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il pastor fidoのブログ一覧

2025年07月06日 イイね!

ファミリーカーとしての2日間

ファミリーカーとしての2日間 家族4人の移動はアテンザの使用を想定していましたが、福島行きの前にどちらのクルマにするか意見を聴いたところ、MAZDA2に2票入りました。このクルマで4名乗車のロングドライブは目的外使用と言えるものでしたが、2日間で600km超を走破しました。

高速道
 往路は中間貯蔵施設の見学に間に合わせるため、私にしては早めのペースとしました。常磐道の110km/h区間では、それに近い速度を維持しました。ファミリーカーとしての使用であれば、4名乗車、フルエアコンでも特に重苦しさはありません。
 定速で距離を稼ぐ際にオートクルーズは有用です。前車を追尾する機能などはなく、定速維持のみのシンプル版ですが、これで十分です。ステアリング上の+、-スイッチで速度を微調整することで、長距離運転で疲労しやすい右足の解放になりました。設定可能速度は102km/hあたりが上限のようで、それより速いと使えません。

 少し上り勾配になると、ギア・シフト・インジケーター(GSI)が「6→5」とシフトダウンを促してきます。そのままで問題なさそうなこともありましたが、なるべくGSIの提案を尊重しました。経済性にも配慮した6MTなので、シフトダウンの必要性は前向きに評価します(シフトダウンせずに上り坂に対応できるなら、もっとハイギアードにすべき)。
 走行中はロードノイズをあまり意識しませんでしたが、帰宅後にアテンザに乗ったところ、MAZDA2の方が静かだったと思いました。

一般道
 郊外の一般道はMTを楽しむのによいところです。今回訪問した浜通りエリアは、復興が進んでいるとは言え交通量が少なく快適です。ファミリーカーとしてのドライブでは穏やかな運転に終始するので、パワーも安定感も十分であり、ギア選択を通して効率的な運転ができました。葛尾村周辺の上り勾配では、GSIが私の感覚よりも早く「3→2」とシフトダウンを勧めてきましたが、なるべくこれを尊重するようにしました。
 わがアテンザとの比較では、このクルマの足回りは硬い感触ですが、4名乗車による重量増加に伴い、ゴツゴツ感が減った印象がありました。

ユーティリティ
 コンパクトカーの中でも後席が狭いと言われるDJ型ですが、MT運転のためにフロントシートを前出ししていることもあり、後席スペースとして必要最低限は確保できたようでした。ゆったりくつろげる空間とは言えないものの、高さがそれなりにあって足先スペースもあるので、きちんとした姿勢なら不自由なさそうであり、後席から不満の声は出ませんでした。
 VDA280Lのラゲッジルームも、1泊2日の4名分荷物には十分な容量でした。

まとめと燃費
 パーソナルMTとして入手したMAZDA2では想定していなかった「ファミリーカー」としての使用でしたが、運転感覚に違和感や不満はなく、この後席居住性が受容できるのであれば、十分にその素質があるとわかりました。そうなると、わがアテンザはファミリ-カーの地位を譲ることになり、私的趣味車の領域に移行しそうです。
 2日間の行程は620kmで、平均燃費は20.5km/Lと表示されました。WLTC燃費19.8km/Lをわずかに上回る程度でしたが、4名乗車でフルエアコン、常磐道の110km/h走行、葛尾村の山道走行などを考慮すると、まずまずのレベルだったと言うべきかもしれません。
Posted at 2025/07/06 18:33:09 | コメント(1) | トラックバック(0) | 日記
2025年07月03日 イイね!

施設見学のあとで

施設見学のあとで 中間貯蔵施設や伝承館の見学のあとは、もう少し家族旅行らしくしました。

福島いこいの村なみえ
 ここに1泊しました。本館でなくコテージを予約したところ、木造感ある建物でした(冒頭の写真)。4名には十分な広さがあるものの、ロフトには上れないようにしてあるなど、ちょっと不自然です。家族から「仮設住宅みたい」との感想がありましたが、確かにリメイクしたようでした。仮設住宅をこんな形で再生利用するのも悪くはありません。
 大浴場には「水素の湯」との暖簾がかかっていました。温泉ではなく、水素を使って沸かした湯とのことですが、入った印象はごくふつうのお湯でした。

