富山観光を満喫した翌日は、8時15分の出発です。
(3週間ぶりの再開、
動揺を隠し表向きは平静を装って・・・・・)
現役時代、8時前には家を出て職場に向かっていたし、
ぷー太郎となった現在も、7時には起きているので
時間としてはそんなに早くない!?
しかし、
旅先での8時15分出発は、忙しなくて嫌だ!?
とは言え、年寄りの朝は早い!?(笑)
身支度を済ませて、6時30分からの朝食に出掛けた。
以前の報告通り、好き嫌いや偏食で自分のバイキングプレートは茶色一色!?
写す価値無しということで、こちらで代用です。
さて、何故こんなに早いスタートかというと、初日の移動距離75㎞に比べて4倍以上となる325㎞の移動が予定されているからです。
多数の観光地を巡って・・・・・
ではありません!?
北陸道・東海北陸道・中部縦貫道を乗り継ぎ岐阜県へ、
昼食と2観光地を巡り終えたら、
東海北陸道で元の富山県に戻り、
そのまま北陸道で、金沢、いや、石川県を横断して、福井県へ!?
そして、福井では一切の観光が無いまま、本日の宿に向かう予定となっております!?
到着予定は17時でした。
大雑把なコースが、こちらになります。
☆印が、岐阜県の飛騨エリアで観光先になります。
名の知れた場所なので改めての詳細説明は不要かと思われますが、ちょっとだけ!?
飛騨の小京都「飛騨高山」
正式な名称は高山ですが、飛騨地方の中心にあるため「飛騨高山」と呼ばれています。
江戸時代以来の城下町・商家町の姿が保全されており、「古い町並み」の景観は国選定重要伝統的建造物群保存地区となっていて、電線をすべて軒下配線にするなど、徹底した保護が続けられていることにより、美しい町並みが保たれています。
伝統工芸、地酒、和雑貨、朴葉味噌など情緒豊かな店舗が多く立ち並び、風情あふれる町並みの散策が楽しめます。
合掌造り集落「白川郷」
1995年、ユネスコの世界文化遺産に登録された「白川郷」
大小100棟余りの合掌造り家屋が数多く残り、今もそこで人々の生活が営まれている集落として知られています。
日本の原風景ともいうべき美しい景観で、村内は穏やかな時が流れ、日本の農村文化や生活を深く感じられる場所です。
「合掌造り」とは、木の梁を山形に組み合わせて建てられた日本独自の建築様式のことで、他の地方のものとは違い「切妻合掌造り」と言われ、屋根の両端が本を開いて立てたように三角形になっているのが特徴です。
また、白川郷の合掌造りは風の抵抗を最小限にするとともに、屋根に当たる日照量を調節して夏は涼しく、冬は暖かくするため南北に面して建てられています。
と、魅力ある観光地ですから、北陸の旅行支援を受けた旅でも組み込むことで旅行者の支持を得ているのでしょうね!?
しかし、そんな人気観光地故に多くの近隣旅に組み込まれるので、我が夫婦、10年ちょっとで今回が3回、いや4回目の訪問となりますからちょっとマンネリ気味で・・・・・・
もちろん、個人旅で時間に余裕がありディープな訪問先にも行けるなら毎回新たな発見が見つかるかもしれませんが、毎回ツアー旅となると1時間とか、2時間とかで、広く浅くさえ難しく、
狭く浅くが精々・・・・・
まぁ、それでも、少しずつ時期がズレているので、探せば季節に添った見どころもあるのですが!?
高山です。
ぶらりMAPを載せておきます。
裏面のモデルコースがこちらでした。

ちゃんと観て回るのであれば、最低でも一日は必要ですね!?
さて、初めての午前中着、車窓から宮川朝市が見えました。
しかし、初チャンスの朝市通りは素通り、
外国人観光客をすり抜けながら、足早に古い町並をプチ散策
(単に通過?) です。
短い滞在時間の更に1/3を使っただけで、
高山観光は終了です!?
そして、残りの2/3を過ごしたのが、上三之町 と さんまち通り とが交わった角にある
炭火焙煎珈琲 藍花珈琲店 でした。
旅に出て、日頃数杯飲んでいる珈琲が切れて禁断症状が表われて・・・・・
でも
偶々見つけて雰囲気が良さそうなので・・・・・・
でも
ありません!?
事前にしっかり調べて・・・・・
はい!? 今回は飛騨高山へ珈琲を飲みに行って来ました!?(笑)
先客は北海道から来ていた高齢のご夫婦、そしてアメリカからの観光グループの4人組だけ。
会話も聞こえてくる狭いお店ですが、喧騒感は一切無く、居心地の良い空間で旨い珈琲を味わって来ました。
思い起こせば、前回の訪問時も同じような時間の過ごし方をした様な!?
その時は偶然見つけた今回とは別のお店で、
多分こちらの2階だったような・・・・・
さて、観光バスを停めたのは高山別院の駐車場でした。
折角なので、堂内に上って参拝して来ました。
そこでは、宗派の教えでは無く、世界の偉人達(?)のお言葉が掲示されておりました。
今後の生活に役に立てばと撮ってきましたので、ご紹介しておきます。
こちらは、参道脇に掲示されていたお言葉です。(笑)
グッと身近に感じられる方&お言葉の数々、きっと皆さんの暮らしにも役立つお言葉かと・・・・・
こちらは、固執するタイプの自分に一番突き刺さったお言葉でした!?
