承前。
MRY(マツダR&Dセンター横浜)のAVルームに場所を移してのデザイナー・タウンミーティングで、講演者のテーブルに「河岡徳彦」の名前があるのを見て猛烈に嬉しくなった。現在は静岡文化芸術大学で教鞭をとり次世代の自動車デザイナーの育成にいそしんでいらっしゃるそうだが、80年代中盤から90年代初頭のいわゆるバブル経済の頃、福田成徳氏ともども同時期のマツダのデザインを牽引した立役者の一人だ。アテンザ2のチーフデザイナー、佐藤洋一氏のいわば師匠筋にあたる。
んで、ぶっちゃけの話をすると、このセッションが一番面白かった。もうすっかり、大学で専門を教える先生の講義である。本来、大学教授の講義と言うものはきちんと授業料を納めないと聞けないものであるが、それをロハで聞くことができるのだ。これをお得といわずして何と言おう。
まずは、ともかくもアテンザ2の話だ。
先のセッションで佐藤チーフデザイナーは、そのボンネット開口部の見切り線で製造現場の「連中」が専務取締役に「チクッた」との話をしていたが、このことに関係して会場と質疑応答があった。
あとで河岡氏も「こんな深絞りのフェンダーにGoを出す会社なんて、マツダ以外に聞いたこともない!」と絶賛……と言うのかな……していたが、素人目に見たって、あんな精度の要求される、しかも何回絞ればあの形が出せるか見当もつかんような形、実際に作る人たちが素直に「いいよ」と言うとはちょっと思えなかった。
案の定、佐藤氏は「あれを認めさせるのは、すっっっごく大変だった」と言うようなことを答えていた。ただ、そういうせめぎ合い、戦い、苦労もまた楽しいと口にした。その言葉には、ちょっと「去りゆく老兵」の感傷が含まれていたように思ったのは深読みしすぎだったろうか。
「プロミネント・フェンダー」の話も出た。後にRX-8へと発展するコンセプト・カーのRXエボルブに使われたのが一番最初なのだが、これを仕掛けたのが他ならぬ佐藤氏だとのこと。
この手法を用いると、フェンダー・アーチ前方のオーバーハング部分が視覚的に余り長く見えなくなったり、上方のパネルの間延び感を押さえられるなどのメリットがあり、RX-8以降のマツダ車は多かれ少なかれこのフェンダー造型を援用している。僕などはだから、マツダはこれを明確にデザインアイコンとして「まずこのフェンダーありき」で各車のデザインを縛っているのではないかと思っていた。
なので、デザイナーとのセッションの前に梅下主査に立ち話でその疑問をぶつけると、実はそうではない、と言うことを縷々説明された。「縷々説明」である。結構話が長い人だったのだ。まあ、象徴的な例を一つ挙げると、最終的に採用されたデザイン案と最後まで競ったデザイン案では、このフェンダー形状は採用されていないのである。当て馬といえば当て馬だったのかもしれないが「もしかしたらこっちのデザイン案で行くかもしれない」とカネかけて開発した案が、単なる当て馬で終わるものであろう筈がない。
まあ、だから思うに「必ずプロミネント・フェンダーを使えとは言わない。もっとその車種に合ったデザイン案があるなら、どんどんそっちで行っていい。でも、いまのマツダ・デザインは、この傾向を踏襲していることは頭の隅においておいてくれ」というくらいの空気なのかな、と想像する。
ところで余談ながら梅下主査とは雑談の中で「そういや
今度のクラウン、プロミネント・フェンダーみたいなのやってきましたね?」と振ると、そうそうそう、と大いに乗ってきた。そうかー、やっぱりプロもそう思ってるんだ。重ねて「でもトヨタのクラウンのことだから、どっちかと言うと現実には現行Sクラスのフェンダーをトヨタ流に真似したところ、プロミネント・フェンダーっぽいのになっちゃったって感じなんでしょうね」と言ってみると、これにも賛同を頂いた。うーん、やっぱりトヨタのデザインってそういう目で見られてるんだな。
なかなか標題のネタにまで話がたどり着かないが、河岡教授の話にもつながるので、プロミネント・フェンダーの話をもう一くさり。
このフェンダーのような造型をすると、その終端をボディにどう着地させるのか、それが問題だ。しっかりエッジを残すか、徐々に峰を弱めていって暈かすか。アテンザ2では前者を選択したのだそうだが、このあたりから佐藤氏に話を振られて語る河岡先生の話にも力が入ってくる。