 翌朝、敷地の奥に水素ボンベを搬入するステーションがあることに気がつきました。水素で燃料電池を動かしているようです。

 あとで調べてみると、浪江町では大規模な水素供給ネットワークの実証事業が行われていたようで、町は水素タウン構想をうたっていました。町の海岸近くに作られた福島水素エネルギー研究フィールドは「世界最大級の再生可能エネルギー由来の水素製造施設」と宣伝されており、ずいぶん大きいようです。NEDO(新エネルギー・産業技術総合開発機構)の大型事業で、スポンサーは経済産業省であるようです。復興事業としてこれだけのプロジェクトが動いたのでしょうが、ここまで大きなものがこれからずっと自立的に運営できるのか、少し心配になります。

葛尾村復興交流館あぜりあ

 2019年に続き再訪してみました。道の駅をイメージしていましたが、静かな休憩施設の雰囲気で、地元の産品を少し販売しているほか、村への移住に関する相談所もありました。この小さな村への移住を考える勇気はとてもありませんが、どんなものなのか聞いてみてもよかったかもしれません。

あぶくま洞
 息子のリクエストによりここまで足を延ばしました。この日は猛暑でしたが、内部は10℃ほどと冷えていました。中は通路が整備されており、一方向へ進んでいく順路ゆえに混雑もなく、ゆっくり鍾乳石を楽しめました。最上層にある滝根御殿は高さが30m近くある大きなドームで、さまざまな鍾乳石で圧巻でした。

 昼食も含めゆっくり滞在したため、東京電力廃炉資料館へ行く時間がなくなりました。

塩屋埼灯台

 浜通りエリアの最後にこの灯台に寄りました。駐車場から上っていくと、閉門数分前なのに入れていただいたので、急いで灯台に上りました。上ではかなりの強風に曝され、短時間の眺望で十分でした。
 そのあと近くの豊間海岸へ移動し、夕暮れの浜辺で浜通りとの別れを惜しみました。

[2025.7.5追記]
 推敲時にうっかり「下書きとして保存」にしてしまったようで、本ブログはしばらく表示されなくなっていたようです。先ほどこれを解除しました。
Posted at 2025/07/05 23:51:26 | コメント(1) | トラックバック(0) | 日記
2025年07月01日 イイね!

特急ひたちとの連続遭遇

特急ひたちとの連続遭遇 浜通りエリア滞在中に、常磐線特急ひたちの上り列車に連続遭遇しました。

ひたち22号(大野駅15:37発)
 中間貯蔵施設や関連の展示を見学したあと、すぐ東にある大野駅へと歩きました。駅には特急列車が止まっていて、まもなく東京方面へ発車しました。
 ここは無人駅のようで、自動改札のゲートはないものの、Suicaがタッチできるようになっていました。時刻表を見ると、特急ひたちの上り列車は1日3本でした。

 駅舎の窓際でトンボが外に出たがっていましたが、窓を開けてもなかなか出ない・・・。ふと人差し指を出すとそこに止まったので、開口部まで運んで逃がしました。小昆虫にとっては獰猛かもしれないトンボは、人にはなつく(?)のがよいところです。
 この駅は震災に伴う常磐線の不通区間にあり、利用再開は2020年とのこと。駅の西側にCLEVAおおくまの大きな建物があり、ここに中間貯蔵事業情報センターやJAEA ANALYSiS LAB.が入っています。その向かいにはクマSUNテラスという平屋群があり、飲食店やコンビニがありました。被災地に新築された建物らしく、新しくて広々していました。

ひたち30号(浪江駅19:21発)
 浪江の宿で夕食のあと、コンビニへ買い物に行きました。暗い踏切の前で一時停止した瞬間に警報器が鳴り出し、しばし足止め(地図上の赤矢印)。通ったのは上り特急列車でした。遭遇時刻は覚えていませんが、浪江駅19:21発であったようです。


ひたち12号(浪江駅10:06発)
 宿のチェックアウトはいつも10時ギリギリです。初めに最寄りの浪江駅に寄ってみると、目の前にはまたも上り特急列車! ホームに侵入して写真を撮りました(冒頭の写真)。

 ここは2019年に足を運んだところで、息子も思い出したようでした。駅舎には変化はなさそうで、当時よりも人間活動が増えているように思えた反面、駅前広場に面していたはずの?建物が見当たらなかったのが寂しく感じられました。

 浜通りエリア滞在中に遭遇した列車はこの3本のみで、全て上りの特急ひたちでした。
Posted at 2025/07/01 20:51:27 | コメント(1) | トラックバック(0) | 日記
2025年06月30日 イイね!

