
首都圏の観光シーズンはどこも渋滞ばかりです。初心者マークの運転練習を口実に、渋滞のなさそうなところとして2019年に福島の浜通りへ2回行きました。相馬と双葉を合わせて
相双(そうそう)と呼ぶようです。
初回はゴールデンウィーク前半で、原ノ町駅で息子と待ち合わせ、近くで2泊しました。2回目は8月前半で、購入直後の
1台目デミオを持ち込み、広野で1泊しました。いずれも震災復興業務従事者向けと思われる質素な宿で、とても安価でした。

どこかで入手した「
相双エリア常磐線・常磐道沿線つながりマップ」(冒頭の写真)に頼りながら、このエリアをまわりました。
平地の印象
予想どおり道路はどこも寂しいくらいすいていました。海沿いの平地はほぼ全て津波の被害を受けたようで、浸水高の表示があちこちにありました。低い平地の家屋は新しいものばかりでしたが、小高い丘の上には古い家屋があってほっとしました。そんな広々とした地域の運転は快適そのものでした。
津波のせいで空き地が多いこのエリアで目についたのは、除染土と思われる黒い袋の山積みと、太陽光発電のプレート群でした。太陽光発電施設は原発からの脱却と再起の象徴として相応しいと思えますが、この地域からの人間活動の消散が気になりました。
海岸沿い
震災直後はどこであれ海岸に行く気がしませんでしたが、数年を経て抵抗感がなくなってきました。海岸沿いには高さ数mに及ぶ堤防の建設があちこちで進んでいた一方、家屋ははるか高台に移されているようで、立派な堤防の内側には広大な空き地が拡がっていました。この高さの堤防にしても震災時の大津波には足りないのだとすると、何が合理的な答えなのかよくわかりません。

天神岬のスポーツ公園へ行くと、家族連れで意外なほど賑わっていて、「どこに住んでいる人々?」と不思議に思いました。海上には洋上風力発電設備があり、公園にはそれを展望するコーナーがありました。
帰還困難区域と通過道路
原発周辺とそこから北西に延びる地域は帰還困難区域で、立入できないよう徹底して張り巡らされたバリケードに圧倒されました。そこを通過する道路は通行可能でしたが、クルマの窓を閉めるよう推奨され、この時点では二輪車は通行禁止でした。
浪江から富岡に至る国道6号の両側にもバリケードが張り巡らされていて、震災から8年経過しても廃墟がそのままでした。当然通行車両は少なく、打ち棄てられた地域のような印象を受けましたが、直接目に触れないところでは、除染など復興に向けた事業が静かに進められていたようでした。
内陸の地域
飯舘村、葛尾村、川内村などへ足を延ばし、道の駅などに寄りました。帰還困難区域に隣接しており、観光客が頻繁に立ち寄るとも思えない静かな地域なので、利用者は地元の方が中心でしょうか。人口が200人に満たない村もあり、消滅可能性自治体の筆頭ではないかと心配になりました。
1車線の狭い区間もありましたが、大半はセンターラインのある道路でした。カーブや坂道も総じて穏やかで、初心者でもリラックスしてドライブできる好適地でした。
常磐線の不通

訪問した2019年の時点では浪江・富岡間が不通でした。北側の終点であった浪江駅には、帰還困難区域を貫通する道路を通って寄りました。原発の北西側に位置しており、駅舎は残っているものの周辺の家屋に生活感はほとんどなく、寂しい限りでした。
反対側の終点である富岡駅は、海に近いため津波で流されていたようで、新築の駅舎でした。南へ通勤する人が利用するためか、新造成された駅前広場の駐車場には多くの車両があり、こちらでは人間活動が感じられました。
その後
このエリアをゆっくり訪問する機会はありませんでしたが、2023年に
米沢の帰りに相馬に入り、広野まで南下しました。国道6号線を通っただけでしたが、2019年時点よりも活気が増していたように思えました。
Posted at 2025/06/26 20:57:15 | |
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