河岡先生は学校の生徒たちに「直方体と球を接合しなさい」というデザインの課題を出すのだそうだ。この解決策は二つ。上に書いたように接合線のエッジを残すか、暈かして溶け込ませるか。その間の無限のグラデーションが、デザインの幅と言うことになる。そして河岡先生に拠ると「自動車デザイナーの技量の巧拙は、三つの稜線が交錯する点に如実に現れる」と仰る。それは、ピラーの基部だ。
かつてユーノス500のデザイン・チーフだった荒川健氏や、同車の量産デザインを手がけ先代アテンザではチーフを勤めた小泉厳氏も、やはりピラー基部の造型の難しさをそれぞれ口にしていたことを思い出す。小泉氏に対して、最終型のカペラのCピラー基部は「線が煩雑で整理がついてませんよね」なんてことを言ったら「あれをやったときは時間がなくって……」と、ものすごく苦い顔をされた(カペラをやったのは小泉氏自身だと、その時知った)のも思い出す。河岡先生の言葉を踏まえると……うわあ、思いっきり虎の尾を踏んでたじゃん。
まぁそれはそれとして、ほぉほぉとしきりに感心しながら先生の講義を拝聴していると、今度はお弟子さんたる佐藤チーフデザイナーに向かって「車の絵を描くとき、どこから最初に書き始める?ちょっとやってみて」とホワイトボードへの実演を要求した。
佐藤氏は「ボクは河岡流だから……」と手を動かしながら「下から描きますねえ」と、タイヤ、サイド・シルの順で描き上げていく。添付写真で、斜め前方からみた感じの線画が、佐藤洋一氏の絵だ。
すると河岡先生「そうだよね。ところが、ほっっっとんどのデザイナーが、Aピラーから描き始めるんです」と、佐藤氏の絵の左横に側面図を描き始めた。「こういう書き方をするから、どんどんAピラーが『寝る』んです。そういう車ばっかり出てくるでしょ?Aピラーから最初に描くからです」。
僕の隣で一緒に話を聞いていたYuckyが「えー。僕も下から描くなあ。だって、そうしないとプロポーションが取れないから」と教えてくれる。うーむ、さすがプロの言葉だ。Yuckyと河岡先生の話をあわせ技一本で解釈すると『多くの車は、プロポーションのバランスなどお構い無しにAピラーを無闇に寝かせただけのデザインが幅を利かせている』と言うことだ。
河岡先生はさらに「なんでそんなことがまかり通るかと言うと、Aピラーが寝ていることには誰も文句を言わないからです。これが寝ているとスポーティーでかっこよく見えますからね」。なるほど……。
さて河岡先生、ここで憂慮を口にされた。うー、ようやっと標題の話につながった……。「僕や、佐藤さんくらいまでの世代って、素材のことも分かってデザインしてたよね。でも、今はバーチャルで何でもできちゃうから、そこまで考えてないようなのがどんどん出てくる」。同じことを、やはり佐藤氏も言う。今後、ボディの素材はプラスチックにシフトしていくだろうとの予測もあるようなのだが、高張力鋼だからこれができる、樹脂なら……というような「材料からの発想」が、今の若い(というのが彼らにとってどの年齢層なのかわからないけど)デザイナーにはなくなっていると憂うのだった。
ところで、全体セッションのときに佐藤チーフデザイナーが、アテンザ2のデザイン・プロセスの一端を披露したときに僕が思ったのは、彼らはインダストリアル・デザイナーでありながら、そのハートはアーティストだということだ。
工業製品ならば、そのライフ・スパンである4年なり5年なりの間だけ訴求力を持った商品であり続けさえすればそれで十分なのだけれども、河岡先生も佐藤チーフデザイナーも共通して「そのあと」を見ている。10年後、15年後、あるいはもっと先でも、そのデザインはその時点でも生きているか。そういう視座を持っている。
工業デザインであることを棄てて『美術品』方面に走ることは全く是としないにも関わらず、工業デザインを「その時かぎりの流行商品」とすることには断じて頷かない、プロのデザイナーの矜持を垣間見る思いだった。
さて、デザイナーと言うと僕の身近ではkahan氏のことを思い出さないわけには行かない。彼はアテンザ2のデザインを評して、こういう感じのことを言った。「デザインテーマとなる部分部分のあいだを、漫然と面で繋いだだけのように見える」。ある意味、酷評だ。