中間貯蔵施設の見学

中間貯蔵施設の見学 福島第一原発事故を受けて設置された中間貯蔵施設の見学会があると知ったので、ネットで申込みました。単身での見学を想定していましたが、家族4名の参加になりました。
 この施設は「福島県内において、東京電力福島第一原子力発電所の事故により環境中に放出された放射性物質を取り除く除染により発生した土壌等を一定期間保管する中間貯蔵施設」と説明があり、福島第一原発を取り囲むように南北に拡がる土地に設置されています。

中間貯蔵施設の見学会
 見学ツアーは長袖、長ズボン、靴の着用が前提でした。当日は本人確認をした上で、簡単な事前説明を受け、見学用マイクロバスで現地に向かいました。降車時にはヘルメット、マスク、手袋の着用が求められ、いかにも特殊な地域に立ち入る印象です。

 高台から土壌貯蔵施設を眺めました。「施設」の名称から建築物をイメージしていましたが、屋外で除染土を保管するフィールドです。土壌量を反映して高めの土手を築き、その中に盛り土のように保管する形で、事前処理したものを運び込むようです。
 別の場所では土壌貯蔵施設の上に立ちました。線量計が与えられ、各自が放射線量を測ってみると、0.1µSv/hあたりでした。放射線量が示す数値の理解はまだ不十分ですが、問題ないレベルとの説明でした。土壌貯蔵施設はどこでも同レベルなのかわからず、保管土壌を掘り返したとしたらどんなレベルなのかもわからないなど、十分な理解ではありません。
 中間貯蔵施設エリアの車中からは、廃棄物処理施設などの建物を眺めました。巨大な建物の外見だけで、処理内容はこの時点ではよくわかりませんでした。放射線量が低く、安全と確認できているところだけが降車見学対象だったようなので、ここまでの重武装は不要とも思われました。

中間貯蔵事業情報センター

 施設見学が終わったあと、情報センターの展示を見学しました。除染土壌の処理手順に関する説明があり、施設エリアにあった巨大な建物の役割も少しはわかりました。わかりやすい解説だと思われる一方、放射線量に関する具体的なデータが示されているわけではないので、解説文面の受動的な理解に留まりました。後でネット検索すると、測定データは施設の情報サイトに載っていましたが、センターで解説してもらうといいと思いました。

JAEA ANALYSiS LAB.
 情報センターの隣にあったので立ち寄りました。JAEAは日本原子力研究開発機構とのことで、廃炉作業に伴う分析について紹介していました。「ALPS処理水」の語は知っていましたが、久しぶりに聞いたトリチウムには「どんな金属だったか?」と誤った疑問を抱きました(正しくは、三重水素のこと)。語句の説明があまりなかったので、基本の解説を充実してもらう方がよさそうです。

東日本大震災・原子力災害伝承館

 夕方になって立ち寄りました。展示内容が豊富で、限られた時間ではとても見きれなかったので、改めて見学する必要があると思いました。福島第一原発近くの町が、原発推進の標語を掲げていたのは仕方ありませんが、震災の前年まで学童に原発推進の絵を描かせ、国の関係省が表彰していたというのは、相当疑問です。

東京電力廃炉資料館
 ここにも寄るつもりでいましたが、今回は時間が取れませんでした。

付記
 中間貯蔵施設の見学会はJESCOが運営していました。名称は中間貯蔵・環境安全事業株式会社で、特殊な廃棄物処理を行う国策会社のようなものですが、原発事故後に社名に「中間貯蔵」が加わっていました。安全配慮が不十分な原発推進策が引き起こした大事故による環境汚染の後始末を、環境サイドがさせられている構図です。
 見学会の現地ではJESCOの方に誘導、説明いただきましたが、地元の方で、中間貯蔵施設のエリアにおられたようでした。そのような背景がありながら、JESCOの立場で見学者に丁寧に解説しておられたのには、頭が下がりました。
Posted at 2025/06/30 01:47:38 | コメント(2) | トラックバック(0) | 日記
2025年06月26日 イイね!