短いお言葉なんですが・・・・・
長さん ・・・・・
受け狙いの冗談でしたが、いかがでしたか!?(笑)
さて、あまりにも分断してしまった北陸旅報告!?
きっと忘れられてしまったかと思いますが、10のグルメを食す旅でした。
一応というか、プチで食すというか・・・・・
その10の内4つもが飛騨絡みでしたので、簡単にご紹介します。
110gのお肉、昼食ですから文句はありません!?(笑)
美味しく頂きました!? 釜炊きのプランド米も・・・・・
続いて、白川郷 です。
流石に、喫茶店で過ごすというわけにもいかず、
かと言って、展望台まで行くのも忙しない!?
前回はその限られた時間でも効率よく動こうと、事前にシャトルバスの運行時間まで調べて臨んだが、今回はそこまでの頑張りは出ず、初めから展望台は無理と諦めていた。
歳をとったせいですかね?
さて、折角の世界遺産 白川郷 ですから、特別な目的が無いなら集落をゆったり巡って、情景を記憶にも記録にも残したいですよね!?
映える撮影は技術と感性が乏しいので実現は難しいのですが、一応良い記念(記録)になると思われる希望のシチュエーションは持っています。
1) 普通に合掌造り住宅の撮影
2) 展望台からの合掌造り集落撮影
3) 雪の白川郷撮影
4) 白川郷ライトアップ
5) 消火用放水銃による消火訓練時撮影
などが考えつきますが、
信州出身の妻 「わざわざ雪が降ったり、積もっている所に行かなくても・・・・・・」
と、雪の大谷(雪の回廊)と同様に 3)4)は妻との旅ではあり得ない!?(笑)
仮に、妻が錯乱・・・ いや、気の迷いに陥ったり、或いは、一人で行く機会が出来たとしても、
ライトアップというからには夕方以降、しかも、1~2月の日曜日中心の6日間のみの・・・・・
消火訓練は、10~11月のどこか一日に限られ、更に午前8時からのたったの25分間だけ
と、ピンポイントでの日程、且つ、十二分に練られたスケジュールで融通の利く個人旅、しかもマイカー旅以外での遭遇は場所的にも時間的にも難しそうなので、多分機会は来ないでしょう!?
逆に、1)&2)は既に経験済み!?
新たな遭遇機会は無いかもと考えていましたが・・・・・・
何と、可能性がある対象が二つも見つかりました!?
探せば、見つかるものですね!?(笑)
一つは、単に季節が一致しているだけで、タイミングが合うかどうかは現地で見てみないと分かりません!?
二つ目は、完全に行き当たりばったりの運任せ、しかも「必然の運」ではなく「偶然の運」に・・・・・・
先ずは、一つ目のこの時季ならではの情景
「逆さ合掌造り」 です。
田植え前の水面に映る美しい合掌造りの
「逆さ合掌造り」
無風じゃなくて水面が波打っていたり藻が邪魔していたり、時間帯が悪く日の当たり具合が悪いとか、私有地なので立ち入り不可じゃないかと自主規制で撮影ポイントが見つからなかったりと、言い訳しないと駄目な画像ばかりですが、一応記録画像を得られましたし、現地で記憶にも刻めました。(笑)
こちら、後から出てくる 明善寺 の本堂です。
そして、もう一つは画像を残すことよりも、目と記憶に刻むことが主目的の
「合掌造りの茅葺き屋根 の 葺き替え作業」 です。
葺き替えは地元の茅葺職人が総出で取り掛かり、およそ2ヶ月の工期が必要とされ、費用は約2,000万円もかかる一大事業、その一瞬の立会ですから、画像として残しても大したモノにならないのは十分理解した上でも一度は目にしたいと思っていました。
白川郷に現存する合掌造りの家屋としては最大の 明善寺庫裡郷土館
(みょうぜんじくりきょうどかん)が、ちょうど葺き替え作業でした。
4/22~6/28が葺き替え休館、訪問日は5/24、ちょうど中間地点の作業状況となりますかね?
明善寺 は 本堂 ・ 庫裏(くり) ・ 鐘楼門(しょうろうもん) の屋根が、
全て茅葺きという珍しい合掌造りの寺です。
特に、合掌造りの鐘楼は他には類を見ない珍しさだそうです。
ちなみに、
鐘楼門とは、門と鐘楼を兼用した建物、鐘楼は梵鐘を吊るすために設けられた建物のこと
庫裏とは、寺院で食事を調える建物や、住職やその家族の住む場所のことです。
世界遺産の中のお寺となれば、妻としては御朱印を頂きたいところですが、残念ながらご住職が亡くなられた2014年以降は取り扱いが無いようです。
先に訪れた時は展望台行きを優先したり、御朱印を頂くのに15分以上掛かると言われ、時間の余裕が無く見送ってしまいました。
残念でしたね!?
優先して頂いておけば、今では幻の御朱印と呼ばれているもののようですから・・・・・
それなりに、新たな楽しみを得られて白川郷を後にしました。