ところが、佐藤氏のセッションでの話を聞いて、僕はびっくりした。アテンザ2のデザインでこのチーフデザイナーは、部下に対して「デザイン的要素を用いることを禁じる」として、先の河岡氏のいう「三つの稜線」を磨き上げ、その各要素の間をオーソドックスな手法(面構成)で接続することを徹底したのだそうだ。kahan氏の指摘どおりである。
この『デザイン的要素』と言うのは、要するに『クセ球』『変化球』のことだ。例えばヨーロッパのB社が好んでやるような、凹曲面とか。河岡氏も「ああ言うのはアイキャッチはあるが、やり始めたら果てしのない深みにはまる泥沼」と否定的感想を述べ、さらに先の素材の話も絡め「鉄板と言うものは、内側に反らせると強度が不利になる」云々。バーチャルな世界でできるからといって、どこまでも果てしなく突き進んでいいというものではないだろうというわけだ。
憂慮の話は続く。最近の学生さんは、余り自動車デザイナーと言う職業に魅力を感じていないようだという「やる気のなさ」に対する懸念。換わって「やる気満々」でやってくるのは、中韓の若人なのだそうだ。そしてそれ以上にもっと深刻で信じられないのが「絵の描き方を知らない」と言うこと。先の、直方体と球をつないだ絵を描きなさいと言うのは、河岡先生に言わせれば義務教育くらいまでには経験していて当たり前の、ごく初歩の「お絵かき」なのに、今は大学生相手にそこまでの初歩から教えないと先に進めない、のだそうだ。
「義務教育のカリキュラムが変わって、情操に割く時間がなくなってしまった。恐るべき事態だと思います」とのこと。……インダストリアル・デザイナーが、その職分に関連して(!)幼児・児童の教育のことまで胸を痛めなければならないのだ。まこと、恐るべき事態である。
同業他社のデザイナーとの交流の話もチラチラ聞けた。トヨタS800のデザインを関東自動車でやった人は、その前に某社で某名車のデザインをやった人だとか、やはり専門家の世界は意外に狭い。その中でおかしかったのは佐藤チーフの話した「国内T社のLと言うブランド」の統括責任者と話した内容のこと。
自動車のエクステリア・デザインは現在、最終案が固まるとその立体データをデジタル・データに変換する。複雑精緻微妙な形になればなるほど、そのデータ量は増えていくことになるのだが、Lブランドの人は佐藤氏に「このブランドの車の場合、それ以外の自社製品と比べてデータ量は2倍以上になる」と語ったのだそうだ。おおなるほど、さすがは微笑むプレミアム……って書いちゃダメじゃん(笑)。なのだが、佐藤氏がよーっく話を聞いてみると、その「2倍」のデータ量と言うのは、マツダの普通の車のデータ量とほぼ同じだということが分かってきたそうだ。「確かにマツダの場合、こんな車にそこまでするかって言うくらい手の混んだことをしてるけど」と会場を笑わせたあと「だとすると『Lブランド』の半分以下しかない他のT車ってのはどう言ったらいいんだ」と、一層会場を沸かせた。
ところで、ここまで佐藤洋一“現役最年長”チーフデザイナーの話をサラッと書いてきたが、河岡先生は一つ重要なことを話した。「ここまで長く現役を一つの会社で続けられたデザイナーは、他に思い浮かばない」。
河岡先生は佐藤氏が手がけた過去歴代のヒット作を「3世代にわたる」と言う言い方をした。普通、というか余程才能に恵まれても、3世代と言うのは難しいのだそうだ。セッション終了後に個人的にお話を伺った折り、例えば最近かげりがひどく見えるジュジャーロ(ジウジアーロ)を例に「彼がウェッジ・シェイプを武器に2世代にわたって、世界のデザインを牽引してきたことは、凄いことです。しかし、やはり3世代と言うのは難しい。そのくらいの時期になったらば、本当は一線から引いて、ディレクター的立場になって若い人たちの後見に徹したほうがいいんですよ」。
なるほど……往年のエース・デザイナーといえども、人間であるからにはその『発想』にはおのずと限界が訪れるということか。しかし河岡先生は続けて「でも、それが一番難しいんだ、上に立つとつい、こう一本、線を描き足したくなっちゃって(笑)」。ははは、よく分かります。
ともあれ、アテンザ2のデザインの話を聞いていて思ったのは「なんて真面目に、商品のライフスパンが終わった後のことまで考えて、真剣にデザインを練りこんでいるんだろう」と言うことだった。
(河岡先生との話、
もう一回続く)