相双エリアとの縁

相双エリアとの縁 首都圏の観光シーズンはどこも渋滞ばかりです。初心者マークの運転練習を口実に、渋滞のなさそうなところとして2019年に福島の浜通りへ2回行きました。相馬と双葉を合わせて相双(そうそう)と呼ぶようです。
 初回はゴールデンウィーク前半で、原ノ町駅で息子と待ち合わせ、近くで2泊しました。2回目は8月前半で、購入直後の1台目デミオを持ち込み、広野で1泊しました。いずれも震災復興業務従事者向けと思われる質素な宿で、とても安価でした。

 どこかで入手した「相双エリア常磐線・常磐道沿線つながりマップ」(冒頭の写真)に頼りながら、このエリアをまわりました。
 
平地の印象
 予想どおり道路はどこも寂しいくらいすいていました。海沿いの平地はほぼ全て津波の被害を受けたようで、浸水高の表示があちこちにありました。低い平地の家屋は新しいものばかりでしたが、小高い丘の上には古い家屋があってほっとしました。そんな広々とした地域の運転は快適そのものでした。
 津波のせいで空き地が多いこのエリアで目についたのは、除染土と思われる黒い袋の山積みと、太陽光発電のプレート群でした。太陽光発電施設は原発からの脱却と再起の象徴として相応しいと思えますが、この地域からの人間活動の消散が気になりました。

海岸沿い
 震災直後はどこであれ海岸に行く気がしませんでしたが、数年を経て抵抗感がなくなってきました。海岸沿いには高さ数mに及ぶ堤防の建設があちこちで進んでいた一方、家屋ははるか高台に移されているようで、立派な堤防の内側には広大な空き地が拡がっていました。この高さの堤防にしても震災時の大津波には足りないのだとすると、何が合理的な答えなのかよくわかりません。

 天神岬のスポーツ公園へ行くと、家族連れで意外なほど賑わっていて、「どこに住んでいる人々?」と不思議に思いました。海上には洋上風力発電設備があり、公園にはそれを展望するコーナーがありました。

帰還困難区域と通過道路
 原発周辺とそこから北西に延びる地域は帰還困難区域で、立入できないよう徹底して張り巡らされたバリケードに圧倒されました。そこを通過する道路は通行可能でしたが、クルマの窓を閉めるよう推奨され、この時点では二輪車は通行禁止でした。
 浪江から富岡に至る国道6号の両側にもバリケードが張り巡らされていて、震災から8年経過しても廃墟がそのままでした。当然通行車両は少なく、打ち棄てられた地域のような印象を受けましたが、直接目に触れないところでは、除染など復興に向けた事業が静かに進められていたようでした。

内陸の地域
 飯舘村、葛尾村、川内村などへ足を延ばし、道の駅などに寄りました。帰還困難区域に隣接しており、観光客が頻繁に立ち寄るとも思えない静かな地域なので、利用者は地元の方が中心でしょうか。人口が200人に満たない村もあり、消滅可能性自治体の筆頭ではないかと心配になりました。
 1車線の狭い区間もありましたが、大半はセンターラインのある道路でした。カーブや坂道も総じて穏やかで、初心者でもリラックスしてドライブできる好適地でした。

常磐線の不通

 訪問した2019年の時点では浪江・富岡間が不通でした。北側の終点であった浪江駅には、帰還困難区域を貫通する道路を通って寄りました。原発の北西側に位置しており、駅舎は残っているものの周辺の家屋に生活感はほとんどなく、寂しい限りでした。
 反対側の終点である富岡駅は、海に近いため津波で流されていたようで、新築の駅舎でした。南へ通勤する人が利用するためか、新造成された駅前広場の駐車場には多くの車両があり、こちらでは人間活動が感じられました。

その後
 このエリアをゆっくり訪問する機会はありませんでしたが、2023年に米沢の帰りに相馬に入り、広野まで南下しました。国道6号線を通っただけでしたが、2019年時点よりも活気が増していたように思えました。
Posted at 2025/06/26 20:57:15 | コメント(3) | トラックバック(0) | 日記

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