山口防府遠征最終日3日目の朝を迎えました。
最終日のメインイベントは朝9時から控えてましたが・・。
車中泊の朝は早い。 周囲が明るくなると自然と目が覚めます。 道の駅で早朝5時起床。
9時まで時間はたっぷりあるのでどうしようか?と思案しました。
そこで、急遽の予定外で近くの城跡を探して行ってみることにしました。
敷山城(しきやまじょう)跡
標高460m矢筈ヶ岳にある山城跡です。 住宅地の狭い道を抜けて向かいます。 この敷山城跡の説明看板は登山口に向かって駆け上がる狭い舗装路の途中にありました。
延元元年(1336年)、足利尊氏(あしかがたかうじ)らが後醍醐天皇の建武の新政に反対して兵を挙げると、周防の国庁の役人であった清尊・教乗らは後醍醐天皇側につき、験観寺の施設を戦いのために城として利用した敷山城に立て籠もりました。 しかし、足利尊氏によって派兵された大軍により僅か10日余りで落城します。
説明看板から先も寂しい山中の道路が続きました。 ですが、狭いくねくね道では運良く対向車と出くわすことは無かった。
山の何合目くらいまで上がったのか分かりませんが舗装路が途切れるところまで上がってみました。
舗装路の突き当りは車を転回できるスペースがあります。 ここに駐車。
登山口がありここから登って行きます。 国指定史跡の敷山城跡まで約400mの登山。
敷山城跡は他の多くの山城と違って、山頂ではなく山の8合目に構えられていたという。
そして、城跡らしい遺構は特に無いとのことでした。 でも、ここまで来たら登るしかない。
早朝5時40分登山開始。 序盤は笹の葉でふかふかの絨毯の上を歩いて登ります。
ここは降りるとき足を滑らせて尻餅をつきそうだ。
森の中を歩いて登る。 朝早くからいい運動をして汗を掻き始める。
登山開始から10分ほどで先に何か見えてきました。
登山道の途中に狭い石碑が立つ。 ここが敷山城跡!?
全然、城跡らしくなくて驚く。
敷山城跡
矢筈ヶ岳(標高460m)の8合目くらい、登山道の途中にある狭いスペースに石碑が立つ。
説明案内
もともとあった験観寺という寺院を城として利用してここに籠城したとのことです。
とりあえず、敷山城跡は攻略ということにしました。
城跡としての遺構は何も感じられず拍子抜けしたというのが正直なところです。
気持ち的にも不完全燃焼ですし、まだ体力的にも余力充分でした。
登山を続けてみます。
梵字岩(ぼんじいわ)という巨岩が現る。
敷山城の時代と関係無く、それより以前の文永二年(1265年)の文字が刻まれている。
梵字岩の前から望む早朝の防府市街の眺めです。
瀬戸内海や島?も見えてます。
さらに登山を続けると
鳥居が現れます。
この場所は広いスペースになっており、神社の祠がありました。
今は神社ですけど、この場所が験観寺という寺院の本堂跡とのことです。
矢筈ヶ岳(標高460m)の8合目と書かれており、実質はここが験観寺を城として利用した敷山城であり、戦いのために籠城した場所であった気がします。
さらに上に登ってみようとしました。
しかし、登山道はだんだんと険しくなっていく。
ついにはロープを伝って岩場を縦に登る急勾配の箇所があり、この途中で登山を断念しました。
この後どのくらい登れば頂上なのかよく分からない場所でしたが、そもそも登山が目的ではなくて、城跡に行くのが目的なのだから既に目的は果たしているわけです。 ここで引き返し下山することにしました。 朝早くから過度の運動をしてとても大汗掻きました。
下山中に敷山城跡の石碑が立つスペースを再び通過。
登山口に戻って来た。 登り降りで約45分の登山でした。 なお、登山中は誰とも出会わず。
予定外のアドリブで登った敷山城跡については以上です。
防府市内でこの遠征2回目の給油。 スーパーマグナム18.76ℓ入りました。
遠征1回目の給油はブログ上で端折りましたが、初日の夕方に山口市内で49.15ℓ入れてます。
満タンで遠征に出てここまで543.1km走行。 燃費は8km/ℓです。
この後、防府市内の桑山公園で時間調整。
山口防府遠征、続いては最終日3日目のメインイベントへ・・。
Posted at 2019/10/29 08:52:51 | |
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