2013年も国内外のさまざまなところに出掛けた。いずれも収穫が大きかったが、中でも、8月下旬に出掛けた東北が忘れられない。岩手と宮城の知人を再訪するのが目的で、宮城のSさんに会うのは13年ぶりになる。Sさんとお父さんは、13年前にNAVI誌での連載『10年10万kmストーリー』のために取材させてもらった。
当時、Sさんはまだ医科大学生。お爺さんが新車で購入したBMW 2002を三世代で乗り継ぎ、21年12万kmを走っていた。父と息子が2002を大切に乗り続けているのには理由があった。その理由を語るには神妙な顔付きになって然るべきものだったが、Sさんはハキハキと明るく語ってくれた。
東日本大震災の一報を聞いた時に真っ先に思い浮かべたのは、そんなSさんのことだった。海に近いところに自宅も医院もあったから心配だった。その地域の被害が甚大なことは、連日メディアが大きく取り上げていた。インターネットを検索し、安否を確認できるサイトの中にSさんの名前を見付けることができた。ひと安心できたが、コメントからはSさん本人が無事であることはわかったが、家族や仲間たちの様子はわからなかった。
しばらくしてからSさんとメールでやり取りすることができるようになり、お父さんをはじめとする家族全員が無事だったこともわかって胸を撫で下ろした。しかし、メールだけでは伝え切れないもどかしさのようなものもSさんは抱え込んでいる様子もうかがえた。それ以来、Sさんのことがずっと気になっていて、ようやく訪れることができた。
13年ぶりに会うSさんは変わっていなかった。明るく元気よく、着ている白衣が板についていた。お父さんの医院を引き継ぎ、結婚されて娘の父親になっていた。13年前に取材させてもらったご自宅とガレージはそのままだったが、被害は大きかった。「これが津波の跡ですよ」と壁にできたシミの線を示してくれたが、2メートル近い高さだった。あの時、Sさんと家族は山の方に逃げて、難を逃れた。2002は津波に押し上げられて天井にブツかり、その次の波でスーパーセブンとともにガレージの壁を突き破って、どこかに押し流されてしまった。だいぶ経ってから2台は、離れたところで変わり果ててたカタチとなって見付かった。
元気なお父さんと再会を喜び合い、奥さんとお嬢さんに挨拶もできた。
「そろそろ行きましょうか」
SさんのシトロエンCXのハンドルを握って、夜の山へ向かい、グルッと回って降りてきて、そのまま海沿いを巡った。海沿いでは震災の被害が大きかったところが多く、CXを停めてSさんは丁寧に説明してくれた。海沿いに建つ団地は4階までは表の窓から裏の窓まで津波に突き破られていたが、5階はまったく無傷だ。ということは、4階の高さにまで達する津波が押し寄せてきたというわけだ。その先のガソリンスタンドの看板は、20メートル以上の高さの位置に大きな穴が開いていた。それも同じことを体現していた。そんな高いところまで達した津波のエネルギーの巨大さを想像しただけで身震いがしてきた。
「ウチなんて水に浸かったとはいえ、まだ被害が小さかった方なんです。この通り、もっと悲惨な目にあった人がたくさんいるのですから。カネコさん、よく見ていって下さい」
シトロエン談義とクルマ談義の合間に、震災について話し合った。とはいっても僕は質問を差し挟むだけで、もっぱらSさんの話を聞かせてもらう一方だった。
「家や家族、仕事に加えて、地域を震災前の状態に戻すことでこの2年間は精一杯でした。本格的な復興はこれからですよ」
Sさんの医院は代々、地元警察署の協力医を務めてきており、今回の震災でも多忙を極めている。行方不明者の身元特定作業には歯形が有力な決め手になるからだ。休日どころか眠る時間も削って奮闘してきて、それは今も続いている。
「体験したことのない体験をたくさんしました。ボクひとりではどうしようもできないことにも直面し、絶望させられることも何度もありました」
肉体的な疲労と精神的なストレスに参りそうになると、SさんはCXを走らせて気を紛らわせた。
「それが今走っているコースなんですよ。CXやエグザンティアブレークで暗闇の中を走っていると、不思議と気持ちが落ち着いてくるんです。クルマっていいですね」
Sさんの口調が少しだけ神妙になった。愚痴や不平のひとつも口を付いてもおかしくはないのに、Sさんは淡々と話してくれる。淡々としているだけに、余計にSさんの受けた身心両面でのダメージの大きさが察せられた。
CXのハンドルを握るのは20年以上ぶりだった。自分が所有していたCXを手放してからは運転したことがない。ユラーリユラリとと大きな周期で左右にロールするハイドロニューマチック独特の乗り心地は、エグザンティアブレークよりもCXの方がより濃厚だ。ほぼ同じルートをCXとエグザンティアブレークで2周した。SさんのCXはコンディションも良好で、魅力的だった。ブルーとグレーのヘリンボーン柄のシートの掛け心地と相まって、優しく包んでくれた。疲労困憊したSさんが癒されるというのも、とてもよくわかった。
翌日の診療があるのにかかわらず、Sさんは真夜中まで僕と付き合ってくれた。再会を約束して別れ、僕は乗ってきたメルセデス・ベンツE250ステーションワゴンで東北自動車のインターチェンジに向かった。しかし、Sさんの「よく見ていって下さい」という言葉が耳から離れず、さっきCXで走ったルートを明るい時間に走ってみたくなった。クルマを停め、iPadでホテル予約サイトを検索したら、近くはないビジネスホテルに一泊できることがわかった。
翌朝、同じコースを巡って撮ったものがここにアップした画像だ。来て良かった。Sさんの言っていた通り、復興は遅々としてしか進んでいないことが白日の下に晒されていた。何兆円もの復興予算が計上されているのだから、もっと早く進捗していても良さそうなものだ。でも、現実は違う。これもSさんから教わったことだが、復興といってもさまざまな思惑が交錯しているので、すぐには進まないのだ。
Sさんとともに過ごせたのは半日にも満たなかったが、それはCXの乗り心地のように濃密な時間だった。短い時間だったが、あらゆるディテイルが強く記憶に残っている。Sさんはその後CXを手放したが、2014年もまた東北を訪れたい。
Posted at 2013/12/31 20:59:26 | |
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