
この後、また次の城跡へと向かいました。 いったん区切って次のブログに続きます・・。<(_ _)>